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私は一日一回、橋本家の水質調査員になる。
湯船に真新しい水を張り、追い焚きをして三十分。古いステンレスの浴槽をぐるりと見渡す。汚れ無し。今日もお湯は透明だ。
そこに、ドラッグストアで買ってきたビタミンCの粉末を少々投入。これで水道水の中の塩素が除去されるのだという。そして最後に湯温計が38℃を示しているのを確認し、任務完了。少しぬるめの、我が家のお風呂のできあがり。
……ドアの開け方ひとつで誰が帰ってきたのかが分かるのは、主婦の職業病だろうか。
そんなことを思いながら、ふと聞こえた玄関の音に耳を澄ませる。幼稚園児のようなバタバタとした足音。やっと帰ってきたなとほっとしながら、私はお風呂場を後にする。
時刻は既に二十三時を過ぎていた。
今日は夕方には帰ると言っていたのに、随分と遅いご帰宅だ。また大方、バイトをサボった誰かの代わりに残業を志願したのだろう。
そろりと居間を覗くと、真由子がショルダーバッグを肩に掛けたまま倒れていた。
「おかえり。大丈夫? ご飯食べる? お風呂も今ちょうどいい湯加減だよ」
そう声を掛ける。しかし真由子はラグの上でうつ伏せになったまま動かない。相当疲れているようだ。
ご飯が先かしら、と台所に向かおうとしたところで、後ろから声がした。
「……お母さん!」
振り返ると、真由子は仰向けに回転した。
薄いアイメイクとチークはこの時間帯でも崩れていない。表情も元気そうで、少し安心する。
「先にお風呂、入らせていただきます」
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