508人が本棚に入れています
本棚に追加
あっという間の出来事に、長瀬はただ呆然とした。
「どういうことなんだ、一体……」
少し乱れた前髪を指で梳き上げ、なんとか気持ちを落ち着けてみる。
それにしても納得がいかない。同じ場所に同じ名前の違う人間が住んでいて、しかもつけている香水まで同じだなんて、そんな偶然があるのだろうか。
なんだか狐につままれたような気分だ。
しばしその場に立ち尽くしていたが、これ以上何か事態が進展することはなさそうだった。下手をしたら、本当に警察を呼ばれてしまうかもしれない。長瀬はすごすごとその場を後にした。
行きに通った道を辿り、これから十日間の長逗留となるホテルの部屋へ戻る頃にはすっかり夜の帳が下りていた。
カシミヤのロングコートを脱ぎ捨て、疲れきった身体をどさりとベッドに放り出す。仰ぎ見た窓の外では、天を突き刺すように聳え立つ駅前のツインタワーの明かりだけが、暗闇の中きらきらと輝いていた。
長瀬の中でそのタワーは、建設の途中で巨大なクレーンを最上段に載せた姿として記憶に残っている。五年という歳月は、街の姿も人の心も変えてしまうのだという感慨がふいに沸き起こった。
最初のコメントを投稿しよう!