前書き

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前書き

ついぞ最近、自らの存在が、周りの人間に押し潰されているように感じる。 それは決して社会への嫌悪や、孤独故の苦しみなどではなくではなく、僕が知る人間、それは直接的でも間接的でも同じことなのだが、僕の周りの人間が、ひどく立派に見えて仕方がないのだ。 目的を持って自らの道を歩み、誰にも支配されない強き意志を持ち、そうして己という存在を世界に知らしめるがごとく、胸を張って、自信を持って生きる。 そう言った連中が、ひどく眩しく見えて、そうしてそういう連中しか周りにいないものだから、自分が酷く無価値に思われて、居た堪れないのだ。 「異国の地」、初めは我が希望であった地は、私の無力さと滑稽さを映し出す鏡となり、夢や幻想の代わりに、現実という無常な「絶望」を私に叩きつけてくるのだ。 だが私とて、ここで潰れるわけには行かないのだ。 拗ねて腐るわけには行かないのだ。 せっかく夢ができたのだ、どうしてここで果てることができよう。 私の願いは痛く愚劣で、人様が聞けば笑って頭の片隅にも入れないであろう。 ところが私はなぜか、「なぁなぁ」に「平穏」に生きていた今まで人生よりも、「生」を実感している。 「We can be heroes, just for one day」 デビットボウイ作曲「Heroes」の一文である。 私は彼のようにもなれないし、ましてやヒーローなどというものにはもっとなれないと思う。 しかし、もしそれでも叶えて見たい夢があるのなら、もしここで今までの「欺瞞」を打ち砕いて、現実をみるからこそ歩まんとする道が、我が眼前に広がるのなら、私は自らの全てを投げ打ってでも、その茨の道を、ただナアナアと歌いながら、歩みたいと思う。 世界は限られている、それ故我々の選択には犠牲がつく。 だが我々の夢は、希望は、願いは、生きている限りは無限に広がり続ける。 だから阿呆は阿呆なりに、その無限の暗闇の中に光る、芥子粒ほどの光に向かって、今日も歩み続けるのだ。 例えその未来が酷く残酷なものであっても、歩まなければいけない。 希望も絶望もせず、何も考えずに「人生」を歩むことこそが、「生」を冒涜する生き方だから。 朧げな我が未来に、幸あれ。
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