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玄関を入った土間で家族5人が顔を合わせた。
お袋は上がりかまちに正座していた。
俺は吐きそうなのを我慢しながら何とか切り出した……
「ひとみ、健太、実は……」
操は一瞬悲しい顔で俺を見つめ……下を向き黙ってしまった。
俺は精一杯の力を振り絞って声を出した。
「ひとみ、健太、聞いてくれるか…実は父さんは仕事で遠くに行かなくちゃならなくなったんだ…次にいつ逢えるか分からない……」
しかし、すぐに顔を上げた操はいつもの優しい笑顔だった。
そして土間に膝をつくと、ひとみと健太を抱き締め顔を見つめ、優しく、しかしはっきりとした口調で言った。
「ひとみ、健太。
父さんはお仕事で遠くに行かなくちゃならないの。
分かるでしょ?」
ひとみが大きな瞳に涙をいっぱいに溜め、小さな声でつぶやいた。
「父さん、もう逢えないの?……
でも、分からなくちゃいけないんだよね……
だけど嫌だ……」
健太が俺の両足にしがみつき、大きな声で言った。
「父さん、ダメだぞ!
次の休みには釣りを教えてくれる約束だぞ!
いつもの小川で釣りを教えて……
うわぁ~ん!
父さんはずっとおれの父さんだぞ!どこにも行かないで!」
頭が揺れる。土間と天井が交互に入れ替わる錯覚にとらわれる。
これは現実なのか?
その時俺が見た操はいつも以上の優しい笑顔だった。
俺は慌てて玄関を飛び出し、家の脇にある小さな畑で少しだけ吐いた……
死ぬより辛いってのはこういう事か……
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