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「ちょっと良いか?」
コーヒーを置いて席を立つ。妻はスマートフォンを耳から話すと、一気に険のとれた顔を向けてきた。
「なあに?」
「明日壮太君を預かってくれって話なら、俺できるぞ。予定ないし」
「え? でも――」
塞いでいない電話口から、さっすが義兄さん! という雄たけびが聞こえる。
「あなたもせっかくの土曜でしょ。良いの? 二人きりでデートしたいけど子供を一人ぼっちにして夕食摂らせるのは可哀想、とかいうふざけた理由だよ? もう九歳なのに」
「九歳ならおむつやミルクの心配がないだけありがたいさ」
妻が不思議そうな顔で首をかしげる。
「あなた、そんなに子供好きだっけ?」
なんだか痛いところを突かれた気がして、そっと彼女のスマートフォンに手を伸ばした。耳に当てると、自分のしっぽを追いかけまわす犬ほどに浮かれた声が延々と喋っている。
「――らしくてすごく困ってたんだよお、嬉しいなあさっすがお義兄さんだよね頼りになるなあ、姉さんと違ってすごく優しいや、うちのカミさんにその優しさを分けて欲しいくらいだよ。カミさんもカミさんでいきなりデートしたいからセッティングしろだなんて急に言い出すもんだから、僕もう本当に参ってて……」
「分かった分かった。で、いつ来るんだ?」
「あっお義兄さん! 明日のね、昼過ぎからで良いんだよ。ディナー早めに済ませるから、夜の八時くらいまでお願いできると嬉しいなあ」
「昼飯は食べてから来るんだな」
「うん。適当に本でも読ませて放っとけばいいからね、俺と違って読書家だからさあ。お義兄さんちから水族館も近いから連れてってもいいよ、魚好きなんだ」
「まあ、臨機応変にやっとくよ」
通話を終えて、電話を綾香に返す。彼女は申し訳なさそうに上目遣いで俺を見ていた。
「ごめんね。断ってくれたら良かったのに」
「良いってば。それよりせっかくだから、お前もその友達と夕飯も食って来れば?」
「え、でも……あなたはどうするの?」
「九歳と三十七歳が、食うに困ることはないさ。安心して羽伸ばして来い」
「本当に良いの……? ありがとう」
綾香が、血色の良いふっくらとした頬を緩めた。女同士なら、どれだけいても話は尽きないだろう。それに……。
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