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15
最後はオレもののちゃんも、悠斗も雪丸も、楽しそうにじゃれ合う光景にはなったけれど、動画の編集は、絶対そうならない。
悠斗の涙を袖で拭き、ののちゃんを抱っこしてあやし、そのあと、雪丸の抱っこ練習と称して、動画撮影が始まったものの、とんだ伏兵がいた。
ポチだ。
ここぞとばかりに、邪魔をしてくる。
雪丸を抱き上げようとするたびに、オレの肩に乗ってきたり、雪丸の背中に飛び乗ったり・・。
おかめの思惑通りとしか思えない。
そのたびに尻もちをついたし、前のめりで倒れた。グダグダの、しっちゃかめっちゃか状態だ。
ダメな姿ばかりが動画になるだろう。ところどころに、いかにもオレを見て笑っているかのような子供の姿を、編集していくに決まっている。
転校4日目でもう、おかめのやりそうなことは見当がつく。
途中から文香がやって来て、口に手を当て、グフッと笑ってオレを見たが、とてもじゃないが、こっちは目を合わせることができなかった。なんせ文香の父親を、泥棒と決めつけてしまったのだから・・。
「はいOK」
リンナの声のあと、オレはふぅ~と息を吐いた。
嫌なら拒否ればいいのだけれど、この先の円満な学園生活を望むなら、無下に断ってはいけない。きっとオレは、円満な結婚生活を送るため、嫌なことにもジッと耐える、けなげな夫になるんじゃなかろうか。
あ、今、気づいた。
親父と同じだ。恐ろしい。
今日も制服が、草やら土やら汗で、グッチャグチャだ。グッチャグチャ。毎日毎日、こんな汚し方をしてくると、母さんなら、
「小学生じゃあるまいし・・」
チクリと文句を言ってくるだろう。つくづく、ばあちゃんでよかったと思う。
スマホが鳴って電話に出ると、
「帰って来たか?」
田島社長の声だった。
「今日は申し訳なかったな」
「いえ、大丈夫です」
「学校に来て、いきなり撮影か。大変やな」
ごくろうさんと、言いたげな調子だった。
どうして、撮影していたとわかるのだろう? 首をひねった。
「たまには、会社に顔を出してな」
そう言って電話は切れたけれど、どこに会社があるというのだろう? 病院の売店で買ったイチゴドーナツの袋はもう捨ててしまったから、住所がわからない。
「田島社長なら、あそこにおるぞ」
そばで会話を聞いていた泰河が、校舎を指さした。
「え・・?」
「3階の空き教室に、会社があるげん」
「学校の中に・・?」
「何かおかしいか?」
いやいやいや、常識的におかしい。
とは思ってみたものの、考えてみれば、1階に津野島サロンがあるではないか。調理実習室に、おばちゃんたちがいるではないか。生徒以外の出入りは、動物も含めて、自由になっている。
前の学校は、部外者は一切入れなかった。それが普通だろう。不審者が入ってきて、子供に危害を加えてはいけないし、実際、そんな痛ましい事件だって過去にはあった。
それとも、いざというときのために、番犬を置いているのだろうか?
「ちょっと行ってくる」
オレはリュックを担ぐと、校舎に入った。階段を上がっているとき、
「そういうことか・・」
はたと気がつき、足が止まった。
病院から会社へ電話をしたとき、従業員の女性が、“例の子”と言った意味が・・。
クロノラに2日連続で追われたことも、ポチに驚いてケガしたことも、悠斗のおしっこ被害に遭っていることも、同じ校舎内にいれば、ツウツウだ。
「はぁ~」
ドジっぷりが、思いも寄らない範囲にまで知れ渡っている。
そして調理実習室が、食品工場で確定。恐ろしい高校だ。
校舎の3階は、主に1年生の教室と音楽室。音楽室は校舎の端にあるが、もう一方の端に、会社はあった。ドアに、株式会社フランデルと書いてある。
信じられない。本当にある。
隣は1年1組の教室。
取引先の人がやって来て、商談をすることもあるだろうに・・。制服を着た高校生と、スーツを着たサラリーマンが、同じ建物を行き来する。
(んん~)
新感覚のお菓子を食ったぐらいの、不思議さだ。
目の前のドアが急に開いて、
「うわっ・・!」
尻もちをついた。
オレはこんなに、ビビりだったろうか? ここに来てから、ちょっとしたことに驚いてばかりだ。
目線を上げると、初が立っている。
「お客さんです」
奥に向かって声をかけた。
「約束はなかったけどなぁ」
田島社長の声が聞こえてくる。
「桃太郎だよ」
初が言う。
「仙太郎だっつうに・・。何でお前がここにいるんだ?」
「将来、僕がこの会社を引き継ぐんで・・」
「はぁ・・?」
「息子」
社長が、パソコンから顔を上げた。
「息子・・?」
(はっはぁ~。そういうことか・・)
転校初日のオレの様子を、ばあちゃんに報告してお駄賃をもらっていたが、何もここまで来なくても、父親がいれば、電話で探りを入れることができる。社長は忙しいだろうから、バイトの女性に聞くこともできるだろうし、高校生とも仲がよさそうだから、いろいろ聞けるではないか。
(なるほどな)
学校に行っていたなら安心だ。
人のことを心配している場合ではないけれど・・。
「僕は御曹司ですから・・」
初が言い換える。
「名門、名士の息子っていう意味だぞ、御曹司は・・」
校舎に事務所を構えるような会社じゃ、御曹司とは言わない。さすがに言ってやろうかと思ったけれど、社長がいるからやめた。
「藤四郎くんや、泰河くんのことを言うんですね?」
「まあ、そうだな」
認めたくはないけれど、明らかに、一般ピープルと毛並みが違う。
「お父さん、がんばって上場しよう」
こぶしを握りしめる。
コイツ、ホントに小学生か?
「そうや、名刺渡しとくわ」
社長が引き出しを開け、名刺入れから1枚抜き取る。
代表取締役社長・田島秀人と書いてあった。裏返すと、食品やグッズなどの製造・販売以外に、イベントの企画や人材派遣も書いてある。
「ここは、高校生のバイトを集めやすいしな。農作業やイベントの人員確保が簡単や」
「はぁ・・」
「とにかく、津野島の魅力を発信せんとな。盛り上げるためなら、何でもやろうと思って・・。それに働く場がないと、人が出て行くさけ。できれば、観光客を呼べるような場所も作りたいし・・」
「観光牧場ですか?」
「ま、いずれな。去年、会社を立ち上げたばっかりやから・・。とりあえず、今の仕事を軌道に乗せんと・・」
「はぁ・・」
「だからヤギ部に、しっかりがんばってもらわんとな」
オレの肩に手を乗せる。
「お父さんが、雪絵を連れてきたから・・」
「そうなんですか?」
「まぁ・・。頼んだぞ、あの2匹は、観光牧場の足がかり。大事な商品。雪絵には、これからドンドン子を産んでもらって・・。そしてうちも、いずれ社員を採用して・・」
「社員はいないんですか?」
「バイトの女性が1人だけ・・。もう帰ったけど・・」
病院から電話をかけたときに出た女性だろう。
「学校に会社があるなんて、変わってますよね?」
黒板もそのまんまの教室だ。予定やら目標やら、連絡事項が書いてある。廃校になった校舎を貸しているならわかるけれど・・。
「だよな」
この人の感覚は、オレと同じだ。東京から来ると、やっぱりおかしいと感じる。
「でもまぁ、理事長が格安で貸してくれるっていうから・・」
藤四郎の父親か。
「家賃はバカにならんからな」
「お父さん、そろそろ・・」
初が、社長の袖を引っ張る。
「おお、そうやそうや」
「どこか行くんですか?」
「病院」
「ああ」
産まれたばかりの赤ちゃんを、初と見に行く約束をしているという。
「早く早く」
「ああ、まだやることいっぱいあんのに・・」
「仙太郎が、留守番してくれるって・・」
どうやら頼み事をしたいときだけ、名前を間違えないようだ。
「いいですよ」
「ほな、1時間半ぐらいで帰ってくっから、何ならここで勉強していけ。会社の電話は留守電にしとくさけ」
「はい」
「何もないとは思うけど、何かあったら、携帯に電話してくれ」
初にせかされ、あっという間に出て行った。
家にいるより、集中できる。授業に出なかった分を、何とかここで取り戻したい。
従業員の机を借りて、数学Ⅱの教科書を開く。
ニャーと鳴き声が聞こえてきた。開いた窓から、ポチが入ってくる。机に飛び乗って、オレのペンケースに頭を乗せて寝始めた。
ネコパンチがくると怖いから、机の上にあったペン立てから、シャーペンを借りて勉強した。
ちょっかいを出さなければ、ポチは邪魔してこないだろう。相手をしている場合ではない。
非の打ち所がないド田舎王子に、負けるわけにはいかないのだ。
ドジで、何もできない転校生ではない。本来、オレの性格は違う。
動物や子供という苦手分野に、あくせくしているだけだ。得意分野で、クールな己を取り戻してみせる。
テスト範囲の教科書を、ブツブツと声に出して読む。例題をノートに写しながら、解法を覚えていく。数学だって暗記科目だ。
勢いよく15ページを攻略する。
ポチが、いつの間にか動いていたこともわからなかった。
どれだけの時間が経っているのか。スマホで確かめると、あっという間に1時間が経っている。
椅子の背もたれに寄りかかって、ふぅ~と息を吐くと、
「すごい集中力」
デスクトップのパソコンが置いてある向かいの机に、文香が座っていた。ポチを抱っこしている。
「うわっ・・!」
まさか人がいたとは思わず、椅子ごと後ろへ倒れた。
ああ、キャビネットがあってよかった。何もなければ、そのままゴンと、床に頭を打ちつけていた。またしても脳しんとうでは、今度こそ、あの病院に連れていかれる。
一日に三度も行きたくない。
絶対、あの病院には、世話になりたくないのだ。
「い、いつの間に・・」
倒れた椅子を直した。
「10分ぐらい前から・・」
「言ってくれればいいのに・・」
「声、かけれんかったわ」
「・・」
「すごいね」
そう言われて、悪い点数を取るとシャレにならない。
短い言葉の意味に、前の学校のことも含まれているなら、とてつもなく気まずい。なんせ名門校でも、落ちこぼれなのだから・・。
今でも、あの学校で勉強している奴らがすごいのであって、オレはドロップアウトした情けない奴なのだ。
「わからんとこあったら、戸波くんに聞こうかな?」
「オレも、勉強始めたばっかだし・・」
こういうときは、2人きりになるチャンスだから、いつでも教えると言えばいいのだけれど、聞かれて自分がわからないと困る。
挽回できそうな分野で、つまずくわけにはいかない。
「社長は・・?」
「あと30分ぐらいで帰ってくる」
スマホで時間を確認する。
「ふ~ん」
文香は30分をどう過ごそうか、思案している風に見えたから、
「あ、そうだ。定期テストの問題って、どんな感じ?」
オレは数学の教科書や問題集を、文香に見せた。
事前に知っておく必要がある。どういう問題が出題され、難易度の高い問題が、どれくらいの配点で出るのか。傾向があるならば、それに沿って勉強ができる。
テストまでは時間がない。学習が遅れている分、要領よく勉強していかなければならないのだ。今までに、出たことがない問題を解く練習をして、ムダに時間を費やすわけにはいかない。
できれば3年生から、去年のテスト問題を見せてもらうのが一番だ。それを分析すれば、一番手っ取り早いのだけれど、さすがに文香が、先輩から問題を見せてもらっているとは思えない。そもそも、学校内のテストに対して、そこまではやらないだろう。
「数学は基本問題が多い? それとも応用? 難易度って、教科書に出てくるレベル? それとも入試レベルの問題もある?」
オレは問題集を開き、A,B,Cと難易度の違う問題を指した。基本は何とかなるから、あとは応用に、どれだけ対応できるかだ。
「いや~、そこまではちょっとぉ・・」
その返答だけで、文香は数学ができないとわかる。
ポチの頭を撫でながら、
「毎回、赤点ギリギリねんて・・」
ハハッと笑う。
一番知りたい数学の情報は得られなかったが、照れ笑いがかわいいからよしとしよう。
「国語と英語なら、何とか・・」
メモを取るつもりだったけれど、ほとんど内容が頭を素通りした。女子と2人っきりで、顔をつき合わせて話をするなんて、夢のような青春は今までなかったのだから・・。
英語は割と得意だから、
(ま、いいか・・)
藤四郎に勝つことも大事だが、甘い青春を謳歌することのほうが大事だ。このまま社長が、大幅に遅れてくることを期待しよう。
「そうや、生物の授業で、テスト対策のプリントもらってん。戸波くんの分もあるから・・」
もしや、オレのためにもらってくれた?
視界に入っても、頭で認識しないような男なら、こんなことはしないはず。
これは脈ありか?
ド田舎王子の片思いなのか?
「ちょっと、ポチを持ってくれる?」
「え・・」
猫なんて、抱っこしたことがない。初日に、うっかりちょっかいを出して、引っ掻き傷をつくった嫌な記憶が残っている。とはいっても、文香が椅子ごと接近してきて、強引に渡そうとする。
「こっちが警戒すると、猫も警戒するげんよ。敏感に感じ取るから・・」
そういうものなのか?
ポチの目が、
「お前にできるんか、ボケ!」
と、言っているような気がしないでもない。
(人間も同じなんだろうな)
ふと思った。
前の学校のオレは、最下位から2番目というブービーの劣等感で、卑屈な目をしていたに違いない。
そりゃあ、誰も話しかけてこないか。努力もせずに、ふてくされている奴に・・。
ばあちゃんが言うところの、“人を殺しに行くような目”だもんな。
「猫が大好きっていう気持ちでいかんと・・。心をオープンにしてやね・・」
「お、おう」
頭では理解しても、そう簡単に心はついていけない。
それに、横から見つめられると、違う意味でドキドキしてくる。どうせなら、もたつくついでに、文香を抱き寄せようかと邪念を起こしたが、付き合ってもいない状態では、さすがにまずい。東京もんは、手が早いと思われる。
左手をポチの前足の下に入れ、右手を後ろ足の下に添える。そしてゆっくりと、オレのほうへ移動させる。
「しっかり持って・・」
「お、おお・・」
何だか、2人の間に産まれた赤ちゃんを、抱っこし合っているような気分になる。
「青春やな」
出入り口で、田島社長の声が聞こえた。
その瞬間、オレはまたしてもやってしまった。
両手で持ったばかりのポチを、驚きすぎた反動で、上へ放り投げてしまったのだ。
ポチは反り返った体勢を、空中で立て直す。見事に着地すると、田島社長の足元から、逃げるように出て行った。
もうコイツとは、仲良くなれないかもしれない。
「何やってんのぉ~」
文香にバシッと腕を叩かれた。
動物と相性が悪いんだ。
叩かれた腕をさすりながら、思った。当分、猫の抱っこは、
(無理だ)
マスターできる自信がない。
「赤ちゃんは元気やった?」
文香が社長に聞く。1時間半と言っておきながら、15分も早く帰ってきた。
「おかげさまで・・。そっちは? お母さんの具合」
「大丈夫、単なる疲れみたいで・・」
「お父さんに、イチゴありがとうって言っといてくれるか? まさか、大臣自ら持ってくるとは思わんかった」
「おじいちゃんの役に立ちたかったんやろ。普段できんことやし・・」
「忙しいのに・・」
「でもほんの少し、秘書から逃亡できて、楽しかったって・・。軽トラをブンブン飛ばしたらしい」
「へぇ・・」
と言いながら、社長がこっちを見る。
「あのぉ、オレはこれで・・」
リュックに教科書とノートを詰めた。その話は忘れたい。できれば、イチゴ泥棒と勘違いしたことを、ここで披露してほしくない。
「留守番ありがとな。何もなかったか?」
「はい」
「これ、持ってけ」
スーパーのレジ袋を差し出す。中をのぞくと、個包装のイチゴドーナツが、5つも入っている。会社の商品だ。
一瞬、顔が引きつった。
まだ、うちの冷蔵庫にいっぱい残っている。
もしや、病院の売店で売れ残ったものじゃなかろうか。
しかしここは、
「そんな、気を遣わなくても・・」
うれしい顔をしなければならない。それが人付き合いというものだ。
人の気持ちにまで、考えが及ぶようになったということは、社会性を取り戻しつつあるようだ。
「遠慮すんな」
「はぁ・・」
袋を受け取ったけれど、すっかりありがとうを言い忘れた。そういう気持ちが微塵もないから、出てこなかったのだ。
まだまだ、修行が足りない。
学校の玄関を出ると、雑木林の上の空は、鮮やかなオレンジ色になっていた。もうすぐ陽が落ちる。わずかに風が吹いていた。
自転車がパンクしたおかげで、歩いて帰らなければならない。
早く帰って、風呂に入ろう。動き回って汗をかいた。冷や汗もかいた。
「お父さんが迎えに来るけど、一緒に乗ってく?」
後ろから、文香がやって来た。
「えっ・・!」
文香がニヤッと笑った。
ああ、これはもう午前中のことを、父親との連絡で知っているパターンだな。
「だ、大丈夫。お父さんにすいませんって、言っといて」
「すいません? 何で・・?」
「え・・?」
もしや、詳しいことまで知らないのか?
「何かあった?」
「いや・・、別に・・」
オレは歩き出した。
「何・・? なんかあった?」
文香が後ろからついてくる。
「いやいや、何でもない。何でもないから・・」
忘れてくれ。
頼むから、父親にも聞かないでくれ。
もう少し一緒にいたかったけれど、大臣と顔を合わせるのは気まずい。
「じゃあ明日」
「明日は土曜だけど・・」
「・・」
「気をつけてね」
「お、おお」
言われたばかりなのに、前方不注意で、奴の存在に気がつかなかった。
ほんの数歩先に、天敵の黒いアイツがいたことを・・。
「うわっ・・!」
びっくりして、抱きついてしまった。
文香に・・。
頼む、今、迎えに来ないでくれ!
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