――あるいは、盲目の魚

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 ゆったりとした空気をかき乱すようなメロディが鳴った。テーブルに置かれた妻のスマートフォンだ。ちょうど、夕食後のコーヒーを啜っているところだった。  正面奥のキッチンで洗い物をしていた妻が、エプロンで手を拭きながらこちらに来る。誕生日にプレゼントした花柄のエプロンは、綾香(あやか)の華やかな顔立ちによく似合っていた。 「今度は何?」  電話を取るなり不機嫌に尋ねた。栗色の長い髪をかき上げ、大きな目を片方だけ細める。 「明日ぁ? なんで今言うかなあ。……予定あるよ、友達と」  自然とやり取りが耳に入ってくる。あの歯に衣着せぬ口調からして、絶対に女友達ではない。おそらく、相手は浩二(こうじ)だだろう。  妻の弟、つまり俺の義弟にあたる彼は、クジラのような男だった。力士のような巨躯でありながら、その表情はいつも拝みたくなるような穏やかさに満ちている。太い眉に細い目、厚めの唇は、その全てが俺と正反対だった。それは体格においてもそうで、彼がクジラなら、俺は太刀魚といったところだろうか。俺たちが並べばどう見たって浩二君の方が兄らしいが、実際には彼は二つ下だ。  両家の顔合わせの席で、妻の綾香は「あいつが何か頼んで来たら適当にあしらって」と小声で俺に告げた。何のことだとそのときは思ったが、結婚して七年も経った今では良く分かる。 「そりゃランチだけど、帰るの三時くらいだよ? 留守番くらいできるでしょ。男の子なんだしさ」  男の子。義弟夫婦の一人息子、壮太のことだろうか。ということは、明日預かってくれとでも頼まれたのだろう。昔から、浩二は姉である綾香に頼ってばかりだと聞いている。
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