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 やるかね、2日続けて同じことを・・。  効果がなけりゃ、普通はやり方を変えるんじゃねぇのか? 学習したらどうなんだ。学習したら・・。 「お前がちゃんと、しつけんからや!」  じいちゃんが大声で、ばあちゃんを叱ると、 「あ、あんたが、甘やかしたんやろ!」  ばあちゃんも負けじと言い返す。そして、ピシャリと平手打ちをするような音があったり、ドタッと倒れる音があったり。  朝の8時から、夫婦のバトルが激しいこと激しいこと。  でもそれが、ダメだっつうに・・。  涙声のばあちゃんは、何て言うかなぁ、素人劇団のオーバーな演技みたいで、うそくささが全開。  じいちゃんも、せっせと音を作っている。ばあちゃんに、殴る蹴るの暴力を振るう音を・・。 ひび割れて、茶渋の付いた湯飲み茶碗を、タオルにくるんで床に投げつけてみたり、すりこぎで、畳や床をドンドンと叩いてみたり。  バシッ、ドタッ、ガンと、果てしない音の応酬を繰り返す。  包丁を持って、刺し違えそうなほどの険悪な雰囲気を出し、地獄絵図のような泥沼の夫婦げんかを演じているのだ。 「やってらんねぇ」  目尻に涙がたまるほどのあくびをしたあと、オレは赤いボクサーパンツの上から、ポリポリと尻をかく。音を少しでも遮るため、掛け布団を頭まで引き上げた。  その直後に、 「首に縄をつけてでも、学校へ引っ張っていかなっ」  じいちゃんがわざと、オレの部屋の前まで来て、声を張り上げた。  テレビの音量なら、34ぐらいかな。住宅の間が1mもない都会だったら、隣近所からクレームがつく。  畑の中のポツンと一軒家でよかった。 「・・ったく」  わざとらしいケンカで、孫が簡単に起きると思ったら大間違いだ。昨日だって、結局昼過ぎまで、布団の中でゴロゴロしていた。  効果はゼロ。 (作戦変えろや)  と、心の中でつぶやいたとき、 「おじいちゃんもおばあちゃんも、やめて!」  新たな声の出現に、 「誰・・?」  かぶった布団を、サッと首まで引き下げた。  男の子の声だ。聞いたことがない。 (幻聴・・?)  とうとう、そんなものが聞こえるほど、精神を病んでしまったのか?  息を止め、掛け布団の端を握りしめながら、ジッと耳をすました。 「このまま学校に行かんかったら、仙太郎は高校中退になる」  ばあちゃんの不安そうな声のあと、 「となると、最終学歴は中卒ですね。社会の底辺のような職に就くしかない。中卒の貧乏な男に、絶対、嫁は来ないでしょうね。彼女だってできない」  ガキが、身もふたもないストレートな物言いをする。 「そ、そんなかわいそうなこと・・」  このときのばあちゃんの声は、本物だ。演技だったら、アカデミー賞級かもしれない。嗚咽(おえつ)まで漏らしそうな涙声だった。  でも、そのあとがヘタすぎる。  唐突に、ドタッと倒れるような音がして、 「う、うう・・」  オーバーすぎる素人小芝居に戻った。 「仙太郎(せんたろう)がそれでいいがなら、本人の自由や。たとえ中卒で、嫁の来てがのうても、本人がそれで幸せなら、いいがや。じいちゃんが、農業と人生を教える」  入れ歯がとれそうな勢いでしゃべる。  すると、 「こうやって人は、リアルな人生ゲームから脱落していくんですね。ゴールにもたどり着けない、悲惨な末路か・・」  ガキがしみじみと、人生を厳しさを噛みしめる。そしてなぜか、チーンと仏壇のりんが鳴り、 「これから先は、生きる(しかばね)ですね」  南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と、唱える声が聞こえた。  オレは死んでねぇぞ。  今は確かに、負け犬みたいにシッポを巻いた状態かもしれないが、人生はいつだってリベンジできる。  気持ちが前に向いたとき、わずかな一歩は踏み出せるのだ。その気持ちに、まだ火がつかないだけだ。  点火したら、ロケットスタートできる自信はある。  見知らぬガキに、終わった人間みたいに言われる筋合いはねぇ。 「どんな面してんだっ!」  ガバッと上半身を起こした。寝癖のついた髪を、 「ああ~」  いらだちを発散しながらかき回す。  じいちゃんとばあちゃんは、昨日の失敗をしっかり学習している。トゲのある爆弾を用意していた。  まさか子供を使うとは・・。 「行くよ、行けばいいんだろ!」  ドアを開けて、廊下に出た。  毎朝毎朝、こんな小芝居をやられたんじゃあ、素直に登校するほうがマシに思えてくる。  じいちゃんとばあちゃんは、安堵したように互いの顔を見る。ばあちゃんはエネルギーを使い果たしたのか、居間の隣にあるキッチンの椅子に、よろよろと腰を下ろした。  10年前に水回りと、オレが現在使っている部屋をリフォームしている。それ以外は、昭和40年代で止まったままの、貧乏なド田舎の家だ。  コップに水を注ぐと、ゴクンゴクンと(のど)を鳴らして一気に飲む。寝汗で失った水分を、5秒で取り戻した。  背後で、じいちゃんとばあちゃんの視線を感じたから、 「・・ったく、うぜぇんだよ」  見え透いた小芝居のことを言ったつもりだった。  それなのに、 「何や、たくぜぇんだよって・・。ばあさん、知っとるか?」 「いや、さすがに英語はちょっと・・」 「韓国語ですかね?」  ガキが口をはさんでくる。  よく見ると、東京にいる姉ちゃんがうらやむような、まつげの長い小学生だった。おとなしそうな顔に見えるが、性格は逆とみた。 「仙太郎が賢いのはようわかっとる。けど、日本語でしゃべれ」 「はぁ~」  肺の空気を、全部吐き出すようなため息が出た。  じいちゃんを見ると、フライパンとすりこぎを持っている。ばあちゃんは、まだおたまを握っていた。それで、あちこち叩いて音を出していたのだろう。  ボロ家なんだから、そのうち壁に穴が開くぞ。床がへこむぞ。リフォームするカネなんて、うちにはねぇだろ。 「まぁ、別に強制はせんけど・・。ほんでもこんな田舎、遊びに行くとこなんて、学校しかないさけ」  じいちゃんが、フライパンとすりこぎを、ばあちゃんに渡しながら言う。  学校が遊びに行くところかどうかは別として、確かにド田舎すぎて、田んぼと畑、海と小高い山しかない。  石川県の能登(のと)半島。その先端にある津野島(つのしま)という町だ。 「はい、お駄賃」  ばあちゃんが300円を、ガキに握らせる。 「いや、そんな、ボクはたいした役に立ってないんで・・」  と、遠慮しつつも、 「また学校に行きたくないってごねたら、いつでも呼んでください」  いっぱしの営業マンみたいな口を利く。そして帰り際、 「なんなら、高校まで案内してやろうか?」  オレを見上げ、 「500円でいいですよ」  手のひらをちゃっかり出す。初対面でここまでできるとは、なかなか肝の太い奴だ。 「ほな、監視も兼ねて頼もうか」  ばあちゃんが財布を開けるから、 「行くよ、自分で・・」  田舎は何もすることがない。釣りもサイクリングも飽きた。ゲームだって、とっくに飽きている。大好きな九十九湾(つくもわん)で、ボォ~っと海を眺めて暇をつぶすぐらいだ。 「またな、桃太郎」  名前を間違えたまま、ガキは帰っていった。 「誰・・?」 「さぁ・・?」  じいちゃんが首をひねった。 「うちの前、歩いとったから、協力してもらったがや。多分、最近ここに来た、移住者の子やろ」  信じられない。見知らぬ小学生だったとは・・。  そういえば、ガチガチの方言ではなかった。  小学校がどこにあるのかわからないが、完全に奴は遅刻だ。なんせもう、NHKの朝ドラが終わってから、30分は経っている。  自分も言えた義理ではないが、知らない子の場合、あとで親が怒鳴り込んできたらどうする?  何事もないことを祈ろう。  着替えもせず、Tシャツとパンツ姿のまま、キッチンテーブルについた。 「はぁ~」  猫背のまま、首筋をポリポリとかく。  作戦にまんまと引っかかり、もう後戻りはできなくなった。 (いやだ~!)  と、心の中で叫んでみる。  学校に行くのは怖いが、このまま何もしないで、大事な青春を失うのも怖い。いや、そっちのほうが怖いか。 「何も考えんな。悪いクセやぞ」  ばあちゃんが味噌汁をよそってくれた。豆腐とネギとわかめが入っている。味噌汁といえばご飯のはずだが、なぜか当然のようにトーストを焼く。  バターをたっぷり塗っていると、学校から電話がかかってきた。 「え、来とらんけ? もう出たんやけど・・」  白々しくも、じいちゃんはそば屋の出前みたいな対応をする。  オレはできるだけゆっくりと、味噌汁をすすった。気持ちを落ち着かせるためだ。もう家を出たということになってしまったから、さすがに腹をくくらなければならない。  お化け屋敷と一緒で、どういう展開が待っているかわからないからこそ、入る前が一番怖い。 (あ・・)  お化け屋敷は、入っても怖いか・・。 「じいちゃんが送ってやるさけ」  かわいい孫のため、食器棚の引き出しから、車のキーをつまんだが、 「やめてくれ」  即座に断った。  周りの景色が車体に映り込むような、ピッカピカの高級車ならともかく、じいちゃんが転がすのは、サビついた軽トラックだ。しかも、タイヤの周りの車体に、泥まで跳ねている。  転校初日に、明らかに貧乏くさい車で登校したら、すぐに“ジジッ子”だの、“軽トラ野郎”だのと、ろくでもないあだ名がつく。  とはいっても、歩けば1時間以上はかかる。途中まで送ってもらうことにした。  食事が終わったあと、寝癖のついた髪を水で湿らせ、手で押さえた。前の高校のブレザーに袖を通す。ファスナーの端がとれかかったペンケースと、ノートが1冊しか入っていないスカスカのリュックをかつぐ。  ド近眼だから、銀縁の眼鏡をかけた。  起きてから30分後にようやく玄関を出ると、ばあちゃんが背後から追いかけてきた。弁当を渡し忘れたのかと思ったら、いきなりオレの目の前に手鏡を向ける。 「ほれ見てみ、仙太郎。人を殺しに行くような顔しとるが」  眼鏡に前髪がかかり、ほとんど目は隠れているものの、瞳の奥は、何十年も放置した池の水のように濁っている。 「緊張しすぎやぞ」  新しい高校へ行くんだから、緊張しないほうがおかしい。どんな奴らがいるのかわからないのだ。舐められてはいけない。 「最初が肝心やさけ、笑顔笑顔」  転校初日は、実は昨日だった。  ゴールデンウィーク明けの月曜日から登校することになっていたが、ずる休みした。ばあちゃんが学校へ電話して、体調不良と嘘をついてくれた。  新学期に合わせた登校でないのは、4月に入ってから転校を決めたからだ。高校2年に進級しても、学校へ行かない息子を心配して、親父が母校の転校を勧めてきたのだ。  特別、募集をしていたわけではないけれど、ド田舎の私立高校だから、欠員は余裕であったに違いない。あっさり、転入試験を受けることができた。  昨日が体調不良なら、今日はそれをちゃっかり利用して、具合の悪さを引きずっていこう。遅刻を許してもらうには、本人の病気か、親戚の誰かが死んだと言うしかない。  クラスに入ったら、生徒をじっくり観察して、誰と仲良くすべきなのか、自分をどういうキャラにすれば、平穏無事に過ごせるかを考えよう。 「はぁ~」  憂鬱(ゆううつ)だった。 「心配せんでもいい。警察のことは、校長と理事長だけが知っとる。誰にも言わんって約束や」  他校の生徒とケンカして、一度だけ、警察の世話になったことがある。前代未聞のことだと、学校からこっぴどく叱られた。次に同じようなことがあれば、即、退学と宣告を受けていた。  結局、1週間の停学処分のあと、学校へ行けなくなった。その前からも、いろいろあったのだ。 「仙太郎本来の性格でいけばいいがや」  じいちゃんは、いつだってやさしい。 「本来の性格?」 「小心者やさけ。びびりやな」  ばあちゃんはその点、遠慮がない。 「笑顔やぞ、仙太郎」  背後で、ばあちゃんの明るすぎる声が飛んだ。  仮病でも何でもなく、本当に頭が痛くなってきそうだ。 「何でもやる前から、考えすぎるがや。考えるより先に動け」  じいちゃんが、背中をポンと叩いてくれた。  考えてはいけない。考えると不安になる。そして行きたくなくなる。  できれば中卒が、当たり前な世の中になってほしい。それか、定時制や通信制の高校を卒業する奴が増えればいい。違う道の選択が、もっといっぱいあってもいいではないか。  学校のカラーになじめないのは不幸だし、規則や規律の押しつけは窮屈だ。  前の学校みたいに、修行僧のような生活は送りたくない。  軽トラは、田んぼの中を通っていく。ゴールデンウィークに田植えが終わり、青々とした苗が風に揺れていた。  重役出勤みたいな時間に学校へ行けば、体調不良でもない限り、完全に問題児と思われる。そのうち、警察の世話になった過去が、バレるのではなかろうか。  それが一番怖い。  そのあとは、きっと溝ができる。オレが通ると、みんなよけていくに違いない。  わざわざ転校して、ダークすぎる青春をリセットした意味が、 「なくなるよなぁ」  流れる景色を、ぼんやりと眺める。  作り笑いも愛想笑いもできないけれど、今日はとりあえず、具合の悪そうな顔にしなければならない。かといって、取っつきにくいイメージを植えつけると、クラスメイトは話しかけてこないだろう。  微妙なさじ加減がいる。  練習が必要だ。  ばあちゃんから、小さい鏡を借りるべきだったかもしれない。  今になって、初日の重要さを感じた。  殺人犯みたいなイメージだけは避けようと、前髪を手ぐしでうしろへかき上げる。目がしっかり見えていれば、暗いとは思われないはずだ。  たまにしか車が通らない県道へ出ると、信号を3つ分だけ進む。集落がある方向とは反対へ曲がり、その道をまっすぐ行けば学校に着く。  ここまでで、たったの5分。  前の学校は、電車を乗り継いで1時間半もかかっていた。それを思うと、朝が苦手な人間には、夢のような通学だ。  田んぼがなくなると、そのあとは雑木林が広がる。一本道で迷いようがないから、雑木林の手前で車を降りた。  この先は学校しかないから、ほとんど車は通らない。道のド真ん中を歩いてやろうかと思ったけれど、心にそんなゆとりはなく、道路脇の白線の上を、足元を見ながら歩いた。  バンジージャンプの、飛び込み台の端に立っているような気分だ。  なんせ、学校へは春休みを含めると、2ヶ月以上も通っていない。その前だって、去年の11月ぐらいから、週に2日か3日の通学になっていた。  家族とほとんど口を利かず、部屋にこもっていたせいか、すっかり社会性を失っている。  ムダにドキドキする心臓をなだめるため、イヤホンを付けて洋楽を聴き始めたものの、すぐに止めた。16ビートのノリノリロックは、気分と逆で、今はついていけない。  まずは教師に、どういう対応をしたらいいのだろうか。  学校側は、大胆すぎる登校時間に、何と言ってくるだろうか。初日から怒られるだろうか。まさか校長は、警察のことをほかの先生に話してはいないだろうか。  あれこれ考えてしまって、歩みが鈍くなる。  季節外れの風邪にするなら、たまに咳き込む演出が必要だろうか。  クラスメイトは、どういう目で見てくるだろう。自分から話しかけないと、友達になってはくれないのだろうか。無視されたりするんだろうか。  ああだこうだと考えすぎてしまい、恐怖心でバンジージャンプも飛べない。  時折、ウグイスが鳴く。  まるで、録音したものをスピーカーから流しているような、澄んだ鳴き声だった。  のどかなド田舎なのに、心がざわつく。  雑木林の一本道は、ゆるくカーブしているせいか、先が見えない。  視界が開けたときにやってくるのは、遅れてきた青い春なのか。それとも、前の学校と同じ監獄なのか。 「ふぅ~」  大きく息を吐いて、肩の力を抜く。  なんだかんだ言っても、結局、自分の気持ち次第だ。  わかってはいるけれど・・。
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