191人が本棚に入れています
本棚に追加
/541ページ
俺を凍りつかせたあの恐ろしい瞬間が、もう遠い出来事なのだ。
「なぁ、どこまで行くんだよ、どこに行くのさ……!」
泣きそうな声でそう問いかけるけど、前を行く男は振り向きもせずに無言で走り続ける。
「無視すんなよ! なぁっ……」
すると突然男は振り返りながら足を止め、俺はその胸に飛び込むような形でぶつかった。
「っ!」
「……じゃあ」
冷たくて静かな声がすぅっと俺の心に入ってくる。
俺は入りこむ冷たさに息を止めた。……止めてしまった。
そして静寂に耐えかねるように男の顔を見あげると。
「……お前は、どこに行きたい?」
端正な顔が静かに俺を見つめていた。
……あれ、なんだろう、これ。
その深く透る声や妙に惹きつけられる静かな瞳のせいなのか、荒れ狂っていた心が一気に静まり変にざわついた。
未だに上がっている呼吸をよそに、生ぬるい風がゆったり頬をなでていく。
雨上がりの夜の、ねっとりとした空気が肌にまとわりついた。気持ち悪い鬱陶しさだ。
いつの間にか周囲にあった樹の落葉が髪を撫でて、ゆらゆらと堕ちていく。
俺は体裁など気にする余裕もなく、その男にすがりつきながら震える声で言った。
最初のコメントを投稿しよう!