月下逢瀬

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暫く月を見上げながら、散々磨り減った精神力を回復に当てる。 この時彼はかなりリラックスしていた。その上、今の彼の体をまだ使いこなせていないというのもあった。 何気無く足を組み替えようとして、がくりと視界が揺れた。慣れないヒールを履いていたことを完全に忘れていたのだ。 バランスを崩した片足がもつれ、ぐらりと左に体が傾く。 左側の手すりを掴もうとして、無意識にあ、と惚けた声が漏れた。左側は中庭へと続く降りる階段。 手が空を掴み、傾いた体が階段の方へと投げ出される。 これはどうしたものか。 特にこの状態で焦るほどやわではないが、些か問題がある。階段に落下しようとしているとは思えぬほど眉ひとつ動かず涼しい表情をしつつ、彼の頭の中には迷いが生じていた。 いつもはこのようなヘマはしない。 たとえしたとしても持ち前の身体能力でどこへなりとも着地ができる。この女性となった体でも、反応速度と筋力は劣るにせよ体を空中で回転させて体勢を立て直し、衝撃を和らげ階段の途中に着地することなど可能だ。この刹那の滞空時間でさえシミュレートができるほど彼にとっては容易な立ち回りである。 しかし、由々しき問題がある。 この服装だ。 高価でぞんざいに扱えばすぐ破れてそうなレースや装飾品のついたこのドレスでそんな立ち回りをすれば、確実に生地が破れる。 さらに、窓からこの様子を目撃した人がいたらそれはそれで面倒だ。可憐なご令嬢が階段から落ちそうになったと思ったら、手練れの動きで回避していたら普通の客ではないぞ、と怪しまれてしまう。 別の懸念として、空中で体勢を立て直したりしたら乙女の領域が丸見えになることも良くない。中身が男のレオとしては、体がいくら露出しても恥じらいはないが、社会的に良くないのだからそう易々とあられもない姿を晒さない方がいいだろう。 以上のことを踏まえ、彼は無抵抗で大人しく落下することにした。 もし誰も見ていなければそのまま何食わぬ顔で身だしなみを整えて戻ればいいし、誰かに目撃されていたらか弱い女性がなすすべもなく階段に落ちた、という違和感ない光景をみて助けに来てくれるだろう。
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