尊氏の憂鬱

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 鎌倉幕府は終わりが見えていた。  御恩と奉公。  執権のために戦えば、領地をくれるという制度には限りがあった。  鎌倉幕府は五十年前に元寇を受けて、御家人が奮闘しモンゴル軍を撃退するも、その御家人に支払う領地――御恩がなかった。  幕府の得宗は北条氏のみに限られていた。ゆえに幕府に御家人たちは不満をつのらせていた。   そのときに現れたのが、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)である。  両統迭立――  はるか昔、後嵯峨(ごさが)上皇の息子たちふたりがお互い譲り合ってきた。  そのおこぼれにあずかった大覚寺統の皇子であり、帝位についたのは齢三十のことであった。  幕府に反抗的であり、自ら政権を握りたいと思う精力的な帝であった。
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