1 見知らぬ犬、もしくは館山すみれの懺悔

13/17
前へ
/70ページ
次へ
 私にとって、彼のことが好きなのは当たり前のことだった。だって毎日同じ感情を抱えて生きているのだ。彼のことを好きじゃなかった時なんて一秒もない。だから疑問に思われるようなことは何一つないと思っていた。  昔のシャンソンが店内に悲しく響く。その音が、やけにうるさいと思った。 「だって相手の方はご結婚してるんでしょう?」 「そうだけど。でもあんまり家に帰っていないみたいだし」 「でも法律上は夫婦なのよ。それを自分勝手に壊すなんて」  ゆりちゃんが真面目な顔をしてそう言った。彼女はいつだって正論を言う。自分のことを頭が悪いと言うけれど、それは自分の感情をうまく理論化できないからだ。彼女が抱く感情に、間違いはない。良いものは良い、悪いものは悪い。その判別はいつも明確で、いつも鋭利だった。  彼女は空になったエスプレッソのカップを置いて、私の方をじっと見た。切れ長の目が、スッと持ち上がっていた。 「私は、誰が誰を好きになってもいいと思ってる。感情に良いも悪いもないと思うの。でもね、すみれちゃん」 「何よ、だったら」 「だったら彼のことは許されるでしょう、って? それは違う。誰かを不幸にしてまで得られる幸せなんて、そんなの虚構に過ぎないでしょう」     
/70ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加