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ボロボロのバスタオルが猫の額ほどのベランダでなびいている。錆びた鉄の階段。玄関側へ回り込むとドアの横に置かれた雨ざらしの洗濯機。
「ここ? あけぼの荘」
「そう」
確かにここはあけぼの荘で、毎日帰りたいと祈るように願っていた場所のはずだった。
「好きなんやな、ここが」
陽子ちゃんは鼻を膨らませて満足そうに言った。
和室の狭い部屋。一緒に包んだ不細工な形の手作りの餃子。二人で入るには狭すぎる真四角の湯船。毎晩絵本を読んでくれた母の声。
好きなものが全てここにあったはずなのに、戻りたいと願っていた場所のはずなのに、今の友美にはただの古い木造アパートだった。
「やっぱり違う」
「なにが?」
「ここ、好きな場所じゃなかった。ごめん、陽子ちゃん」
「そうなんや……」
いったいどこへ行ってしまったんだろう。私が戻りたいと願っていた場所は。温かく、安心できる大好きなあの場所は。
「でも、友美ちゃんにとって大切な場所なんやろ、ここは」
帰る場所がなくなったような寂しさを抱えて友美は肩を落とす。
陽子ちゃんは返事をしない友美のランドセルをポンポン、と叩き、行こうと促す。
時々友美の顔を覗きこんで陽子ちゃんは笑いかけたが、友美は暗い気持ちのまま陽子ちゃんと別れた。
それから毎日陽子ちゃんと帰った。帰り道、通学路を少し逸れて川原へ行くようになる。
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