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17
目を覚ますと、白い天井が見えた。
白すぎる。清潔すぎる。
それはおかしい。
自分の部屋なら、雨染みの広がる茶色い天井板のはず。
ほんの少し目を横に向けてみると、壁も白いしカーテンも白い。
生活感がまったくない小綺麗な部屋に、どうして横たわっているのか。しかも、真っ白なシーツに覆われたベッドだ。
(保健室か・・?)
ベッドのすぐ隣に、掃除の行き届いた大きい窓があっただろうか?
そこから、真っ青な空を分割する白い線が2本見える。
「飛行機雲?」
オレがボソリとつぶやくと、
「気がついたか?」
背後で声が聞こえた。
枕の上で首を反対側に回すと、
「わっ・・!」
思いもかけない人物が座っていて、オレは飛び起きた。
「お、親父・・! なっ、何で・・?」
「何でって、お前が行方不明っていうから・・」
親父は寝ていないのか、目が血走っていた。
「ちょっと待った。思い出すから・・」
指先を額に当て、目を閉じて集中する。何があったかを思い出すより、まず、今自分がどこにいるのかすら、把握できていない。
何がどうなっているのかわからないせいか、思考が止まっていた。ガチャガチャとノブを回しているのに、ドアがまったく開かないようなもどかしさ。
ヒントのカギをくれ。
「ヤギを探しに、裏山へ入ったって・・」
「裏山・・?」
そうだ。クロノラに驚いて、ケヤキにしがみついていたことを思い出した。
そのあとは、ええっと・・、
「雪丸・・、雪丸は・・?」
ハッとして、顔を上げた。
「ちゃんと学校におる」
「本当か?」
「雪丸は、体育館の裏にいたらしいぞ」
「えっ、山じゃなくて・・?」
「ああ、だからお前1人がいなくなって、大騒ぎになった」
「・・」
思い出した。
道なき道を進むうち、方向がわからなくなったのだ。陽もろくに射さない樹海のような場所だ。
そのうち、同じ場所をグルグルと回っているような感覚になった。
これは例のリングワンデリングではないかと焦り出し、足場の悪いところで、小走りに駆け出したから、とうとう片足を踏み外し、坂を転げ落ちた。
初日のタマの捜索と、同じパターンだ。
ただ前回と違うのは、オレ以外に誰もおらず、すぐに助けてくれる人がいなかったことだ。そのあとにどうなったのか、転がったあとの記憶がまったくない。
「どうやら頭を打ったようや。夜中、クマに襲われんくてよかったな」
親父がスマホを操作し始める。姉ちゃんに、目を覚ましたと伝えているのだろう。
「夜中・・? どういうこと?」
「山に入ったんは、昨日の昼やろ?」
「は・・? 昨日・・? もしかして、1日経ってる?」
「ああ」
嘘だ。
オレの感覚では、2、3時間。
昼からの授業はさぼったことになるが、今は部活も終了して、そろそろ下校する時間なのでは?
(ということは・・)
山の中で、一晩過ごしたことになる。
「真冬やったら、命を落としとった」
と、親父は言うけれど、そもそも冬だったら、山には入らない。
「逆に、気を失ってよかったな」
「確かに・・」
ヘタに意識があると、恐ろしくて一晩は越せなかった。山に潜む動物だけが怖いのではない。あの鬱蒼とした森には、成仏できない霊が漂っていてもおかしくはないのだ。
「はぁ~」
がっくりと頭を垂れた。
騒ぎが目に浮かぶ。
当然、警察の世話になっている。消防団も動員しているだろう。まさか、自衛隊まで出動していないよな? 恐ろしくて、聞けない。
「東京、帰るか?」
「・・」
「もうこんなことは、起きんと思うけど・・」
「・・」
「居づらくなるようやったら、また転校してもいい。仙太郎のブログが見れんのは寂しいけど・・」
「え・・?」
「いいねを押したぞ」
「いいよ、そんなことしなくても・・」
「母さんも、密かにブログを楽しみにしとる」
「・・」
「仙太郎のブログを見るようになったんは、転校した現実を、受け入れるようになったからや」
「オレのじゃなくて、雪丸のブログだよ」
「あっ、そうやったな。でも転校生Sが、主役みたいに見えるけど・・。ヤギより目立っとるぞ。本来の仙太郎が全面に出とる」
「オレ、そんなドジじゃねぇよ」
「・・」
「何・・?」
「お前、自覚してないんか?」
「え・・?」
親父の顔を見ると、
「いや、いい」
と言ったきり、しばらく黙って窓から外を見ていた。
「もっと早く、本来の姿に戻してやればよかった。笑ったり驚いたり、慌てたり、そんな普通の喜怒哀楽が、消えとったからな。母さんも久しぶりに、お前の姿で笑っとった。目尻に涙浮かべて・・」
「・・」
「ゆっくりと、時間をかけてしゃっべってやってくれ」
母さんが素直に、現実を受け入れているかどうかは疑問だけれど、普通に会話ができるようになるには、まずオレの心に、余裕ができなければムリだろう。今はいっぱいいっぱいだ。自分のことに・・。
「とにかく、いい表情の写真で安心したが。楽しくやっとるんやな」
ただ単に、いじられているだけだ。文香とおかめに・・。
「これから動画も楽しみや」
「見なくていいいよ」
「ばあちゃんの言うとおり、顔つきが穏やかになってきた。東京より、こっちのほうが性に合っとると思うけど、嫌ならいつでも言え。とりあえず、先生やクラスのみんなには、頭を下げておいたから・・」
「・・」
「退院したら、仙太郎からも詫びを入れておけ。辞めるならそのあとや」
クラスメイトの態度が冷たくなったら、考えよう。
「ところで、この病院ってもしや・・」
病室の中を、オレは見回した。
「小宮山総合病院」
「やっぱり・・」
「クラスに、ここの息子がおるんやてな?」
「まぁ・・」
アイツの病院に、カネを落とすことになろうとは・・。
頭を抱えて、ため息を吐く。
「痛いんか?」
「いや・・」
「ほな、一旦家に帰るさけ」
親父が丸椅子から立ち上がった。
「あ、母さんとは・・」
どうするんだろう? 離婚するんだろうか?
「心配すんな。お前が本来の姿に戻ったんなら、こっちも本来の姿に戻るだけや」
オレの肩にそっと手をのせ、帰っていった。
よかった。修復可能なレベルで・・。
ベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめた。安心すると、力が抜けていく。
自分の親が、他人同士の関係になるなんて、考えたくもない。大事な支柱の1本を失うと、完全に家が崩壊する。それが自分のせいだと、余計に心苦しい。
これから先の人生に、しこりを残す。
親父と入れ替わるように、医者が様子を見に来た。中年の女性だった。
声が低くて、ニコリともせず、
「明日には退院できます」
業務連絡みたいに、淡々としゃべる。
(中間テストの前日か・・)
頭に異常はなく、足首をひねっただけだから、今すぐにでも帰りたかった。でも、両手をすり合わせてお願いしたところで、融通がききそうな医者には見えないから、
「はい」
素直に頭を下げた。
憂鬱だ。
前の学校みたいに、クラスメイトが白い目で見てきたらどうしよう。ここまでやらかすと、さすがに呆れているんじゃなかろうか。
テストが控えているというのに、警察官が大勢、高校の敷地内を出入りしていれば、授業どころではないはず。迷惑をかけておいて、のこのこと通学できるものではない。
この際、高校はあきらめて、大検で勝負しようか。さすがに中卒の学歴は、一生コンプレックスを引きずるから、何が何でも、大学に行こうではないか。
小学校から塾へ放り込んだ母さんにすれば、息子が中卒ではもう、昼間に顔を上げて近所を歩くことはできないだろう。津野島へ転校した以上に、泣き叫ぶに違いない。
将来、給料のいい大企業に勤めることは難しいから、投資した教育費の回収は絶望的。会社を立ち上げて、大きく稼がない限り・・。
そして、貧乏な中卒男に、嫁は来ない。
そうなると、せっかくよりを戻した夫婦間のヒビは、埋まらないかもしれない。
それはまずい。かなりまずい。
「どうしたもんか・・」
思えば、トラブルばかりの1週間だった。
恐ろしく密度の濃い高校生活。散々な目に遭いながらも、それはそれで楽しかった。
多分もう、黒い犬は好きになれない。
茶色い猫を見ると、教室の光景がよみがえるだろう。
ヤギは、迷惑をかけた苦い思い出として記憶される。
空を見上げると、飛行機雲が消えかかっていた。
できれば自分も、このままフェードアウトしたい。たった1週間の出来事なら、そのうちみんなの記憶から消えていく。
文香の記憶にも、残らないだろう。
外を見ながら、ため息ばかり吐いていると、
「辛気くさ・・」
いつの間にか、泰河がベッド脇に立っていた。
「今日もらったプリント。それから、社長の差し入れ」
掛け布団の上に置く。スーパーのレジ袋に入っていたのは、またしてもイチゴドーナツだった。
思わず、
「ほかに商品がないのか?」
無意識に、心の声が出てしまった。
「そう言うなや。季節限定の商品やぞ。能登の天然塩も使っとる」
「・・」
「とにかく、たいしたケガもなくてよかった。足首ひねっただけやてな? 今、うちの母ちゃんから聞いた。さっき来たやろ?」
「え、あのお医者さん?」
「愛想ないやろ?」
親子とは思えない。泰河とは正反対の性格。無駄口が一切ない。
「退院したら真っ先に、例のあの野良犬に、高級なドッグフードをあげたほうがいいな」
オレが首を傾げると、
「警察犬より先に、お前を発見したんやぞ。命の恩人や」
行方不明になる直前に、股間の臭いを嗅いでいる。
「あとな、タマが見つかった。お前のおかげや」
「無事だったんだ?」
「・・ていうか、無事ならよかったんやけどな」
「どういうこと?」
「見つけるのが遅すぎた」
「え・・?」
「もう死んどった。仙太郎が倒れとった場所の、ほんの5、6メートル先に・・。クマにでも襲われたんかなぁ、食いちぎられとったって・・」
「・・」
「仙太郎も危なかったな。ヘタをすれば、同じ目に遭うとこやった」
今頃になって、背筋が寒くなった。気を失ったおかげで、無残なタマの姿を見なくてすんだ。
クロノラは人命救助をしたせいか、飼い犬へと昇格し、タマ2号と名づけられたという。どうしてそのまま、クロにしないのか。番犬は、タマと襲名することになっているのだろうか。
その後、藤四郎が来て、文香とリンナもくる。
オレのベッド脇は、お見舞いのフルーツと人でにぎやかになった。
「1人で入ったらいかんて。せめて、誰かに連絡しとかんと・・」
文香にキツく叱られた。心配してくれたのかと思うと、なんだかうれしい。
「まぁまぁ、来たばっかの転校生やから・・」
藤四郎がフォローする。
「たまにあることやから、気にすんな」
何気ない言葉がありがたい。藤四郎だけじゃなくて、みんながそう思っているのなら、この学校にいても、白い目で見られることはないのだろうか?
「2年おきぐらいに、裏山で遭難する奴が必ずおるげんて。バカやろ」
泰河がバカを強調する。
そのおバカさんが、ここにいる。
もうどうあがいても、ドジでマヌケな転校生のイメージは払拭できない。
「これからヤギ部の部長として、がんばってもらわんと・・」
おかめリンナがオレの肩を何気に叩いたけれど、丸1日、何も口にしていないせいか、体に力が入らず、上半身がよろめいた。
「ほら、見て・・」
文香がスマホをオレに見せる。
「昨日のブログに、何でドジな転校生Sが出てこんがって、コメントあった」
「さすがに、行方不明とは書けんやろ」
藤四郎がチクリと言う。
「明日から頼んだよ」
文香が言うから、
「部長の仕事?」
と答えると、
「それだけじゃなくて、こういう感じを期待しとるが。みんな・・」
スマホで、今までのドジな写真を、次々と見せてくる。
(多くないか? オレの写真)
「そこを全面に出していかんとね。戸波くんは、そういうキャラでいいから・・」
おかめも言う。
おかしい。すっかり、いじられキャラになっている。オレはそういうタイプではないはずだ。
いっそ、東京に帰ろうか。
翌日の午前中に退院すると、午後から親父と一緒に登校し、菓子箱を持って校長室へ謝りにいった。
久しぶりに見るオカメインコのゴン太が、
「いいがや、いいがや、いいがいね」
誰かがしゃべると、すぐに反応する。うるさいけれど、今はこの言葉に救われる。
「明日からテストやけど、大丈夫か?」
黒猿森田が声をかけてくる。
「はい」
受けないという選択肢はない。
せめて、勉強だけはできるところを見せつけたい。それに、カネも土地も権力もない家の子が、唯一勝負できるのは、結局、学力しかないのだ。
学校の成績がよくても、社会に出れば関係ない。だけど、勉強が中心の学校では、点数がいいか悪いかは、絶対的な物差しだ。
それは前の学校で、嫌というほど味わっている。
学力が物を言う世界なのだ。
その日は授業を受けずに、そのまま帰った。
冷凍室を占領しているイチゴドーナツを、電子レンジでチン。糖分を補給し、猛然と勉強を開始した。
その成果もあって、全教科、藤四郎を抑えてトップに立った。
余裕で、文系の1番だ。
オレの本領発揮。
日本一と言われる高校にいた証。
これこそ、本来の自分なのだ。
これで間違いなく、バカなイメージだけは覆る。
・・と思っていたが、
「柵の長さどうする?」
すべてのテスト結果が出た日の放課後、文香が後輩と一緒に、細めの丸太を運んできた。
「ちょっと長いよね? 切ってくれる?」
と、オレに振る。
「どうやって?」
「はぁ・・?」
「・・」
「ノコギリに決まっとるが」
え、何を言ってるんだ、この人は・・。という顔だ。
「もしかして、釘打ったりとか、したことないが?」
おかめが聞いてくる。
「ないけど・・」
オレの声が小さくなった。
そうだ。
この学校の物差しは、勉強ができることではなかった。
今頃、気づいた。
尊敬の目は、テスト返しの一瞬だけではないか。
おかめがスマホを構えているけれど、今日こそヘマをしない。
廃タイヤの間に丸太を渡し、ノコギリで切ろうとしたら、雪丸が丸太に乗ってくる。
文香が雪丸を押さえながら、
「戸波くん、後ろ」
「え・・?」
振り返ると奴がいた。クロノラ、いや、タマ2号だ。
「うわっ・・!」
ノコギリを放り投げ、一目散にグランドへ逃げていく。
「ちょっとぉ~、危ないやろっ」
文香の声が聞こえたような気はするが、オレは今、それどころじゃない。
後ろから、タマ2号と雪丸が、執拗に追いかけてくる。
ミサイル2発じゃねーか!
「うわー、うわー」
奇声を発して走り回る。
サッカー部の練習を邪魔する光景が、その日のブログになった。
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