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16
平穏無事に過ごすこと。
それが唯一の望みだけれど、青春のドキドキは毎日あってもいい。
土日のほとんどをテスト勉強に費やしていたが、教科書から顔を上げ、オレは時折ニヤニヤ、ニヤニヤ・・。
文香に抱きついてしまったことを思い出すと、自然と頬がだらしなく緩んだ。
柔らかい感触と、ほのかに香ったイチゴのような匂いが、忘れられない。
「ごめん」
慌てて離れたことが悔やまれる。
ああいう状況のときに限って、クロノラはすぐに退散していった。できれば、初日や2日目みたいに、執拗に追いかけてくれれば、再び文香に抱きつくチャンスがあったかもしれない。
「はぁ~」
オレは汗臭くなかったろうか? それが心配だ。
ぼんやりと、机の前の壁を見つめる時間が多くなった。そのたびに藤四郎の、
「今さら2番はないな。相手が、ドジな転校生Sやと余計に・・」
フッと浮かべた不敵な笑みを、強制的に思い出した。
アイツの言葉が今、シャーペンを握りしめ、ノートに字を埋め尽くして勉強する原動力の1つになっている。偏差値が10以上も下がる津野島で、負けるわけにはいないし、本来のクールな自分を取り戻したい。
じいちゃんとばあちゃんが、
「勉強なんてせんでもええ! もう十分やろ」
食事のたびに言ってくるけれど、
「やらされてるんじゃねぇ、自分からやってる」
そのせいか、勉強の内容は難しくても、すんなり頭に入ってきた。
それに、長時間もダラダラと、勉強しているわけではない。時間を区切ってメリハリをつけている。勉強の合間に、パンクを直したチャリで海へ行き、気分転換をしている。昼寝だってしている。疲れる前に、しっかり休んでいるのだ。
早く月曜になって、学校へ行きたかった。
1週間前とは大違いだ。
文香に会いたい。そのために行きたい。
気持ちが前のめりになっているから、月曜日の朝は、いつもより早く起きた。寝癖のついた髪を水で濡らし、ほとんど使ったことのないドライヤーで整えた。
イヤホンから、16ビートのハードロックに合わせてチャリをこいでいると、わずか4曲で学校に着いた。金曜日のことを思うと、あっけない到着だ。
初日と同じくらい、いやそれ以上に、教室へ入るときはドキドキした。文香しかいなかったらどうしようと思ったけれど、そんな心配はまったく無用だった。
教壇の横で、女子が数人群がっている。
「かわいいかわいい」
輪になって、何かをのぞき込んでいた。
ポチの子でもいるのかと思ったら、
「見て戸波くん、かわいいやろ?」
文香がクルリと振り向いた。それだけなのに、ドキッとした。
(どうしよう?)
まともに顔を見ることができない。うつむいたままでいると、
「ほら、見て!」
抱えているものを見せてくれる。
「え・・?」
ヤギ・・?
いやいや違う。
人間の赤ちゃんだ。何ヶ月なのだろう? まだ首が座っていない。
これが初日の出来事だったら、確実に目が点になっている。
一瞬、ヤギと間違えたのは、白いタオルで作ったヤギの着ぐるみのような帽子を、かぶっていたからだ。おかめリンナが作ったという。
「ああ、あたしも赤ちゃんがほしいわぁ」
おかめが言う。十分、妊婦で通用する腹だ。
それにしても、誰の子だろう?
「ああ、田島社長の赤ちゃんか」
オレが思い出したように言うと、
「バッカじゃない?」
女子が口をそろえて言う。
久しぶりだ。面と向かってバカと言われるのは・・。
「社長の子供は、金曜に産まれたばっかねんよ。しかも未熟児やし。そんなに早く、退院するわけないが」
常識も知らないのかと、みなが呆れ顔でオレを見るから、思わず後ずさった。
そんなこと、自分だけじゃなくて、高校生の男子はみな知らない。多分・・。
「ほっぺがプ二プ二。そっくりやね」
リンナが、文香を見てほほえんだ。
(まさか、文香が産んだ?)
いやいや、いくら何でも飛躍した考えだ。高校生ではないか。
結婚してもいないのに、赤ちゃんを学校に連れてきてはダメだろう。というより、何で教室に赤ちゃんがいる?
どうしてこの状況を、誰もおかしいと思わないのか?
短時間でめまぐるしく、あれこれ考えてしまった。
悪いクセだ。
(いや、いいのか・・)
なんせ、ここは津野島高校だ。
犬がいて、猫がいて、オカメインコがいて、ヤギもいる。カバもいれば猿もいる。おかめだって目の前にいる。クラスにはターザンだっている。サロンに行けば、お年寄りと就学未満の子供がいる。調理実習室には、おばちゃん達がいる。3階に、会社の事務所だって入っているのだ。
世間の常識には、おさまらない学校だった。
「抱っこしてみる?」
おかめがオレに聞く。
「え・・」
「ダメダメリンナ。戸波くん、うっかり落とすから・・」
どういうことだよ。
そりゃあ、雪丸は落としたし、ポチにいたっては、投げ飛ばしたけれど・・。
「それもそうやね、戸波くんって、ちょっとドジ入っとるからね」
「・・」
ド田舎に来て、空気感の違いに調子が狂っているだけで、本来はスマートだ。
始業時間が迫ってきたから、
「じゃあ、預けてくる」
文香が教室を出て行った。きっとサロンへ連れて行くのだろう。
0歳児までありなのだ、この高校は・・。
逆に、恐ろしい所だ。
学校という概念を、捨てたほうがいい。
念のため、
「誰の子供?」
おかめに聞くと、
「誰やと思う?」
やや声を低くする。そういうじらしはやめてほしい。
おかめがオレの腕をつかんで、誰もいない窓際へ引っ張っていくと、
「文香の子」
耳元でささやいた。
「え・・」
マジマジと、おかめの顔を見てしまった。心臓が急に波打った。
「そんな、まさか・・」
現職の大臣の娘が、高校生にして子供を産んだとなると、世間が放っておかない。ワイドショーの餌食にならないだろうか?
「夫は誰やと思う?」
小声で続ける。
「夫・・? 結婚してるのかっ!」
「シッ・・! 声がでかい、声が・・」
「いや、でも・・」
「普通、結婚もせんと子供産む?」
子ができてから、結婚するカップルだっていっぱいいる。
その前に、高校生で夫婦のほうが、普通じゃない。漫画やドラマの設定ならありかもしれないけれど・・。
いや、待てよ。
ここは、世間の常識が通用しない。
なんせ、津野島高校だ。
「だ、誰・・?」
「あっ、夫が来た」
おかめがチラリと、出入口に視線を投げる。ガラッと戸が開いた。
「おはよう」
文香の夫が、教壇に立つ。
このときの衝撃を、何と表現すればいいのだろう?
浦島太郎が玉手箱を開けたあと、自分の置かれた状況を知ったときと同じではなかろうか。信じられないし、信じたくもない。
胸がザワザワして、気持ちが現実に追いつかない。指先が軽く震えている。
先生と生徒が夫婦。それはまさに、禁断の関係。
親の離婚話に匹敵する衝撃度だ。ド田舎に来る前は、オレの両親がそんな話をしていて、食事が喉を通らないくらいにショックを受けた。
もうこの学校で、驚くことはないと思っていたが・・。
校長先生の“いいがや”精神で、何でもありなのだ。
子供を産んだということは、その前に、子作りのしかるべき行動を、カバ田としているということだ。
カバ田と・・。
そんなことができるのか、カバと・・。
「どした?」
前の席にいた泰河が、オレの顔をのぞき込む。
「具合でも悪いがか?」
目の前で、泰河がバイバイするように手を振ったが、目の焦点が合っていない。視界まで、ぼやけてきたような気がする。
藤四郎の片思いはどういうことなのだ? もしや、人妻に恋しているのか?
そしてオレは、人妻に抱きついてしまったのか?
それからの授業は全部、内容が頭を素通りした。テストに向けて、集中するつもりだったのに・・。
今日はもう、
(カバ田の顔は見たくない)
地獄すぎると思っていたら、そういうときに限って、昼休みの時間に職員室へ呼ばれた。
登校初日に、拷問のような服に着替えたミーティングルームで、カバ田はヤギ帽子をかぶった我が子を抱いていた。その隣にポチもいる。
2人の愛の結晶かと思うと、めまいがしそうだったが、
「か、かわいいですね」
一応、社交辞令を言ったら、
「そやろ、僕に似て・・」
うれしそうに、きめの細かい真っ赤な頬を、指でプニプニと押す。
その頬がどんどんぷっくりして、カバになっていくのだろうか。女の子だというから、この先が心配だ。
優しそうなパパではあるけれど、文香はカバ面のどこがよかったのか。
オレのほうが断然背も高いし、顔だってシュッとしている。大体、眼鏡が手の脂でギロギロに汚れている。そんな奴のどこがいい?
土日に文香のことを思い出して、浮かれていた自分がバカだった。
「まぁ、座れ」
と言うから、テーブルをはさんだ向かいに腰かけた。
「ヤギ部の部長にならんか?」
カバ田がいきなり切り出した。そういえば、ヤギ部の顧問だった。
「え、でも、松田さんは・・?」
文香が部長だ。ヤギがつないだ縁で間違いない。
「家の事情でちょっとな」
子育てが、忙しくなるということだろうか。
オレがしばらく黙っていると、
「露地もんのイチゴは、これからがかき入れ時や。なんとかイチゴ狩りのお客さんを、たくさん呼ばんとな。それに、母親の体調が、ちょっと悪いさけ」
「はぁ・・」
「それに・・、ニュース見たか?」
ニュースの種類にもよるが、とりあえずうなずいた。
「選挙や、選挙。衆議院の・・」
「総選挙ですか?」
「そうや。間違いなく解散するやろ」
政治は苦手だから、解散の大義名分はさすがにわからない。
「母親の代わりに、手伝うことになるやろ。イチゴのこともあるし、選挙もあるとなると、ヤギ部のことまで気が回らん」
「はぁ・・」
そんなことより気になるのは、目の前の赤ちゃんの母親が、本当に文香なのかということだ。
「松田先生の票は堅いし、何と言っても現職の大臣や。大丈夫やとは思うけど、ほんでも、選挙活動は気を抜いたらいかん」
「先生も手伝うんですか?」
大臣の娘の夫として・・。
「僕じゃなくて、妻が婦人部で手伝うやろ」
「奥さん・・?」
「松田と同じ町内やから・・」
「ああ~」
額に手を置いた。
(やられた・・)
冷静に考えたら、あり得るわけがない。
おかめの冗談を、真に受けてしまった。
この学校なら、もしかして有りなのかと・・。
ソファーの背もたれに、力なく倒れ込んだ。
だましたおかめリンナに腹は立たないが、こんなバカバカしい見え透いた嘘に引っかかるなんて、どうかしている。
認めたくはないけれど、自分はきっと、詐欺に遭いやすいタイプだ。
「どうした?」
「いや、何でもないです」
重役座りみたいに、反り返っていた体を戻した。
文香は誰のものでもない。希望の光が射し込んで、全身に力が戻ってきた。
「どうせ市川が、しょうもない嘘を言ったんやろ?」
さすが顧問。部員をよく見ているようだ。
「転校生をからかったらダメやて、言うたがに・・。ただでさえ、ここは普通と違うんやから・・」
「そうですよね?」
「そりゃそうや。普通、職員室で自分の子供をあやせるか? サロンに子供を預けられるか? 学年主任が猫って、ありえるか?」
毛づくろいをしているポチを見る。
やっぱり、そう思うのが普通だ。
「でも、これで助かっとる。近くに子供がおるから安心できるし、お年寄りは面倒もみてくれる。子育ての先輩として、相談にものってくれる。こんなありがたいことはない。おかげで、妻も働きに行けるしな。同じ校舎内やけど・・」
「え、教師なんですか? 奥さんも・・」
「いや」
「保健の先生?」
「あのな、歳、離れすぎやろ」
「そうですよね?」
母さんと同じぐらいのはずだ。
「田島社長に会ったやろ?」
「はい」
「そこの会社で、事務のバイトしとる」
「ああ~」
電話で話をした人だ。オレを、“例の子”と言った人だ。そのうち、顔を見に行こう。
「あの会社には、がんばってもらわんとな。津野島を少しでも活性化させるため、妻を社員に格上げするため、将来の観光牧場のためにも・・」
赤ちゃんが、先生の太い人差し指を、ギュッと握りしめる。
「戸波もがんばってくれ。ヤギを増やさないかん」
「・・」
普通だった人も、普通の感覚でなくなるのが、津野島マジックなのかもしれない。
「ウサギも飼おうかって話が、出とるんやけど・・」
「ヤギに特化したほうが・・」
「やっぱそうやな。さすが戸波」
さすがと言われる意味がわからない。ヤギ牧場にするなら、ヤギだけでいいだろう。というより、ヤギだけで手一杯だ。
「いきなり部長っていうのも心配なら、部長代理とか部長補佐にするか?」
そう言って、1人で笑う。代理とか補佐って、どこの役所の肩書きだよ。
隣の校長室のドアが開き、
「いいがや、いいがや、いいがいね」
オカメインコのゴン太の声が聞こえてくる。
校長が出てきて、オレの姿を見るなり、
「戸波くん、そろそろ慣れてきたか?」
声をかけてくれた。
気にしてくれるのはありがたいけれど、慣れませんとははっきり言えない。世間の非常識がいろいろありすぎて、ついていくだけで精一杯だ。
ただ、常識にとらわれていると、過疎地域は生き残っていけないのかもしれない。
現に高校の教室を、会社の事務所として貸しているということは、生徒数が減っているということだ。
知恵を絞っていかないと、いずれ限界集落になる。その先は、ゴーストタウンだ。
「ヤギ部に入ったんやて?」
「あ、はい」
「かわいいやろ?」
「まぁ・・」
「毎日の世話が大事やさけ、みんなと一緒に頼んだぞ。部長代理!」
校長はオレの肩に手を置いた。
「部長でいいです」
「ほな、決まりな」
カバ田がニヤリと笑う。
ポチもニャーと鳴いた。
オレはムリに頬を引き上げ、笑顔を作った。
ああ、憧れる。サッカーやバスケ、テニス部の部長。
同じ部長でも、かっこよさが全然違う。主役級の俳優と、エキストラぐらいに違う。なぜ大都会東京から来たこのオレが、ヤギ部の部長なんだ!
もし姉ちゃんが聞いたら、腹を抱え、目尻に涙を浮かべて大笑いするだろう。いっそサッカー部で、青春の汗を流していると言っておこうか。
午後の授業が始まる前に、ヤギ小屋へ行ってみた。
「おかめがすればいいのに・・」
オレの先に、おかめは部長になることを断ったらしい。転校してきたばかりの、動物が苦手な人間に押しつけるなんて、無謀だし、無責任だ。
雪丸はオレを見ると、前足をバタバタさせて近づこうとする。リードが廃タイヤにつながっているから、その範囲でしか動けない。
小屋の前は広い牧草地なのに、自由に動けないのはかわいそうだ。
雪絵を係留している廃タイヤを、5メートルほどずらした。草を食べる場所を移動する。雪丸のリードは、タイヤからはずして手に持った。わずかな時間でも、散歩させてあげよう。
するといきなり、雪丸は走り出した。
牧草地を、軽快に駆け回る。動きたくて仕方がなかったのだろう。
地面は、いろんな雑草ででこぼこしているから、オレはバランスを崩して転んだ。その拍子に、リードが手からスルスルと離れていく。
解放された雪丸は、うれしそうに右へ左へ、飛び跳ねるように駆けずり回る。どんどん小屋から離れていく。
(やばい・・)
何度も転びそうになりながら、必死に追いかけた。
裏山の手前で動きが止まり、その瞬間を逃すまいと、右足を大きく前に出して、リードを踏む。
たいして走ってもいないのに、息が上がった。
動物を飼うのも体力勝負だ。
足で押さえたリードを、今度は手でしっかりと握る。
「はぁ~」
ケヤキの日陰に腰掛けた。
雪丸の背中をなでると、オレの横に座り、頭を太ももにのせてくる。
かなり、なついてきた。
「そうだ・・」
部長の初仕事として、柵を作ろう。そうすればリードはいらない。柵の中で、思いっきり動き回ることができる。高台をこしらえて、遊べるようにもしよう。
ヤギも人間も、窮屈な場所ですこやかに育つわけがない。
田島社長に、観光牧場のシミュレーションだと言えば、柵用の木材を調達してくれるかもしれない。
ケヤキの若葉が、サラサラと風になびく。
ぐるりと見渡すと、グランド以外は緑一色だった。
イチゴのような形の雲を眺め、
「大臣の娘かぁ・・」
ピラミッドの頂点に、文香がいるような感覚だ。とても上には登れそうもない。
権力格差が大きすぎる。
方や国務大臣、方や中小企業の一課長だ。
とはいっても、選挙で落選すれば、イチゴ農家に戻るだけか。
「ないな。その可能性は・・」
後援会のパーティーに、小宮山総合病院の院長やら、地主が来ていたとなると、地元のパイプは太そうだ。
親を比較してはいけないが、どんな仕事を選び、どれだけ仕事に打ち込んできたかで、20年後30年後の人生に、これだけの大きな差がついてしまう。
「何も持ってないうちの子は、がんばって勉強するしかない。頭で勝負するしかないの」
母さんの口癖を思い出した。瞳に炎が見えそうなほど、メラメラと敵対心をむき出しにしていた。セレブのような人たちに・・。
もしかしたら同級生で、たいした苦労もせず、コネで大企業に入った友達がいたのかもしれない。親のスネをかじり、ブランド品を身につける友達がいたのかもしれない。
でなければおかしい。
オレの教育に対する執着の仕方が・・。
理不尽で、悔しい思いをしたならば、母さん自身ががむしゃらに、勉強すればよかったのだ。息子を使って、リベンジしてほしくない。道具じゃないんだ。
こっちは、一晩で全身にじんましんができるくらい、ストレスを受けていたのだ。
親は両方とも高卒で、大学に行けなかったというコンプレックスは根深い。だからこそ、息子にかける期待が半端ない。
でも今は、勉強するなら自分のペースでしたい。
「強制されたくないよなぁ、雪丸」
風が心地よくて、ついウトウトした。
調理室からもらってきたおにぎり3つは、ちょっと量が多かったかもしれない。それプラス、おかずも2品食べている。
どれくらい寝ていたのだろう。
太ももや股間がくすぐったい。目を開けると、黒いアイツが股の間に入り込んでいた。
「うわっ・・!」
飛び上がって、木に登る。
セミのように、幹に張りついてジッとしていたら、遊んでくれないと思ったのか、奴は何度も振り返りながら、名残惜しそうに去っていく。
ケヤキからずり落ちるように地面に着地すると、ホッと胸をなで下ろした。
そして、はたと気がついた。
「あれ・・?」
雪丸がいない。
握っていたはずのリードがない。
周囲を見回すと、ヤギらしき白い影は、牧草地の雪絵だけ。
虫かごを持った悠斗が、体育館の横の草むらにいたから、
「雪丸見なかったか?」
期待しないで聞いてみたら、黙って裏山を指した。
「まいったなぁ」
もう午後の授業が始まっているだろう。
いなくなってから、さして時間は経っていないとみた。きっと、そう遠くには行っていないはず。
ところが、そのまま行方不明になった。
雪丸じゃなくて、オレが・・。
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