第四章  *お江戸の娘は負けませぬ*

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 その時。突如として川向こうに、二人の男の姿が増えた。増えたとしか言い様が無い。  小紫も、二人の男もよく見れば旅装束だ。  然も・・二人の男は侍だ。  風が巻き起こり、霧が晴れて・・三人に足が生えた。  「足がある」  間抜けな声が、口から出る。  小紫が俺を追って、江戸から来た。奇跡の様な出来事が起こったのだと。  茫然とした。  陣屋の座敷に座る小紫を目の前にしても、何も言葉が浮かばない。出てこない。  「由衣之介様。吉宗様の御命令ですから、妻にして頂きます」、目の前の小紫が何か言っている。  生きて・・俺の前に座っている。  心に喜びが、ひたひたと岩清水のように滲み出る。  「それと。私の名前は千代でございます。お見知りおき下さりませ」  えらくハッキリした物言いが、右京を彷彿とさせる。本当にこれは・・あの小紫なのか?狸か狐が化けているのではあるまいな?  呆けた顔で自分を見つめる由衣之介を、どう理解したものかと。千代になった小紫は悩んだ。  大岡越前から高山陣屋まで小紫を届ける様に言い付かって道中を一緒にして来た早瀬金吾が、突如として口を開いた。  「上様の命で御座るぞ。お断りはできませぬ」  「お返事はいかに」  若い金吾のキツイ言い草に、同道してきた小野寺佐内が割って入った。  「吾らは大岡様から、千代さまを高山陣屋まで無事にお届けする任を仰せつかっておりまする」  「チャンとご説明せねばなりませぬな。キツネにつままれたような顔をしておいでじゃ」、面白そうに笑った。  気配りの効いた年配の町方同心はそこで、千代田の城で交わされた驚く様な話を教えてくれたのである。  事の起こりは。  小紫が紫根堂からの申し出を断ったことだ。  「申し訳ありませぬ。私は由衣之介様を生涯の伴侶と想い定めておりまする。添い遂げられずとも、想うお方はあの方ただ独りにて」  添えずとも良いと思い定めた、健気な千代の言葉だった。  早い話が、「養子の嫁に来てくれないか」と言う紫根堂の申し出を、小紫は断ったのだ。
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