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●一ペエジ
桐之院良隆子爵はいつも現世に興味がないという風情だった。
枯れて静かな佇まいは、スクリーンに映ったモノクロキネマのようで。肌と空気の間に膜をこしらえ、世間と自分を隔離し、孤高の世界でひっそりと息をしていた。
「美佐。日誌を書きなさい。この家で見聞きしたもの全て、毎日記録すること。悠之介の言葉も、私の言葉も、一言一句正確に記録しなさい。それがお前の仕事だ」
灰色の髪を後ろに撫で付け、皺の目立つ顔に、哀愁を漂わせた眼と薄い唇、子爵の容貌は大人しめだが、上流階級の紳士に相応しい風格がある。
ただ……威圧的な力強さはなく、もの静かで理知的で、いつも寂し気であった。
子爵が中指で銀縁眼鏡のつるを押し上げ、レンズ越しに目で冊子を指し示す。
美佐は、胡桃色の和綴じの冊子に、丁寧に触れた。
「かしこまりました。旦那様」
美佐は独特のしゃべり方をする。
ゆっくりと、しかし滑舌が良い。大きくはないのに、人の心に深く染み込む水のような声だ。
美佐は記憶力もよかった。
朝起きて夜寝るまでに起こった事を、全て暗唱してみせて、周囲を驚かせたこともある。
人嫌いな子爵が、十五になったばかりの幼き美佐を女中に迎えた理由は、その二つにあるらしい。
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