お風呂という場所

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 浴槽は、異世界に繋がっている。 「…なーんて、夢見た日もありましたよ」  頭を洗い終わり、きっちりと泡を流してから浴槽に足を入れる。少し熱めに設定している湯加減は、冷たい指先をじんじんと温めるのにちょうどいい。  ふぅ、と一息ついて、ぐっと首を反らし天井を見上げた。膝を曲げないと体が収まりきらない小さな浴槽は、たとえ異世界に繋がっていたとしても狭すぎて通れないだろうと思う。一人暮らしを始める際、家賃を極限まで抑えつつ、断固としてバストイレ別の物件を譲らなかった結果、こんな狭い浴槽の部屋になってしまった。  とはいえ、そう大した不満は実はない。確かに浴槽は小さいけれど、所詮自分一人が入るだけなのだし、湯を張る量も節約できるので、なんだかんだ助かっている。主に金銭面において。 「でもさー、少しぐらい不思議なことが起こってもいいじゃんねぇ」  浴槽の中で膝を抱えながら一人ごちる。いや、この現代社会において、漫画や映画のような出来事が起こるなんて微塵も期待しちゃいませんけどもね。でも、お風呂から古代人が現れたり、お風呂に吸い込まれて魔王になったりなんかしちゃうかもしれない、と妄想するくらいは許されるんじゃないだろうか。だって、誰にも迷惑はかけていないのだし。自分ちの風呂場で、自分勝手な妄想をするくらい、自由にさせておくれよ。 「さて、今日はどんな妄想をしようかしら」  目を瞑って、想像の世界に身を沈める。温かい湯に浸かり、ゆったりとあれこれ想像するのが毎日の楽しみだった。友人には、地味な趣味だと笑われたこともある。バカにしやがって! と怒る気も起きなかった。  そう、この趣味は至極地味で、けれどお金のかからない贅沢な趣味なのだ。わからない奴にはわからなくてもいい。派手さなんて、もともと求めていないのだから。想像の中では、自分は何者にもなれるし、どんな世界にだって行ける。現実世界ではできないことができ、現実世界では任されないような仕事を任される。けれどそれは結局妄想で、だからこそ諦めもつく。そうやって日々の鬱憤を発散させているのだ。
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