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 平穏無事に過ごすこと。  それが唯一の望みだけれど、青春のドキドキは毎日あってもいい。  土日のほとんどをテスト勉強に費やしていたが、教科書から顔を上げ、オレは時折ニヤニヤ、ニヤニヤ・・。  文香に抱きついてしまったことを思い出すと、自然と頬がだらしなく緩んだ。  柔らかい感触と、ほのかに香ったイチゴのような匂いが、忘れられない。 「ごめん」  慌てて離れたことが悔やまれる。  ああいう状況のときに限って、クロノラはすぐに退散していった。できれば、初日や2日目みたいに、執拗に追いかけてくれれば、再び文香に抱きつくチャンスがあったかもしれない。 「はぁ~」  オレは汗臭くなかったろうか? それが心配だ。  ぼんやりと、机の前の壁を見つめる時間が多くなった。そのたびに藤四郎の、 「今さら2番はないな。相手が、ドジな転校生Sやと余計に・・」  フッと浮かべた不敵な笑みを、強制的に思い出した。  アイツの言葉が今、シャーペンを握りしめ、ノートに字を埋め尽くして勉強する原動力の1つになっている。偏差値が10以上も下がる津野島で、負けるわけにはいないし、本来のクールな自分を取り戻したい。  じいちゃんとばあちゃんが、 「勉強なんてせんでもええ! もう十分やろ」  食事のたびに言ってくるけれど、 「やらされてるんじゃねぇ、自分からやってる」  そのせいか、勉強の内容は難しくても、すんなり頭に入ってきた。  それに、長時間もダラダラと、勉強しているわけではない。時間を区切ってメリハリをつけている。勉強の合間に、パンクを直したチャリで海へ行き、気分転換をしている。昼寝だってしている。疲れる前に、しっかり休んでいるのだ。  早く月曜になって、学校へ行きたかった。  1週間前とは大違いだ。  文香に会いたい。そのために行きたい。  気持ちが前のめりになっているから、月曜日の朝は、いつもより早く起きた。寝癖のついた髪を水で濡らし、ほとんど使ったことのないドライヤーで整えた。  イヤホンから、16ビートのハードロックに合わせてチャリをこいでいると、わずか4曲で学校に着いた。金曜日のことを思うと、あっけない到着だ。  初日と同じくらい、いやそれ以上に、教室へ入るときはドキドキした。文香しかいなかったらどうしようと思ったけれど、そんな心配はまったく無用だった。  教壇の横で、女子が数人群がっている。 「かわいいかわいい」  輪になって、何かをのぞき込んでいた。  ポチの子でもいるのかと思ったら、 「見て戸波くん、かわいいやろ?」  文香がクルリと振り向いた。それだけなのに、ドキッとした。 (どうしよう?)  まともに顔を見ることができない。うつむいたままでいると、 「ほら、見て!」  抱えているものを見せてくれる。 「え・・?」  ヤギ・・?  いやいや違う。  人間の赤ちゃんだ。何ヶ月なのだろう? まだ首が座っていない。  これが初日の出来事だったら、確実に目が点になっている。  一瞬、ヤギと間違えたのは、白いタオルで作ったヤギの着ぐるみのような帽子を、かぶっていたからだ。おかめリンナが作ったという。 「ああ、あたしも赤ちゃんがほしいわぁ」  おかめが言う。十分、妊婦で通用する腹だ。  それにしても、誰の子だろう? 「ああ、田島社長の赤ちゃんか」  オレが思い出したように言うと、 「バッカじゃない?」  女子が口をそろえて言う。  久しぶりだ。面と向かってバカと言われるのは・・。 「社長の子供は、金曜に産まれたばっかねんよ。しかも未熟児やし。そんなに早く、退院するわけないが」  常識も知らないのかと、みなが呆れ顔でオレを見るから、思わず後ずさった。  そんなこと、自分だけじゃなくて、高校生の男子はみな知らない。多分・・。 「ほっぺがプ二プ二。そっくりやね」  リンナが、文香を見てほほえんだ。 (まさか、文香が産んだ?)  いやいや、いくら何でも飛躍した考えだ。高校生ではないか。  結婚してもいないのに、赤ちゃんを学校に連れてきてはダメだろう。というより、何で教室に赤ちゃんがいる?  どうしてこの状況を、誰もおかしいと思わないのか?  短時間でめまぐるしく、あれこれ考えてしまった。  悪いクセだ。 (いや、いいのか・・)  なんせ、ここは津野島高校だ。  犬がいて、猫がいて、オカメインコがいて、ヤギもいる。カバもいれば猿もいる。おかめだって目の前にいる。クラスにはターザンだっている。サロンに行けば、お年寄りと就学未満の子供がいる。調理実習室には、おばちゃん達がいる。3階に、会社の事務所だって入っているのだ。  世間の常識には、おさまらない学校だった。 「抱っこしてみる?」  おかめがオレに聞く。 「え・・」 「ダメダメリンナ。戸波くん、うっかり落とすから・・」  どういうことだよ。  そりゃあ、雪丸は落としたし、ポチにいたっては、投げ飛ばしたけれど・・。 「それもそうやね、戸波くんって、ちょっとドジ入っとるからね」 「・・」  ド田舎に来て、空気感の違いに調子が狂っているだけで、本来はスマートだ。  始業時間が迫ってきたから、 「じゃあ、預けてくる」  文香が教室を出て行った。きっとサロンへ連れて行くのだろう。  0歳児までありなのだ、この高校は・・。  逆に、恐ろしい所だ。  学校という概念を、捨てたほうがいい。  念のため、 「誰の子供?」  おかめに聞くと、 「誰やと思う?」  やや声を低くする。そういうじらしはやめてほしい。  おかめがオレの腕をつかんで、誰もいない窓際へ引っ張っていくと、 「文香の子」  耳元でささやいた。 「え・・」  マジマジと、おかめの顔を見てしまった。心臓が急に波打った。 「そんな、まさか・・」  現職の大臣の娘が、高校生にして子供を産んだとなると、世間が放っておかない。ワイドショーの餌食にならないだろうか? 「夫は誰やと思う?」  小声で続ける。 「夫・・? 結婚してるのかっ!」 「シッ・・! 声がでかい、声が・・」 「いや、でも・・」 「普通、結婚もせんと子供産む?」  子ができてから、結婚するカップルだっていっぱいいる。  その前に、高校生で夫婦のほうが、普通じゃない。漫画やドラマの設定ならありかもしれないけれど・・。  いや、待てよ。  ここは、世間の常識が通用しない。  なんせ、津野島高校だ。 「だ、誰・・?」 「あっ、夫が来た」  おかめがチラリと、出入口に視線を投げる。ガラッと戸が開いた。 「おはよう」  文香の夫が、教壇に立つ。  このときの衝撃を、何と表現すればいいのだろう?  浦島太郎が玉手箱を開けたあと、自分の置かれた状況を知ったときと同じではなかろうか。信じられないし、信じたくもない。  胸がザワザワして、気持ちが現実に追いつかない。指先が軽く震えている。  先生と生徒が夫婦。それはまさに、禁断の関係。  親の離婚話に匹敵する衝撃度だ。ド田舎に来る前は、オレの両親がそんな話をしていて、食事が喉を通らないくらいにショックを受けた。  もうこの学校で、驚くことはないと思っていたが・・。  校長先生の“いいがや”精神で、何でもありなのだ。  子供を産んだということは、その前に、子作りのしかるべき行動を、カバ田としているということだ。  カバ田と・・。  そんなことができるのか、カバと・・。 「どした?」  前の席にいた泰河が、オレの顔をのぞき込む。 「具合でも悪いがか?」  目の前で、泰河がバイバイするように手を振ったが、目の焦点が合っていない。視界まで、ぼやけてきたような気がする。  藤四郎の片思いはどういうことなのだ? もしや、人妻に恋しているのか?  そしてオレは、人妻に抱きついてしまったのか?  それからの授業は全部、内容が頭を素通りした。テストに向けて、集中するつもりだったのに・・。  今日はもう、 (カバ田の顔は見たくない)  地獄すぎると思っていたら、そういうときに限って、昼休みの時間に職員室へ呼ばれた。  登校初日に、拷問のような服に着替えたミーティングルームで、カバ田はヤギ帽子をかぶった我が子を抱いていた。その隣にポチもいる。  2人の愛の結晶かと思うと、めまいがしそうだったが、 「か、かわいいですね」  一応、社交辞令を言ったら、 「そやろ、僕に似て・・」  うれしそうに、きめの細かい真っ赤な頬を、指でプニプニと押す。  その頬がどんどんぷっくりして、カバになっていくのだろうか。女の子だというから、この先が心配だ。  優しそうなパパではあるけれど、文香はカバ面のどこがよかったのか。  オレのほうが断然背も高いし、顔だってシュッとしている。大体、眼鏡が手の(あぶら)でギロギロに汚れている。そんな奴のどこがいい?  土日に文香のことを思い出して、浮かれていた自分がバカだった。 「まぁ、座れ」  と言うから、テーブルをはさんだ向かいに腰かけた。 「ヤギ部の部長にならんか?」  カバ田がいきなり切り出した。そういえば、ヤギ部の顧問だった。 「え、でも、松田さんは・・?」  文香が部長だ。ヤギがつないだ縁で間違いない。 「家の事情でちょっとな」  子育てが、忙しくなるということだろうか。  オレがしばらく黙っていると、 「露地もんのイチゴは、これからがかき入れ時や。なんとかイチゴ狩りのお客さんを、たくさん呼ばんとな。それに、母親の体調が、ちょっと悪いさけ」 「はぁ・・」 「それに・・、ニュース見たか?」  ニュースの種類にもよるが、とりあえずうなずいた。 「選挙や、選挙。衆議院の・・」 「総選挙ですか?」 「そうや。間違いなく解散するやろ」  政治は苦手だから、解散の大義名分はさすがにわからない。 「母親の代わりに、手伝うことになるやろ。イチゴのこともあるし、選挙もあるとなると、ヤギ部のことまで気が回らん」 「はぁ・・」  そんなことより気になるのは、目の前の赤ちゃんの母親が、本当に文香なのかということだ。 「松田先生の票は堅いし、何と言っても現職の大臣や。大丈夫やとは思うけど、ほんでも、選挙活動は気を抜いたらいかん」 「先生も手伝うんですか?」  大臣の娘の夫として・・。 「僕じゃなくて、妻が婦人部で手伝うやろ」 「奥さん・・?」 「松田と同じ町内やから・・」 「ああ~」  額に手を置いた。 (やられた・・)  冷静に考えたら、あり得るわけがない。  おかめの冗談を、真に受けてしまった。  この学校なら、もしかして有りなのかと・・。  ソファーの背もたれに、力なく倒れ込んだ。  だましたおかめリンナに腹は立たないが、こんなバカバカしい見え透いた嘘に引っかかるなんて、どうかしている。  認めたくはないけれど、自分はきっと、詐欺に遭いやすいタイプだ。 「どうした?」 「いや、何でもないです」  重役座りみたいに、反り返っていた体を戻した。  文香は誰のものでもない。希望の光が射し込んで、全身に力が戻ってきた。 「どうせ市川が、しょうもない嘘を言ったんやろ?」  さすが顧問。部員をよく見ているようだ。 「転校生をからかったらダメやて、言うたがに・・。ただでさえ、ここは普通と違うんやから・・」 「そうですよね?」 「そりゃそうや。普通、職員室で自分の子供をあやせるか? サロンに子供を預けられるか? 学年主任が猫って、ありえるか?」  毛づくろいをしているポチを見る。  やっぱり、そう思うのが普通だ。 「でも、これで助かっとる。近くに子供がおるから安心できるし、お年寄りは面倒もみてくれる。子育ての先輩として、相談にものってくれる。こんなありがたいことはない。おかげで、妻も働きに行けるしな。同じ校舎内やけど・・」 「え、教師なんですか? 奥さんも・・」 「いや」 「保健の先生?」 「あのな、歳、離れすぎやろ」 「そうですよね?」  母さんと同じぐらいのはずだ。 「田島社長に会ったやろ?」 「はい」 「そこの会社で、事務のバイトしとる」 「ああ~」  電話で話をした人だ。オレを、“例の子”と言った人だ。そのうち、顔を見に行こう。 「あの会社には、がんばってもらわんとな。津野島を少しでも活性化させるため、妻を社員に格上げするため、将来の観光牧場のためにも・・」  赤ちゃんが、先生の太い人差し指を、ギュッと握りしめる。 「戸波もがんばってくれ。ヤギを増やさないかん」 「・・」  普通だった人も、普通の感覚でなくなるのが、津野島マジックなのかもしれない。 「ウサギも飼おうかって話が、出とるんやけど・・」 「ヤギに特化したほうが・・」 「やっぱそうやな。さすが戸波」  さすがと言われる意味がわからない。ヤギ牧場にするなら、ヤギだけでいいだろう。というより、ヤギだけで手一杯だ。 「いきなり部長っていうのも心配なら、部長代理とか部長補佐にするか?」  そう言って、1人で笑う。代理とか補佐って、どこの役所の肩書きだよ。  隣の校長室のドアが開き、 「いいがや、いいがや、いいがいね」  オカメインコのゴン太の声が聞こえてくる。  校長が出てきて、オレの姿を見るなり、  「戸波くん、そろそろ慣れてきたか?」  声をかけてくれた。  気にしてくれるのはありがたいけれど、慣れませんとははっきり言えない。世間の非常識がいろいろありすぎて、ついていくだけで精一杯だ。  ただ、常識にとらわれていると、過疎(かそ)地域は生き残っていけないのかもしれない。  現に高校の教室を、会社の事務所として貸しているということは、生徒数が減っているということだ。  知恵を絞っていかないと、いずれ限界集落になる。その先は、ゴーストタウンだ。 「ヤギ部に入ったんやて?」 「あ、はい」 「かわいいやろ?」 「まぁ・・」 「毎日の世話が大事やさけ、みんなと一緒に頼んだぞ。部長代理!」  校長はオレの肩に手を置いた。 「部長でいいです」 「ほな、決まりな」  カバ田がニヤリと笑う。  ポチもニャーと鳴いた。  オレはムリに頬を引き上げ、笑顔を作った。  ああ、憧れる。サッカーやバスケ、テニス部の部長。  同じ部長でも、かっこよさが全然違う。主役級の俳優と、エキストラぐらいに違う。なぜ大都会東京から来たこのオレが、ヤギ部の部長なんだ!  もし姉ちゃんが聞いたら、腹を抱え、目尻に涙を浮かべて大笑いするだろう。いっそサッカー部で、青春の汗を流していると言っておこうか。  午後の授業が始まる前に、ヤギ小屋へ行ってみた。 「おかめがすればいいのに・・」  オレの先に、おかめは部長になることを断ったらしい。転校してきたばかりの、動物が苦手な人間に押しつけるなんて、無謀だし、無責任だ。  雪丸はオレを見ると、前足をバタバタさせて近づこうとする。リードが廃タイヤにつながっているから、その範囲でしか動けない。  小屋の前は広い牧草地なのに、自由に動けないのはかわいそうだ。  雪絵を係留している廃タイヤを、5メートルほどずらした。草を食べる場所を移動する。雪丸のリードは、タイヤからはずして手に持った。わずかな時間でも、散歩させてあげよう。  するといきなり、雪丸は走り出した。  牧草地を、軽快に駆け回る。動きたくて仕方がなかったのだろう。  地面は、いろんな雑草ででこぼこしているから、オレはバランスを崩して転んだ。その拍子に、リードが手からスルスルと離れていく。  解放された雪丸は、うれしそうに右へ左へ、飛び跳ねるように駆けずり回る。どんどん小屋から離れていく。 (やばい・・)  何度も転びそうになりながら、必死に追いかけた。  裏山の手前で動きが止まり、その瞬間を逃すまいと、右足を大きく前に出して、リードを踏む。  たいして走ってもいないのに、息が上がった。  動物を飼うのも体力勝負だ。  足で押さえたリードを、今度は手でしっかりと握る。 「はぁ~」  ケヤキの日陰に腰掛けた。  雪丸の背中をなでると、オレの横に座り、頭を太ももにのせてくる。  かなり、なついてきた。 「そうだ・・」  部長の初仕事として、柵を作ろう。そうすればリードはいらない。柵の中で、思いっきり動き回ることができる。高台をこしらえて、遊べるようにもしよう。  ヤギも人間も、窮屈な場所ですこやかに育つわけがない。  田島社長に、観光牧場のシミュレーションだと言えば、柵用の木材を調達してくれるかもしれない。  ケヤキの若葉が、サラサラと風になびく。  ぐるりと見渡すと、グランド以外は緑一色だった。  イチゴのような形の雲を眺め、 「大臣の娘かぁ・・」  ピラミッドの頂点に、文香がいるような感覚だ。とても上には登れそうもない。  権力格差が大きすぎる。  方や国務大臣、方や中小企業の一課長だ。  とはいっても、選挙で落選すれば、イチゴ農家に戻るだけか。 「ないな。その可能性は・・」  後援会のパーティーに、小宮山総合病院の院長やら、地主が来ていたとなると、地元のパイプは太そうだ。   親を比較してはいけないが、どんな仕事を選び、どれだけ仕事に打ち込んできたかで、20年後30年後の人生に、これだけの大きな差がついてしまう。 「何も持ってないうちの子は、がんばって勉強するしかない。頭で勝負するしかないの」  母さんの口癖を思い出した。瞳に炎が見えそうなほど、メラメラと敵対心をむき出しにしていた。セレブのような人たちに・・。  もしかしたら同級生で、たいした苦労もせず、コネで大企業に入った友達がいたのかもしれない。親のスネをかじり、ブランド品を身につける友達がいたのかもしれない。  でなければおかしい。  オレの教育に対する執着の仕方が・・。  理不尽で、悔しい思いをしたならば、母さん自身ががむしゃらに、勉強すればよかったのだ。息子を使って、リベンジしてほしくない。道具じゃないんだ。  こっちは、一晩で全身にじんましんができるくらい、ストレスを受けていたのだ。  親は両方とも高卒で、大学に行けなかったというコンプレックスは根深い。だからこそ、息子にかける期待が半端ない。  でも今は、勉強するなら自分のペースでしたい。 「強制されたくないよなぁ、雪丸」  風が心地よくて、ついウトウトした。  調理室からもらってきたおにぎり3つは、ちょっと量が多かったかもしれない。それプラス、おかずも2品食べている。  どれくらい寝ていたのだろう。  太ももや股間がくすぐったい。目を開けると、黒いアイツが股の間に入り込んでいた。 「うわっ・・!」  飛び上がって、木に登る。  セミのように、幹に張りついてジッとしていたら、遊んでくれないと思ったのか、奴は何度も振り返りながら、名残惜しそうに去っていく。  ケヤキからずり落ちるように地面に着地すると、ホッと胸をなで下ろした。  そして、はたと気がついた。 「あれ・・?」  雪丸がいない。  握っていたはずのリードがない。  周囲を見回すと、ヤギらしき白い影は、牧草地の雪絵だけ。  虫かごを持った悠斗が、体育館の横の草むらにいたから、 「雪丸見なかったか?」  期待しないで聞いてみたら、黙って裏山を指した。 「まいったなぁ」  もう午後の授業が始まっているだろう。  いなくなってから、さして時間は経っていないとみた。きっと、そう遠くには行っていないはず。  ところが、そのまま行方不明になった。  雪丸じゃなくて、オレが・・。
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