第四章  *お江戸の娘は負けませぬ*

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 (お江戸の女は恋に生き、愛に生き)  江戸を出て・・  飛騨の地に再び立った。  雪深いこの地には、早くも空から白い雪が舞い落ちて来る。  「爺。江戸に向かったのはずっと昔のように思えるのに、まだ一年も経っては居らぬのだなぁ」、相変わらず側に仕える左衛門が茶を運んで来た。  代官が暮らす高山陣屋には、街を貫いて流れる宮川のせせらぎの音が聞こえる。長閑なひと時である。  山間の鄙びた高山に暮らす町人は、由衣之介の帰参を驚くほど喜んでくれた。手土産を持って、知古が訪れて来る。  「お帰りをお待ちしておりましたぞ。由衣之介様のお元気な様子に、安堵いたしましたわぃ」、その日も山寺の住職が、自慢の地酒をもって訪ねて来た。江戸での噂が、何処からか聞こえているらしい。  「悪い夢を見ていたようじゃ」  今では、遠い江戸の日々が現のこととはとは思えぬ時がある。  人々のかわす穏やかで鄙びた飛騨の言葉を聞いていると、久しぶりに心が和んだ。  陣屋の座敷の障子を開けて、白く雪を頂く山々を仰ぎ見た。もう直ぐまた、一面の銀世界が訪れる時が近づいている。  秋の恵みに溢れる今は、厳しい冬を前にした天の恵みのようなひと時だ。  この頃・・ふと小紫の事を思い出す。  吉原で初めて会った花魁の小紫。  遊女と言う辛い運命を背負って、それでもなお前を向いて懸命に生きていた女。  「わちきは主さまに惚れてありぃす。死ねと言わんしたら、喜んでこの命・・差し出しんす。受け取っておくんなまし」、胸に抱いたあの時、小紫はそう言った。  遊女の甘言、騙されては為らぬと身構えたものだ。  そこで、別の女の顔が浮かんだ。  「右京」、想い出深い女の名だ。  大岡越前が画策した縁談の相手。吉宗様にリストラされた、大奥の御中年寄りだった女だ。  あの吉原騒動を画策し、見事にやり遂せた呆れた女でもある。  「まことに逞しい女子だった」  フッと笑みが出た。
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