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 最後はオレもののちゃんも、悠斗(ゆうと)も雪丸も、楽しそうにじゃれ合う光景にはなったけれど、動画の編集は、絶対そうならない。  悠斗の涙を(そで)で拭き、ののちゃんを抱っこしてあやし、そのあと、雪丸の抱っこ練習と称して、動画撮影が始まったものの、とんだ伏兵がいた。  ポチだ。  ここぞとばかりに、邪魔をしてくる。  雪丸を抱き上げようとするたびに、オレの肩に乗ってきたり、雪丸の背中に飛び乗ったり・・。  おかめの思惑通りとしか思えない。  そのたびに尻もちをついたし、前のめりで倒れた。グダグダの、しっちゃかめっちゃか状態だ。  ダメな姿ばかりが動画になるだろう。ところどころに、いかにもオレを見て笑っているかのような子供の姿を、編集していくに決まっている。  転校4日目でもう、おかめのやりそうなことは見当がつく。  途中から文香がやって来て、口に手を当て、グフッと笑ってオレを見たが、とてもじゃないが、こっちは目を合わせることができなかった。なんせ文香の父親を、泥棒と決めつけてしまったのだから・・。 「はいOK」  リンナの声のあと、オレはふぅ~と息を吐いた。  嫌なら拒否ればいいのだけれど、この先の円満な学園生活を望むなら、無下(むげ)に断ってはいけない。きっとオレは、円満な結婚生活を送るため、嫌なことにもジッと耐える、けなげな夫になるんじゃなかろうか。  あ、今、気づいた。  親父と同じだ。恐ろしい。  今日も制服が、草やら土やら汗で、グッチャグチャだ。グッチャグチャ。毎日毎日、こんな汚し方をしてくると、母さんなら、 「小学生じゃあるまいし・・」  チクリと文句を言ってくるだろう。つくづく、ばあちゃんでよかったと思う。  スマホが鳴って電話に出ると、 「帰って来たか?」  田島社長の声だった。 「今日は申し訳なかったな」 「いえ、大丈夫です」 「学校に来て、いきなり撮影か。大変やな」  ごくろうさんと、言いたげな調子だった。  どうして、撮影していたとわかるのだろう? 首をひねった。 「たまには、会社に顔を出してな」  そう言って電話は切れたけれど、どこに会社があるというのだろう? 病院の売店で買ったイチゴドーナツの袋はもう捨ててしまったから、住所がわからない。 「田島社長なら、あそこにおるぞ」  そばで会話を聞いていた泰河(たいが)が、校舎を指さした。 「え・・?」 「3階の空き教室に、会社があるげん」 「学校の中に・・?」 「何かおかしいか?」  いやいやいや、常識的におかしい。  とは思ってみたものの、考えてみれば、1階に津野島サロンがあるではないか。調理実習室に、おばちゃんたちがいるではないか。生徒以外の出入りは、動物も含めて、自由になっている。  前の学校は、部外者は一切入れなかった。それが普通だろう。不審者が入ってきて、子供に危害を加えてはいけないし、実際、そんな痛ましい事件だって過去にはあった。  それとも、いざというときのために、番犬を置いているのだろうか? 「ちょっと行ってくる」  オレはリュックを担ぐと、校舎に入った。階段を上がっているとき、 「そういうことか・・」  はたと気がつき、足が止まった。  病院から会社へ電話をしたとき、従業員の女性が、“例の子”と言った意味が・・。  クロノラに2日連続で追われたことも、ポチに驚いてケガしたことも、悠斗のおしっこ被害に遭っていることも、同じ校舎内にいれば、ツウツウだ。 「はぁ~」  ドジっぷりが、思いも寄らない範囲にまで知れ渡っている。  そして調理実習室が、食品工場で確定。恐ろしい高校だ。  校舎の3階は、主に1年生の教室と音楽室。音楽室は校舎の端にあるが、もう一方の端に、会社はあった。ドアに、株式会社フランデルと書いてある。  信じられない。本当にある。  隣は1年1組の教室。  取引先の人がやって来て、商談をすることもあるだろうに・・。制服を着た高校生と、スーツを着たサラリーマンが、同じ建物を行き来する。 (んん~)  新感覚のお菓子を食ったぐらいの、不思議さだ。  目の前のドアが急に開いて、 「うわっ・・!」  尻もちをついた。  オレはこんなに、ビビりだったろうか? ここに来てから、ちょっとしたことに驚いてばかりだ。  目線を上げると、(はじめ)が立っている。 「お客さんです」  奥に向かって声をかけた。 「約束はなかったけどなぁ」  田島社長の声が聞こえてくる。 「桃太郎だよ」  初が言う。 「仙太郎だっつうに・・。何でお前がここにいるんだ?」 「将来、僕がこの会社を引き継ぐんで・・」 「はぁ・・?」 「息子」  社長が、パソコンから顔を上げた。 「息子・・?」 (はっはぁ~。そういうことか・・)  転校初日のオレの様子を、ばあちゃんに報告してお駄賃をもらっていたが、何もここまで来なくても、父親がいれば、電話で探りを入れることができる。社長は忙しいだろうから、バイトの女性に聞くこともできるだろうし、高校生とも仲がよさそうだから、いろいろ聞けるではないか。 (なるほどな)  学校に行っていたなら安心だ。  人のことを心配している場合ではないけれど・・。 「僕は御曹司(おんぞうし)ですから・・」  初が言い換える。 「名門、名士の息子っていう意味だぞ、御曹司は・・」  校舎に事務所を構えるような会社じゃ、御曹司とは言わない。さすがに言ってやろうかと思ったけれど、社長がいるからやめた。 「藤四郎くんや、泰河くんのことを言うんですね?」 「まあ、そうだな」  認めたくはないけれど、明らかに、一般ピープルと毛並みが違う。 「お父さん、がんばって上場しよう」  こぶしを握りしめる。  コイツ、ホントに小学生か? 「そうや、名刺渡しとくわ」  社長が引き出しを開け、名刺入れから1枚抜き取る。  代表取締役社長・田島秀人(ひでと)と書いてあった。裏返すと、食品やグッズなどの製造・販売以外に、イベントの企画や人材派遣も書いてある。 「ここは、高校生のバイトを集めやすいしな。農作業やイベントの人員確保が簡単や」 「はぁ・・」 「とにかく、津野島の魅力を発信せんとな。盛り上げるためなら、何でもやろうと思って・・。それに働く場がないと、人が出て行くさけ。できれば、観光客を呼べるような場所も作りたいし・・」 「観光牧場ですか?」 「ま、いずれな。去年、会社を立ち上げたばっかりやから・・。とりあえず、今の仕事を軌道に乗せんと・・」 「はぁ・・」 「だからヤギ部に、しっかりがんばってもらわんとな」  オレの肩に手を乗せる。 「お父さんが、雪絵を連れてきたから・・」 「そうなんですか?」 「まぁ・・。頼んだぞ、あの2匹は、観光牧場の足がかり。大事な商品。雪絵には、これからドンドン子を産んでもらって・・。そしてうちも、いずれ社員を採用して・・」 「社員はいないんですか?」 「バイトの女性が1人だけ・・。もう帰ったけど・・」  病院から電話をかけたときに出た女性だろう。 「学校に会社があるなんて、変わってますよね?」  黒板もそのまんまの教室だ。予定やら目標やら、連絡事項が書いてある。廃校になった校舎を貸しているならわかるけれど・・。 「だよな」  この人の感覚は、オレと同じだ。東京から来ると、やっぱりおかしいと感じる。 「でもまぁ、理事長が格安で貸してくれるっていうから・・」  藤四郎の父親か。 「家賃はバカにならんからな」 「お父さん、そろそろ・・」  初が、社長の(そで)を引っ張る。 「おお、そうやそうや」 「どこか行くんですか?」 「病院」 「ああ」  産まれたばかりの赤ちゃんを、初と見に行く約束をしているという。 「早く早く」 「ああ、まだやることいっぱいあんのに・・」 「仙太郎が、留守番してくれるって・・」  どうやら頼み事をしたいときだけ、名前を間違えないようだ。 「いいですよ」 「ほな、1時間半ぐらいで帰ってくっから、何ならここで勉強していけ。会社の電話は留守電にしとくさけ」 「はい」 「何もないとは思うけど、何かあったら、携帯に電話してくれ」  初にせかされ、あっという間に出て行った。  家にいるより、集中できる。授業に出なかった分を、何とかここで取り戻したい。  従業員の机を借りて、数学Ⅱの教科書を開く。  ニャーと鳴き声が聞こえてきた。開いた窓から、ポチが入ってくる。机に飛び乗って、オレのペンケースに頭を乗せて寝始めた。  ネコパンチがくると怖いから、机の上にあったペン立てから、シャーペンを借りて勉強した。  ちょっかいを出さなければ、ポチは邪魔してこないだろう。相手をしている場合ではない。  非の打ち所がないド田舎王子に、負けるわけにはいかないのだ。  ドジで、何もできない転校生ではない。本来、オレの性格は違う。  動物や子供という苦手分野に、あくせくしているだけだ。得意分野で、クールな己を取り戻してみせる。  テスト範囲の教科書を、ブツブツと声に出して読む。例題をノートに写しながら、解法を覚えていく。数学だって暗記科目だ。  勢いよく15ページを攻略する。  ポチが、いつの間にか動いていたこともわからなかった。  どれだけの時間が経っているのか。スマホで確かめると、あっという間に1時間が経っている。  椅子の背もたれに寄りかかって、ふぅ~と息を吐くと、 「すごい集中力」  デスクトップのパソコンが置いてある向かいの机に、文香が座っていた。ポチを抱っこしている。 「うわっ・・!」  まさか人がいたとは思わず、椅子ごと後ろへ倒れた。  ああ、キャビネットがあってよかった。何もなければ、そのままゴンと、床に頭を打ちつけていた。またしても脳しんとうでは、今度こそ、あの病院に連れていかれる。  一日に三度も行きたくない。  絶対、あの病院には、世話になりたくないのだ。 「い、いつの間に・・」  倒れた椅子を直した。 「10分ぐらい前から・・」 「言ってくれればいいのに・・」 「声、かけれんかったわ」 「・・」 「すごいね」  そう言われて、悪い点数を取るとシャレにならない。  短い言葉の意味に、前の学校のことも含まれているなら、とてつもなく気まずい。なんせ名門校でも、落ちこぼれなのだから・・。  今でも、あの学校で勉強している奴らがすごいのであって、オレはドロップアウトした情けない奴なのだ。 「わからんとこあったら、戸波くんに聞こうかな?」 「オレも、勉強始めたばっかだし・・」  こういうときは、2人きりになるチャンスだから、いつでも教えると言えばいいのだけれど、聞かれて自分がわからないと困る。  挽回できそうな分野で、つまずくわけにはいかない。 「社長は・・?」 「あと30分ぐらいで帰ってくる」  スマホで時間を確認する。 「ふ~ん」  文香は30分をどう過ごそうか、思案している風に見えたから、 「あ、そうだ。定期テストの問題って、どんな感じ?」  オレは数学の教科書や問題集を、文香に見せた。  事前に知っておく必要がある。どういう問題が出題され、難易度の高い問題が、どれくらいの配点で出るのか。傾向があるならば、それに沿って勉強ができる。  テストまでは時間がない。学習が遅れている分、要領よく勉強していかなければならないのだ。今までに、出たことがない問題を解く練習をして、ムダに時間を費やすわけにはいかない。  できれば3年生から、去年のテスト問題を見せてもらうのが一番だ。それを分析すれば、一番手っ取り早いのだけれど、さすがに文香が、先輩から問題を見せてもらっているとは思えない。そもそも、学校内のテストに対して、そこまではやらないだろう。 「数学は基本問題が多い? それとも応用? 難易度って、教科書に出てくるレベル? それとも入試レベルの問題もある?」  オレは問題集を開き、A,B,Cと難易度の違う問題を指した。基本は何とかなるから、あとは応用に、どれだけ対応できるかだ。 「いや~、そこまではちょっとぉ・・」  その返答だけで、文香は数学ができないとわかる。  ポチの頭を撫でながら、 「毎回、赤点ギリギリねんて・・」  ハハッと笑う。  一番知りたい数学の情報は得られなかったが、照れ笑いがかわいいからよしとしよう。 「国語と英語なら、何とか・・」  メモを取るつもりだったけれど、ほとんど内容が頭を素通りした。女子と2人っきりで、顔をつき合わせて話をするなんて、夢のような青春は今までなかったのだから・・。  英語は割と得意だから、 (ま、いいか・・)  藤四郎に勝つことも大事だが、甘い青春を謳歌(おうか)することのほうが大事だ。このまま社長が、大幅に遅れてくることを期待しよう。 「そうや、生物の授業で、テスト対策のプリントもらってん。戸波くんの分もあるから・・」  もしや、オレのためにもらってくれた?  視界に入っても、頭で認識しないような男なら、こんなことはしないはず。  これは脈ありか?  ド田舎王子の片思いなのか? 「ちょっと、ポチを持ってくれる?」 「え・・」  猫なんて、抱っこしたことがない。初日に、うっかりちょっかいを出して、引っ掻き傷をつくった嫌な記憶が残っている。とはいっても、文香が椅子ごと接近してきて、強引に渡そうとする。 「こっちが警戒すると、猫も警戒するげんよ。敏感に感じ取るから・・」  そういうものなのか?  ポチの目が、 「お前にできるんか、ボケ!」  と、言っているような気がしないでもない。 (人間も同じなんだろうな)  ふと思った。  前の学校のオレは、最下位から2番目というブービーの劣等感で、卑屈な目をしていたに違いない。  そりゃあ、誰も話しかけてこないか。努力もせずに、ふてくされている奴に・・。  ばあちゃんが言うところの、“人を殺しに行くような目”だもんな。  「猫が大好きっていう気持ちでいかんと・・。心をオープンにしてやね・・」 「お、おう」  頭では理解しても、そう簡単に心はついていけない。  それに、横から見つめられると、違う意味でドキドキしてくる。どうせなら、もたつくついでに、文香を抱き寄せようかと邪念を起こしたが、付き合ってもいない状態では、さすがにまずい。東京もんは、手が早いと思われる。  左手をポチの前足の下に入れ、右手を後ろ足の下に添える。そしてゆっくりと、オレのほうへ移動させる。 「しっかり持って・・」 「お、おお・・」  何だか、2人の間に産まれた赤ちゃんを、抱っこし合っているような気分になる。  「青春やな」  出入り口で、田島社長の声が聞こえた。  その瞬間、オレはまたしてもやってしまった。  両手で持ったばかりのポチを、驚きすぎた反動で、上へ放り投げてしまったのだ。  ポチは反り返った体勢を、空中で立て直す。見事に着地すると、田島社長の足元から、逃げるように出て行った。  もうコイツとは、仲良くなれないかもしれない。 「何やってんのぉ~」  文香にバシッと腕を叩かれた。  動物と相性が悪いんだ。  叩かれた腕をさすりながら、思った。当分、猫の抱っこは、 (無理だ)  マスターできる自信がない。 「赤ちゃんは元気やった?」  文香が社長に聞く。1時間半と言っておきながら、15分も早く帰ってきた。 「おかげさまで・・。そっちは? お母さんの具合」 「大丈夫、単なる疲れみたいで・・」 「お父さんに、イチゴありがとうって言っといてくれるか? まさか、大臣自ら持ってくるとは思わんかった」 「おじいちゃんの役に立ちたかったんやろ。普段できんことやし・・」 「忙しいのに・・」 「でもほんの少し、秘書から逃亡できて、楽しかったって・・。軽トラをブンブン飛ばしたらしい」 「へぇ・・」  と言いながら、社長がこっちを見る。 「あのぉ、オレはこれで・・」  リュックに教科書とノートを詰めた。その話は忘れたい。できれば、イチゴ泥棒と勘違いしたことを、ここで披露してほしくない。 「留守番ありがとな。何もなかったか?」 「はい」 「これ、持ってけ」  スーパーのレジ袋を差し出す。中をのぞくと、個包装のイチゴドーナツが、5つも入っている。会社の商品だ。  一瞬、顔が引きつった。  まだ、うちの冷蔵庫にいっぱい残っている。  もしや、病院の売店で売れ残ったものじゃなかろうか。  しかしここは、 「そんな、気を遣わなくても・・」  うれしい顔をしなければならない。それが人付き合いというものだ。  人の気持ちにまで、考えが及ぶようになったということは、社会性を取り戻しつつあるようだ。 「遠慮すんな」 「はぁ・・」  袋を受け取ったけれど、すっかりありがとうを言い忘れた。そういう気持ちが微塵もないから、出てこなかったのだ。  まだまだ、修行が足りない。  学校の玄関を出ると、雑木林(ぞうきばやし)の上の空は、鮮やかなオレンジ色になっていた。もうすぐ陽が落ちる。わずかに風が吹いていた。  自転車がパンクしたおかげで、歩いて帰らなければならない。  早く帰って、風呂に入ろう。動き回って汗をかいた。冷や汗もかいた。 「お父さんが迎えに来るけど、一緒に乗ってく?」  後ろから、文香がやって来た。 「えっ・・!」  文香がニヤッと笑った。  ああ、これはもう午前中のことを、父親との連絡で知っているパターンだな。 「だ、大丈夫。お父さんにすいませんって、言っといて」 「すいません? 何で・・?」 「え・・?」  もしや、詳しいことまで知らないのか? 「何かあった?」 「いや・・、別に・・」  オレは歩き出した。 「何・・? なんかあった?」  文香が後ろからついてくる。 「いやいや、何でもない。何でもないから・・」  忘れてくれ。  頼むから、父親にも聞かないでくれ。  もう少し一緒にいたかったけれど、大臣と顔を合わせるのは気まずい。 「じゃあ明日」 「明日は土曜だけど・・」 「・・」 「気をつけてね」 「お、おお」  言われたばかりなのに、前方不注意で、奴の存在に気がつかなかった。  ほんの数歩先に、天敵の黒いアイツがいたことを・・。 「うわっ・・!」  びっくりして、抱きついてしまった。  文香に・・。  頼む、今、迎えに来ないでくれ!
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