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「少しだけ、このままでいさせてくれ」
鍛え上げられた二の腕がファリファンの背中へと吸い付き、その身体を抱え込んでいた。
頬を押しつけているその筋肉で盛り上がった胸板を服越しに感じ、胸内がざわつき始める。
ファリファンが顔を上げると、すぐ間近にラムドの顔があった。
「ちょっ――」
奥二重の双眸の端は軽く切れ上がっており、印象を爽やかなイメージへと導いていた。
闇の中でもはっきりと色彩を放っている深緑色の瞳がわずかに震えている。
まるで自分よりも年下の弟のように感じたファリファンは、手を伸ばし、ラムドの頭頂部を優しく撫でた。
「帰ってもだれもいないんだし、慌てなくてもいいからね」
モルワは疎開地にいるリーアムの元にいる。
偶人認定を受けているファリファンを雇うところはなかったが、ラムドは鉱山で働いていた。
労働に出る昼過ぎまでには戻ればいい。
ファリファンは、微笑むことはできなかったが、それでも安心させようと撫でる範囲を広げていった。
「ありがとう、ファリファン」
「どういたしまして」
ピクリとも動かすことはできない表情筋の強張りが意思とは反して緩んでいく。
ファリファンは、それを見られまいとして急いで顔をそむけた。
「隠さなくていい。それは、正しい反応なんだ」
「ダメ……ダメなの……何も感じちゃいけないの……」
「どうして?」
覚えている哀しみや恨みといった感情が蘇る。
心臓を真二つに引き裂かれているかのような衝撃が身体の全神経を乗っ取っていく。
どうすれば、この苦しみから逃れられるのか――。
抑えようもない怒りを静める方法はあるのか――。
自分のものではない感情を手放すことはできるのだろうか――。
「ファリファン?」
「人を殺したいというその気持ちが、わたしには理解できる」
恐ろしいことを言っている――それは、よくわかっていた。
しかし、それでも、そう言わずにはいられないほど、望んでいないその感情は心の中をぐちゃぐちゃにしていく。
(だれかを殺せば、ラクになれるのかしら)
ファリファンは、両目を閉じて深呼吸を繰り返した。
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