001 稲荷前商店街の僕

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 歯医者の受付が「トグチさん」を呼ぶ。  待合室のイスを立った僕は小声で、「戸口と書いてトゴウです」と受付に言う。  若い受付嬢が「あら、ごめんなさい」と悪びれず謝る横合いから、よく見知った歯科助手のおばさんが顔を出す。 「(れん)ちゃん。今日はどうしたの?」 「親知らずが痛くて。次に抜歯するって大葉先生が」 「今どきのシュッとした若い子は、だいたいアゴが小さいのよ。漣ちゃんもそうね」  僕がシュッとしてるかはともかく。  歯科助手と患者の二人に無視されたかっこうの受付嬢は、こんなぞんざいな扱いをされたのは初めてといわんばかりに、鬼の形相だ。  まだ若くてキレイな顔を自分で台無しにした受付嬢は、よそから来た人だろう。  祖父の代に『蕎麦屋とごう』で通った僕の家は、かかりつけの『おおば歯科医院』をはじめ、地元商店街のお馴染みさんだ。  僕を「トグチさん」と呼んだ時点で、「わたしはよそ者です」と言ったようなものだった。  拗ねた受付嬢をよそに次回の予約をし、歯医者をあとにする。  商店街の途中、すこし路地を入ったところが僕の家。厳密には叔父の持ち家だ。  叔父の戸口蛍一郎(とごう けいいちろう)が僕を引き取った後、昔ながらの蕎麦屋に手を加えて今は洒落た和カフェになっている。  午後のピークオフに客入りはまばらだ。 「おかえり、漣」  ドアを開けると、いつものようにカウンター内のキッチンに立つ店主のタクさんが、カフェエプロンをかけたスラリとした姿で僕を出迎えた。  タクさんは池波拓弥(いけなみ たくや)といい、世の『タクヤさん』の常としてアダ名は『イケタク』。叔父とは十年来のパートナーで僕を引き取るのと前後し、養子縁組をして戸籍や公文書では『戸口拓弥』だ。自宅兼店舗の表札は『戸口』と『池波』が並ぶ。郵便物やら問題なく届くし、いわゆる事実婚と考えれば分かりやすい。  外ではたいがい『イケタク』で通すが、僕はせめてタクさんと呼ぶ。  叔父の養子のタクさんと、叔父の姉の息子の僕は、戸籍上で義理のイトコ同士だ。もし叔父に万が一のことがあれば、三親等離れた甥の僕より、養子のタクさんのほうが近親で相続が有利になる。事実上の叔父の配偶者といって差し支えないだろう。
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