第三章  吉宗様の喧嘩

2/36
69人が本棚に入れています
本棚に追加
/197ページ
  其の一 (龍王丸)  1・  婚儀の後で、始めて閨を共にした。  優しく抱き寄せる辰五郎に抱かれて、女になった。  「男を好きになる日が来るとは、思うても見なんだ」  その胸に抱きしめられ、恥ずかしそうに呟いた右京である。  大奥で男に抱かれるとしたら、それは将軍様の寝所に上がる時だけだ。  上様に選ばれた女は、お側に仕えるお手付き中臈になるのが慣例である。  それは愛とか恋とかには関係の無い、義務に等しい行為。  徳川家の血筋を維持するための側室は、将軍家の御子を一人でも多く産むための道具だった。そう考えただけで、心も体も冷えた。そんな運命から逃れる為の方便が、右京の男嫌いだった。  だが今!辰五郎の腕に抱かれた右京の身体に、思いも寄らなかった熱いものがほとばしったのだ。  右京は本気で、辰五郎に惚れた。    そんな新婚生活のスタートは、右京に町方の女房に為る覚悟を決めさせた。  炊事も裁縫もやったことはないが、取り組む気は満々だった。だが豪商の家は、今迄の暮らしとさして変わらない。  家事をする為の下女中、家の中を差配する上女中がいる黒鉄屋の内所。大店の御新造さんは、自分の身の回りの事さえ女中任せなのが普通だと、辰五郎は言う。  右京が遣ることと言えば、辰五郎の世話だけ・・右京は、退屈を持て余した。  暇を持て余した右京は、黒鉄屋の帳簿に興味を持った。  昔から換算は得意だった右京である。早速、算盤を弾いては店の経営を独習中!   「旦那さま、御新造様は変ったお方でございますねぇ」  古くから居る女中のお梅が、辰五郎につい思ったことを口にした。  「最初にお目にかかった時の奥女中姿の御新造さんは、それはもうお武家のお姫様らしくって、キリッとしてそこいらの女子とは違っておいででした。でも今では、生まれながらの商家の出のお方でございますよぉ」  「まったく逞しい女だ」、つい笑みがこぼれる。その逞しい根性に惚れ抜いている辰五郎だ。  「それにしても算盤が使えるとは、てぇしたもんだ」、   如何なる運かは知らぬが、辰五郎はたいそうお買い得な女房を手に入れた、と言う事らしい。  「縁とは不思議なものだ」、つくづくとそう思った。   今風に言えば、ハネムーン!惚れた女と一緒に居たい。惚れた惣五郎の弱みだ。「とにかく二人っきりの時間が欲しい」と・・右京を千石船に乗せて連れて来た本音はソレだった。  
/197ページ

最初のコメントを投稿しよう!