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くらげさんは、僕が小学校のころからくらげさんだった。僕が彼女を知ったのが正確にいつかは思い出せない。しかし気が付いた時にはすでに、近所の友達の間で、クラゲババアで通っていた。
彼女がちょっとした有名人なのには理由がある。時々通りかかった人を捕まえては、野菜をほんの少し分けてくれるからだ。大人も子供も、初対面も知己も関係ない。ゆらりと近づいてきて絡めとるように手をつかみ、ナスやらジャガイモやらを握らせてくるのだ。友達の中には何度か捕まっているやつもいて、気味悪いからブン投げて逃げてやった、と笑い話のように語っていた。
あれは小学校四年生のころだっただろうか。僕は、初めてくらげさんに捕まった。その頃はまだクラゲババアと呼んでいて、実在の妖怪のようなイメージを抱いていた僕は、いつも小走りで彼女の家の前を通るようにしていたのだ。しかし、捕まった。学校でさんざんな目に遭い、べそをかいていた僕は、すっかりクラゲババアの存在を失念していたのだ。
「あんた、あんた」
赤く染まった空の下、俯きながら歩いていると、いきなり手をつかまれた。
「これ持っていきねの。ほらこれ」
「ひっ」
土で汚れた皺だらけの手から、同じような土色のジャガイモを渡される。反射的に、僕は手を振り払った。ジャガイモは宙を舞い、くらげさんの足元に落ちる。身じろぎするように転がったそれを見て、僕は恐怖と罪悪感がない交ぜになった、とにかく嫌な気持ちになった。
「ああ」
手をつかんだまま、くらげさんがジャガイモを拾う。そして、屈託のない子供のような笑顔で、またそれを差し出した。
「ほら、これ」
――これを受け取らない限り、帰しては貰えない。
そう思った僕はジャガイモをひったくり、緩まった手を振りほどいて、全力でその場を走り去った。自宅に逃げ入るまで、後ろから何かが迫ってくるような気がした。
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