0人が本棚に入れています
本棚に追加
その日誠司が見た夢は三浦の笑顔。見たこともない顔。つまり願望。
いつもより長めにシャワーを浴びて、いつもより丁寧に歯を磨いた。鏡に写る自分を見つめて一本だけ長い眉毛を見つけて抜いた。
「好きな子でも出来たのか?」
父親にすらバレてしまうほど、内面が行動に現れていた誠司。動揺するそぶりも隠す気もなく席を立った。いつもよりも30分早く家を出た。
誠司が通学路を外れて向かったのは、駅へ続く大通り。学区外のこの道を通る生徒はいない。来るとすれば電車で通う教師だけ。30分の貯金を使い切っても、ここを通った教師は4人だけ。その中に三浦はいなかった。その時、誠司の視線を市営バスが横切っていった。
「バスで通っているの?」
朝のHRが終わって教室を出ていった三浦を追いかけてまで問いかけた誠司。廊下はロッカーに教科書を取りに出てきた生徒たちで溢れていた。生徒と教師が話しているなんて不自然なことではないけれど、誠司の真っすぐなまなざしが三浦の歩く速度を上げさせていた。
「答えない」
「どうして?」
「それも答えない」
三浦は知っていた。たかが一つの質問を答えてしまうことの恐ろしさを。誠司の言葉は生徒と教師の関係を超えるためのもの。通勤の手段を知られることなんて大した秘密はないけれど、問題なのは答えることで誠司が自分を特別なんだと勘違いすることだった。
現代において教師と生徒で立場が弱いのは、明らかに教師の方だ。三浦にその気がなくても生徒が恋心を抱いてしまえば、それが誘惑だなんてことになりかねない。
特に三浦の容姿は保護者の反感を買って、人嫌いの性格によって男性すら味方になってくれない。そのことは前の学校で痛いほど経験したことだった。この学校へ転任するきっかけがまさにそれ。だから、その後の誠司の質問に対して一切の無言を貫いた。
職員室へ入った三浦がピシャりとドアを閉め、弾かれるように誠司は廊下へ取り残されてしまった。ドアの窓から三浦の歩く後ろ姿を見つめた。長方形の窓は映画のスクリーンで三浦がヒロインを演じる女優だとするならば、廊下に弾かれた自分は座席で観賞するお客に過ぎない。女優とお客ほど遠い存在だって鼻で笑って、上等だよって青臭く息巻いた。
最初のコメントを投稿しよう!