12人が本棚に入れています
本棚に追加
1
やるかね、2日続けて同じことを・・。
効果がなけりゃ、普通はやり方を変えるんじゃねぇのか? 学習したらどうなんだ。学習したら・・。
「お前がちゃんと、しつけんからや!」
じいちゃんが大声で、ばあちゃんを叱ると、
「あ、あんたが、甘やかしたんやろ!」
ばあちゃんも負けじと言い返す。そして、ピシャリと平手打ちをするような音があったり、ドタッと倒れる音があったり。
朝の8時から、夫婦のバトルが激しいこと激しいこと。
でもそれが、ダメだっつうに・・。
涙声のばあちゃんは、何て言うかなぁ、素人劇団のオーバーな演技みたいで、うそくささが全開。
じいちゃんも、せっせと音を作っている。ばあちゃんに、殴る蹴るの暴力を振るう音を・・。
ひび割れて、茶渋の付いた湯飲み茶碗を、タオルにくるんで床に投げつけてみたり、すりこぎで、畳や床をドンドンと叩いてみたり。
バシッ、ドタッ、ガンと、果てしない音の応酬を繰り返す。
包丁を持って、刺し違えそうなほどの険悪な雰囲気を出し、地獄絵図のような泥沼の夫婦げんかを演じているのだ。
「やってらんねぇ」
目尻に涙がたまるほどのあくびをしたあと、オレは赤いボクサーパンツの上から、ポリポリと尻をかく。音を少しでも遮るため、掛け布団を頭まで引き上げた。
その直後に、
「首に縄をつけてでも、学校へ引っ張っていかなっ」
じいちゃんがわざと、オレの部屋の前まで来て、声を張り上げた。
テレビの音量なら、34ぐらいかな。住宅の間が1mもない都会だったら、隣近所からクレームがつく。
畑の中のポツンと一軒家でよかった。
「・・ったく」
わざとらしいケンカで、孫が簡単に起きると思ったら大間違いだ。昨日だって、結局昼過ぎまで、布団の中でゴロゴロしていた。
効果はゼロ。
(作戦変えろや)
と、心の中でつぶやいたとき、
「おじいちゃんもおばあちゃんも、やめて!」
新たな声の出現に、
「誰・・?」
かぶった布団を、サッと首まで引き下げた。
男の子の声だ。聞いたことがない。
(幻聴・・?)
とうとう、そんなものが聞こえるほど、精神を病んでしまったのか?
息を止め、掛け布団の端を握りしめながら、ジッと耳をすました。
「このまま学校に行かんかったら、仙太郎は高校中退になる」
ばあちゃんの不安そうな声のあと、
「となると、最終学歴は中卒ですね。社会の底辺のような職に就くしかない。中卒の貧乏な男に、絶対、嫁は来ないでしょうね。彼女だってできない」
ガキが、身もふたもないストレートな物言いをする。
「そ、そんなかわいそうなこと・・」
このときのばあちゃんの声は、本物だ。演技だったら、アカデミー賞級かもしれない。嗚咽まで漏らしそうな涙声だった。
でも、そのあとがヘタすぎる。
唐突に、ドタッと倒れるような音がして、
「う、うう・・」
オーバーすぎる素人小芝居に戻った。
「仙太郎がそれでいいがなら、本人の自由や。たとえ中卒で、嫁の来てがのうても、本人がそれで幸せなら、いいがや。じいちゃんが、農業と人生を教える」
入れ歯がとれそうな勢いでしゃべる。
すると、
「こうやって人は、リアルな人生ゲームから脱落していくんですね。ゴールにもたどり着けない、悲惨な末路か・・」
ガキがしみじみと、人生を厳しさを噛みしめる。そしてなぜか、チーンと仏壇のりんが鳴り、
「これから先は、生きる屍ですね」
南無阿弥陀仏と、唱える声が聞こえた。
オレは死んでねぇぞ。
今は確かに、負け犬みたいにシッポを巻いた状態かもしれないが、人生はいつだってリベンジできる。
気持ちが前に向いたとき、わずかな一歩は踏み出せるのだ。その気持ちに、まだ火がつかないだけだ。
点火したら、ロケットスタートできる自信はある。
見知らぬガキに、終わった人間みたいに言われる筋合いはねぇ。
「どんな面してんだっ!」
ガバッと上半身を起こした。寝癖のついた髪を、
「ああ~」
いらだちを発散しながらかき回す。
じいちゃんとばあちゃんは、昨日の失敗をしっかり学習している。トゲのある爆弾を用意していた。
まさか子供を使うとは・・。
「行くよ、行けばいいんだろ!」
ドアを開けて、廊下に出た。
毎朝毎朝、こんな小芝居をやられたんじゃあ、素直に登校するほうがマシに思えてくる。
じいちゃんとばあちゃんは、安堵したように互いの顔を見る。ばあちゃんはエネルギーを使い果たしたのか、居間の隣にあるキッチンの椅子に、よろよろと腰を下ろした。
10年前に水回りと、オレが現在使っている部屋をリフォームしている。それ以外は、昭和40年代で止まったままの、貧乏なド田舎の家だ。
コップに水を注ぐと、ゴクンゴクンと喉を鳴らして一気に飲む。寝汗で失った水分を、5秒で取り戻した。
背後で、じいちゃんとばあちゃんの視線を感じたから、
「・・ったく、うぜぇんだよ」
見え透いた小芝居のことを言ったつもりだった。
それなのに、
「何や、たくぜぇんだよって・・。ばあさん、知っとるか?」
「いや、さすがに英語はちょっと・・」
「韓国語ですかね?」
ガキが口をはさんでくる。
よく見ると、東京にいる姉ちゃんがうらやむような、まつげの長い小学生だった。おとなしそうな顔に見えるが、性格は逆とみた。
「仙太郎が賢いのはようわかっとる。けど、日本語でしゃべれ」
「はぁ~」
肺の空気を、全部吐き出すようなため息が出た。
じいちゃんを見ると、フライパンとすりこぎを持っている。ばあちゃんは、まだおたまを握っていた。それで、あちこち叩いて音を出していたのだろう。
ボロ家なんだから、そのうち壁に穴が開くぞ。床がへこむぞ。リフォームするカネなんて、うちにはねぇだろ。
「まぁ、別に強制はせんけど・・。ほんでもこんな田舎、遊びに行くとこなんて、学校しかないさけ」
じいちゃんが、フライパンとすりこぎを、ばあちゃんに渡しながら言う。
学校が遊びに行くところかどうかは別として、確かにド田舎すぎて、田んぼと畑、海と小高い山しかない。
石川県の能登半島。その先端にある津野島という町だ。
「はい、お駄賃」
ばあちゃんが300円を、ガキに握らせる。
「いや、そんな、ボクはたいした役に立ってないんで・・」
と、遠慮しつつも、
「また学校に行きたくないってごねたら、いつでも呼んでください」
いっぱしの営業マンみたいな口を利く。そして帰り際、
「なんなら、高校まで案内してやろうか?」
オレを見上げ、
「500円でいいですよ」
手のひらをちゃっかり出す。初対面でここまでできるとは、なかなか肝の太い奴だ。
「ほな、監視も兼ねて頼もうか」
ばあちゃんが財布を開けるから、
「行くよ、自分で・・」
田舎は何もすることがない。釣りもサイクリングも飽きた。ゲームだって、とっくに飽きている。大好きな九十九湾で、ボォ~っと海を眺めて暇をつぶすぐらいだ。
「またな、桃太郎」
名前を間違えたまま、ガキは帰っていった。
「誰・・?」
「さぁ・・?」
じいちゃんが首をひねった。
「うちの前、歩いとったから、協力してもらったがや。多分、最近ここに来た、移住者の子やろ」
信じられない。見知らぬ小学生だったとは・・。
そういえば、ガチガチの方言ではなかった。
小学校がどこにあるのかわからないが、完全に奴は遅刻だ。なんせもう、NHKの朝ドラが終わってから、30分は経っている。
自分も言えた義理ではないが、知らない子の場合、あとで親が怒鳴り込んできたらどうする?
何事もないことを祈ろう。
着替えもせず、Tシャツとパンツ姿のまま、キッチンテーブルについた。
「はぁ~」
猫背のまま、首筋をポリポリとかく。
作戦にまんまと引っかかり、もう後戻りはできなくなった。
(いやだ~!)
と、心の中で叫んでみる。
学校に行くのは怖いが、このまま何もしないで、大事な青春を失うのも怖い。いや、そっちのほうが怖いか。
「何も考えんな。悪いクセやぞ」
ばあちゃんが味噌汁をよそってくれた。豆腐とネギとわかめが入っている。味噌汁といえばご飯のはずだが、なぜか当然のようにトーストを焼く。
バターをたっぷり塗っていると、学校から電話がかかってきた。
「え、来とらんけ? もう出たんやけど・・」
白々しくも、じいちゃんはそば屋の出前みたいな対応をする。
オレはできるだけゆっくりと、味噌汁をすすった。気持ちを落ち着かせるためだ。もう家を出たということになってしまったから、さすがに腹をくくらなければならない。
お化け屋敷と一緒で、どういう展開が待っているかわからないからこそ、入る前が一番怖い。
(あ・・)
お化け屋敷は、入っても怖いか・・。
「じいちゃんが送ってやるさけ」
かわいい孫のため、食器棚の引き出しから、車のキーをつまんだが、
「やめてくれ」
即座に断った。
周りの景色が車体に映り込むような、ピッカピカの高級車ならともかく、じいちゃんが転がすのは、サビついた軽トラックだ。しかも、タイヤの周りの車体に、泥まで跳ねている。
転校初日に、明らかに貧乏くさい車で登校したら、すぐに“ジジッ子”だの、“軽トラ野郎”だのと、ろくでもないあだ名がつく。
とはいっても、歩けば1時間以上はかかる。途中まで送ってもらうことにした。
食事が終わったあと、寝癖のついた髪を水で湿らせ、手で押さえた。前の高校のブレザーに袖を通す。ファスナーの端がとれかかったペンケースと、ノートが1冊しか入っていないスカスカのリュックをかつぐ。
ド近眼だから、銀縁の眼鏡をかけた。
起きてから30分後にようやく玄関を出ると、ばあちゃんが背後から追いかけてきた。弁当を渡し忘れたのかと思ったら、いきなりオレの目の前に手鏡を向ける。
「ほれ見てみ、仙太郎。人を殺しに行くような顔しとるが」
眼鏡に前髪がかかり、ほとんど目は隠れているものの、瞳の奥は、何十年も放置した池の水のように濁っている。
「緊張しすぎやぞ」
新しい高校へ行くんだから、緊張しないほうがおかしい。どんな奴らがいるのかわからないのだ。舐められてはいけない。
「最初が肝心やさけ、笑顔笑顔」
転校初日は、実は昨日だった。
ゴールデンウィーク明けの月曜日から登校することになっていたが、ずる休みした。ばあちゃんが学校へ電話して、体調不良と嘘をついてくれた。
新学期に合わせた登校でないのは、4月に入ってから転校を決めたからだ。高校2年に進級しても、学校へ行かない息子を心配して、親父が母校の転校を勧めてきたのだ。
特別、募集をしていたわけではないけれど、ド田舎の私立高校だから、欠員は余裕であったに違いない。あっさり、転入試験を受けることができた。
昨日が体調不良なら、今日はそれをちゃっかり利用して、具合の悪さを引きずっていこう。遅刻を許してもらうには、本人の病気か、親戚の誰かが死んだと言うしかない。
クラスに入ったら、生徒をじっくり観察して、誰と仲良くすべきなのか、自分をどういうキャラにすれば、平穏無事に過ごせるかを考えよう。
「はぁ~」
憂鬱だった。
「心配せんでもいい。警察のことは、校長と理事長だけが知っとる。誰にも言わんって約束や」
他校の生徒とケンカして、一度だけ、警察の世話になったことがある。前代未聞のことだと、学校からこっぴどく叱られた。次に同じようなことがあれば、即、退学と宣告を受けていた。
結局、1週間の停学処分のあと、学校へ行けなくなった。その前からも、いろいろあったのだ。
「仙太郎本来の性格でいけばいいがや」
じいちゃんは、いつだってやさしい。
「本来の性格?」
「小心者やさけ。びびりやな」
ばあちゃんはその点、遠慮がない。
「笑顔やぞ、仙太郎」
背後で、ばあちゃんの明るすぎる声が飛んだ。
仮病でも何でもなく、本当に頭が痛くなってきそうだ。
「何でもやる前から、考えすぎるがや。考えるより先に動け」
じいちゃんが、背中をポンと叩いてくれた。
考えてはいけない。考えると不安になる。そして行きたくなくなる。
できれば中卒が、当たり前な世の中になってほしい。それか、定時制や通信制の高校を卒業する奴が増えればいい。違う道の選択が、もっといっぱいあってもいいではないか。
学校のカラーになじめないのは不幸だし、規則や規律の押しつけは窮屈だ。
前の学校みたいに、修行僧のような生活は送りたくない。
軽トラは、田んぼの中を通っていく。ゴールデンウィークに田植えが終わり、青々とした苗が風に揺れていた。
重役出勤みたいな時間に学校へ行けば、体調不良でもない限り、完全に問題児と思われる。そのうち、警察の世話になった過去が、バレるのではなかろうか。
それが一番怖い。
そのあとは、きっと溝ができる。オレが通ると、みんなよけていくに違いない。
わざわざ転校して、ダークすぎる青春をリセットした意味が、
「なくなるよなぁ」
流れる景色を、ぼんやりと眺める。
作り笑いも愛想笑いもできないけれど、今日はとりあえず、具合の悪そうな顔にしなければならない。かといって、取っつきにくいイメージを植えつけると、クラスメイトは話しかけてこないだろう。
微妙なさじ加減がいる。
練習が必要だ。
ばあちゃんから、小さい鏡を借りるべきだったかもしれない。
今になって、初日の重要さを感じた。
殺人犯みたいなイメージだけは避けようと、前髪を手ぐしでうしろへかき上げる。目がしっかり見えていれば、暗いとは思われないはずだ。
たまにしか車が通らない県道へ出ると、信号を3つ分だけ進む。集落がある方向とは反対へ曲がり、その道をまっすぐ行けば学校に着く。
ここまでで、たったの5分。
前の学校は、電車を乗り継いで1時間半もかかっていた。それを思うと、朝が苦手な人間には、夢のような通学だ。
田んぼがなくなると、そのあとは雑木林が広がる。一本道で迷いようがないから、雑木林の手前で車を降りた。
この先は学校しかないから、ほとんど車は通らない。道のド真ん中を歩いてやろうかと思ったけれど、心にそんなゆとりはなく、道路脇の白線の上を、足元を見ながら歩いた。
バンジージャンプの、飛び込み台の端に立っているような気分だ。
なんせ、学校へは春休みを含めると、2ヶ月以上も通っていない。その前だって、去年の11月ぐらいから、週に2日か3日の通学になっていた。
家族とほとんど口を利かず、部屋にこもっていたせいか、すっかり社会性を失っている。
ムダにドキドキする心臓をなだめるため、イヤホンを付けて洋楽を聴き始めたものの、すぐに止めた。16ビートのノリノリロックは、気分と逆で、今はついていけない。
まずは教師に、どういう対応をしたらいいのだろうか。
学校側は、大胆すぎる登校時間に、何と言ってくるだろうか。初日から怒られるだろうか。まさか校長は、警察のことをほかの先生に話してはいないだろうか。
あれこれ考えてしまって、歩みが鈍くなる。
季節外れの風邪にするなら、たまに咳き込む演出が必要だろうか。
クラスメイトは、どういう目で見てくるだろう。自分から話しかけないと、友達になってはくれないのだろうか。無視されたりするんだろうか。
ああだこうだと考えすぎてしまい、恐怖心でバンジージャンプも飛べない。
時折、ウグイスが鳴く。
まるで、録音したものをスピーカーから流しているような、澄んだ鳴き声だった。
のどかなド田舎なのに、心がざわつく。
雑木林の一本道は、ゆるくカーブしているせいか、先が見えない。
視界が開けたときにやってくるのは、遅れてきた青い春なのか。それとも、前の学校と同じ監獄なのか。
「ふぅ~」
大きく息を吐いて、肩の力を抜く。
なんだかんだ言っても、結局、自分の気持ち次第だ。
わかってはいるけれど・・。
最初のコメントを投稿しよう!