17

1/1
前へ
/19ページ
次へ

17

 目を覚ますと、白い天井が見えた。  白すぎる。清潔すぎる。  それはおかしい。  自分の部屋なら、雨染みの広がる茶色い天井板のはず。  ほんの少し目を横に向けてみると、壁も白いしカーテンも白い。  生活感がまったくない小綺麗な部屋に、どうして横たわっているのか。しかも、真っ白なシーツに覆われたベッドだ。 (保健室か・・?)  ベッドのすぐ隣に、掃除の行き届いた大きい窓があっただろうか?  そこから、真っ青な空を分割する白い線が2本見える。 「飛行機雲?」  オレがボソリとつぶやくと、 「気がついたか?」  背後で声が聞こえた。  枕の上で首を反対側に回すと、 「わっ・・!」  思いもかけない人物が座っていて、オレは飛び起きた。 「お、親父・・! なっ、何で・・?」 「何でって、お前が行方不明っていうから・・」  親父は寝ていないのか、目が血走っていた。 「ちょっと待った。思い出すから・・」  指先を額に当て、目を閉じて集中する。何があったかを思い出すより、まず、今自分がどこにいるのかすら、把握できていない。  何がどうなっているのかわからないせいか、思考が止まっていた。ガチャガチャとノブを回しているのに、ドアがまったく開かないようなもどかしさ。  ヒントのカギをくれ。 「ヤギを探しに、裏山へ入ったって・・」 「裏山・・?」  そうだ。クロノラに驚いて、ケヤキにしがみついていたことを思い出した。  そのあとは、ええっと・・、 「雪丸・・、雪丸は・・?」  ハッとして、顔を上げた。 「ちゃんと学校におる」 「本当か?」 「雪丸は、体育館の裏にいたらしいぞ」 「えっ、山じゃなくて・・?」 「ああ、だからお前1人がいなくなって、大騒ぎになった」 「・・」  思い出した。  道なき道を進むうち、方向がわからなくなったのだ。陽もろくに射さない樹海のような場所だ。  そのうち、同じ場所をグルグルと回っているような感覚になった。  これは例のリングワンデリングではないかと焦り出し、足場の悪いところで、小走りに駆け出したから、とうとう片足を踏み外し、坂を転げ落ちた。  初日のタマの捜索と、同じパターンだ。  ただ前回と違うのは、オレ以外に誰もおらず、すぐに助けてくれる人がいなかったことだ。そのあとにどうなったのか、転がったあとの記憶がまったくない。 「どうやら頭を打ったようや。夜中、クマに襲われんくてよかったな」  親父がスマホを操作し始める。姉ちゃんに、目を覚ましたと伝えているのだろう。 「夜中・・? どういうこと?」 「山に入ったんは、昨日の昼やろ?」 「は・・? 昨日・・? もしかして、1日経ってる?」 「ああ」  嘘だ。  オレの感覚では、2、3時間。  昼からの授業はさぼったことになるが、今は部活も終了して、そろそろ下校する時間なのでは? (ということは・・)  山の中で、一晩過ごしたことになる。 「真冬やったら、命を落としとった」  と、親父は言うけれど、そもそも冬だったら、山には入らない。 「逆に、気を失ってよかったな」 「確かに・・」  ヘタに意識があると、恐ろしくて一晩は越せなかった。山に潜む動物だけが怖いのではない。あの鬱蒼(うっそう)とした森には、成仏できない霊が漂っていてもおかしくはないのだ。 「はぁ~」  がっくりと頭を垂れた。  騒ぎが目に浮かぶ。  当然、警察の世話になっている。消防団も動員しているだろう。まさか、自衛隊まで出動していないよな? 恐ろしくて、聞けない。 「東京、帰るか?」 「・・」 「もうこんなことは、起きんと思うけど・・」 「・・」 「居づらくなるようやったら、また転校してもいい。仙太郎のブログが見れんのは寂しいけど・・」 「え・・?」 「いいねを押したぞ」 「いいよ、そんなことしなくても・・」 「母さんも、密かにブログを楽しみにしとる」 「・・」 「仙太郎のブログを見るようになったんは、転校した現実を、受け入れるようになったからや」 「オレのじゃなくて、雪丸のブログだよ」 「あっ、そうやったな。でも転校生Sが、主役みたいに見えるけど・・。ヤギより目立っとるぞ。本来の仙太郎が全面に出とる」 「オレ、そんなドジじゃねぇよ」 「・・」 「何・・?」 「お前、自覚してないんか?」 「え・・?」  親父の顔を見ると、 「いや、いい」  と言ったきり、しばらく黙って窓から外を見ていた。 「もっと早く、本来の姿に戻してやればよかった。笑ったり驚いたり、慌てたり、そんな普通の喜怒哀楽が、消えとったからな。母さんも久しぶりに、お前の姿で笑っとった。目尻に涙浮かべて・・」 「・・」 「ゆっくりと、時間をかけてしゃっべってやってくれ」  母さんが素直に、現実を受け入れているかどうかは疑問だけれど、普通に会話ができるようになるには、まずオレの心に、余裕ができなければムリだろう。今はいっぱいいっぱいだ。自分のことに・・。 「とにかく、いい表情の写真で安心したが。楽しくやっとるんやな」  ただ単に、いじられているだけだ。文香とおかめに・・。 「これから動画も楽しみや」 「見なくていいいよ」 「ばあちゃんの言うとおり、顔つきが穏やかになってきた。東京より、こっちのほうが性に合っとると思うけど、嫌ならいつでも言え。とりあえず、先生やクラスのみんなには、頭を下げておいたから・・」 「・・」 「退院したら、仙太郎からも詫びを入れておけ。辞めるならそのあとや」  クラスメイトの態度が冷たくなったら、考えよう。 「ところで、この病院ってもしや・・」  病室の中を、オレは見回した。 「小宮山総合病院」 「やっぱり・・」 「クラスに、ここの息子がおるんやてな?」 「まぁ・・」  アイツの病院に、カネを落とすことになろうとは・・。  頭を抱えて、ため息を吐く。 「痛いんか?」 「いや・・」 「ほな、一旦家に帰るさけ」  親父が丸椅子から立ち上がった。 「あ、母さんとは・・」  どうするんだろう? 離婚するんだろうか? 「心配すんな。お前が本来の姿に戻ったんなら、こっちも本来の姿に戻るだけや」  オレの肩にそっと手をのせ、帰っていった。  よかった。修復可能なレベルで・・。  ベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめた。安心すると、力が抜けていく。  自分の親が、他人同士の関係になるなんて、考えたくもない。大事な支柱の1本を失うと、完全に家が崩壊する。それが自分のせいだと、余計に心苦しい。  これから先の人生に、しこりを残す。  親父と入れ替わるように、医者が様子を見に来た。中年の女性だった。  声が低くて、ニコリともせず、 「明日には退院できます」  業務連絡みたいに、淡々としゃべる。 (中間テストの前日か・・)  頭に異常はなく、足首をひねっただけだから、今すぐにでも帰りたかった。でも、両手をすり合わせてお願いしたところで、融通がききそうな医者には見えないから、 「はい」  素直に頭を下げた。  憂鬱(ゆううつ)だ。  前の学校みたいに、クラスメイトが白い目で見てきたらどうしよう。ここまでやらかすと、さすがに呆れているんじゃなかろうか。  テストが控えているというのに、警察官が大勢、高校の敷地内を出入りしていれば、授業どころではないはず。迷惑をかけておいて、のこのこと通学できるものではない。  この際、高校はあきらめて、大検で勝負しようか。さすがに中卒の学歴は、一生コンプレックスを引きずるから、何が何でも、大学に行こうではないか。  小学校から塾へ放り込んだ母さんにすれば、息子が中卒ではもう、昼間に顔を上げて近所を歩くことはできないだろう。津野島へ転校した以上に、泣き叫ぶに違いない。  将来、給料のいい大企業に勤めることは難しいから、投資した教育費の回収は絶望的。会社を立ち上げて、大きく稼がない限り・・。  そして、貧乏な中卒男に、嫁は来ない。  そうなると、せっかくよりを戻した夫婦間のヒビは、埋まらないかもしれない。  それはまずい。かなりまずい。 「どうしたもんか・・」  思えば、トラブルばかりの1週間だった。  恐ろしく密度の濃い高校生活。散々な目に遭いながらも、それはそれで楽しかった。  多分もう、黒い犬は好きになれない。  茶色い猫を見ると、教室の光景がよみがえるだろう。  ヤギは、迷惑をかけた苦い思い出として記憶される。  空を見上げると、飛行機雲が消えかかっていた。  できれば自分も、このままフェードアウトしたい。たった1週間の出来事なら、そのうちみんなの記憶から消えていく。  文香の記憶にも、残らないだろう。  外を見ながら、ため息ばかり吐いていると、 「辛気くさ・・」  いつの間にか、泰河がベッド脇に立っていた。 「今日もらったプリント。それから、社長の差し入れ」  掛け布団の上に置く。スーパーのレジ袋に入っていたのは、またしてもイチゴドーナツだった。  思わず、 「ほかに商品がないのか?」  無意識に、心の声が出てしまった。 「そう言うなや。季節限定の商品やぞ。能登(のと)の天然塩も使っとる」 「・・」 「とにかく、たいしたケガもなくてよかった。足首ひねっただけやてな? 今、うちの母ちゃんから聞いた。さっき来たやろ?」 「え、あのお医者さん?」 「愛想ないやろ?」  親子とは思えない。泰河とは正反対の性格。無駄口が一切ない。 「退院したら真っ先に、例のあの野良犬に、高級なドッグフードをあげたほうがいいな」  オレが首を傾げると、 「警察犬より先に、お前を発見したんやぞ。命の恩人や」  行方不明になる直前に、股間の臭いを嗅いでいる。 「あとな、タマが見つかった。お前のおかげや」 「無事だったんだ?」 「・・ていうか、無事ならよかったんやけどな」 「どういうこと?」 「見つけるのが遅すぎた」 「え・・?」 「もう死んどった。仙太郎が倒れとった場所の、ほんの5、6メートル先に・・。クマにでも襲われたんかなぁ、食いちぎられとったって・・」 「・・」 「仙太郎も危なかったな。ヘタをすれば、同じ目に遭うとこやった」  今頃になって、背筋が寒くなった。気を失ったおかげで、無残なタマの姿を見なくてすんだ。  クロノラは人命救助をしたせいか、飼い犬へと昇格し、タマ2号と名づけられたという。どうしてそのまま、クロにしないのか。番犬は、タマと襲名することになっているのだろうか。  その後、藤四郎が来て、文香とリンナもくる。  オレのベッド脇は、お見舞いのフルーツと人でにぎやかになった。 「1人で入ったらいかんて。せめて、誰かに連絡しとかんと・・」  文香にキツく叱られた。心配してくれたのかと思うと、なんだかうれしい。 「まぁまぁ、来たばっかの転校生やから・・」  藤四郎がフォローする。 「たまにあることやから、気にすんな」  何気ない言葉がありがたい。藤四郎だけじゃなくて、みんながそう思っているのなら、この学校にいても、白い目で見られることはないのだろうか? 「2年おきぐらいに、裏山で遭難する奴が必ずおるげんて。バカやろ」  泰河がバカを強調する。  そのおバカさんが、ここにいる。  もうどうあがいても、ドジでマヌケな転校生のイメージは払拭(ふっしょく)できない。 「これからヤギ部の部長として、がんばってもらわんと・・」  おかめリンナがオレの肩を何気に叩いたけれど、丸1日、何も口にしていないせいか、体に力が入らず、上半身がよろめいた。 「ほら、見て・・」  文香がスマホをオレに見せる。 「昨日のブログに、何でドジな転校生Sが出てこんがって、コメントあった」 「さすがに、行方不明とは書けんやろ」  藤四郎がチクリと言う。 「明日から頼んだよ」  文香が言うから、 「部長の仕事?」  と答えると、 「それだけじゃなくて、こういう感じを期待しとるが。みんな・・」  スマホで、今までのドジな写真を、次々と見せてくる。 (多くないか? オレの写真) 「そこを全面に出していかんとね。戸波くんは、そういうキャラでいいから・・」  おかめも言う。  おかしい。すっかり、いじられキャラになっている。オレはそういうタイプではないはずだ。  いっそ、東京に帰ろうか。  翌日の午前中に退院すると、午後から親父と一緒に登校し、菓子箱を持って校長室へ謝りにいった。  久しぶりに見るオカメインコのゴン太が、 「いいがや、いいがや、いいがいね」  誰かがしゃべると、すぐに反応する。うるさいけれど、今はこの言葉に救われる。 「明日からテストやけど、大丈夫か?」  黒猿森田が声をかけてくる。 「はい」  受けないという選択肢はない。  せめて、勉強だけはできるところを見せつけたい。それに、カネも土地も権力もない家の子が、唯一勝負できるのは、結局、学力しかないのだ。  学校の成績がよくても、社会に出れば関係ない。だけど、勉強が中心の学校では、点数がいいか悪いかは、絶対的な物差しだ。  それは前の学校で、嫌というほど味わっている。  学力が物を言う世界なのだ。  その日は授業を受けずに、そのまま帰った。  冷凍室を占領しているイチゴドーナツを、電子レンジでチン。糖分を補給し、猛然と勉強を開始した。  その成果もあって、全教科、藤四郎を抑えてトップに立った。  余裕で、文系の1番だ。  オレの本領発揮。  日本一と言われる高校にいた証。  これこそ、本来の自分なのだ。  これで間違いなく、バカなイメージだけは(くつがえ)る。  ・・と思っていたが、 「柵の長さどうする?」  すべてのテスト結果が出た日の放課後、文香が後輩と一緒に、細めの丸太を運んできた。 「ちょっと長いよね? 切ってくれる?」  と、オレに振る。 「どうやって?」 「はぁ・・?」 「・・」 「ノコギリに決まっとるが」  え、何を言ってるんだ、この人は・・。という顔だ。 「もしかして、釘打ったりとか、したことないが?」  おかめが聞いてくる。 「ないけど・・」  オレの声が小さくなった。  そうだ。  この学校の物差しは、勉強ができることではなかった。  今頃、気づいた。  尊敬の目は、テスト返しの一瞬だけではないか。  おかめがスマホを構えているけれど、今日こそヘマをしない。  廃タイヤの間に丸太を渡し、ノコギリで切ろうとしたら、雪丸が丸太に乗ってくる。  文香が雪丸を押さえながら、 「戸波くん、後ろ」 「え・・?」  振り返ると奴がいた。クロノラ、いや、タマ2号だ。 「うわっ・・!」  ノコギリを放り投げ、一目散にグランドへ逃げていく。 「ちょっとぉ~、危ないやろっ」  文香の声が聞こえたような気はするが、オレは今、それどころじゃない。  後ろから、タマ2号と雪丸が、執拗(しつよう)に追いかけてくる。  ミサイル2発じゃねーか! 「うわー、うわー」  奇声を発して走り回る。  サッカー部の練習を邪魔する光景が、その日のブログになった。  
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加