第1章

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 「譲次、妬いてるの?」  二人は同時に立ち止まった。  大きな雨粒が傘にあたって音を立てている。  傘を持つ手に彼女の手が重なった。  「まさかね」  彼女はにっと歯を見せ、さっさと歩き出した。  重なった手に引きずられるようについていく。  「一号ってば、あたしのことなんて女として見てないもん。小野バアに負けてるの、あたし」  日に焼けた横顔を喰い入るように見つめた。手は握られたままだ。  「でも、やつにその気があったら?」  やっと出た声は震えていた。  彼女はとってつけたように声を立てて笑った。  「あり得ない、あんな会う女会う女全員に声かけるやつ。あたしって結構ノーマルなんだから」  弟の真似を忘れていた。  「本気じゃない……そんなのすぐにわかるだろ」  彼女はゆっくり瞳を上げた。  「譲次、どうしたの? 今日はなんだか変」  再び、手を振りほどいていた。傘の柄を彼女に押しつけ、  「俺、寄るとこあっから」  雨の中へ飛び出した。  大きな傘を持った彼女は、ぽつんと残された。  いつもよりずいぶん小さく見えたが、俺は背中を向け歩き出す。  あっという間に雨が髪の中まで染みとおり、前髪を伝い顔じゅうを這った。  彼女が声を張り上げた。  「ひぐっちゃん!」  傘を振り捨て、こちらに駆けくる。制服の赤いネクタイの結び目をつかまれ、前かがみの格好にされた。半開きの口に、柔らかな温かいものが押しあてられた。  一瞬だったのか、長い時間だったのかわからない。  唇を離し、彼女はほっと息をついた。  「背、また伸びたみたい」  うるんだ目と、真っ赤な鼻と頬がすぐ近くにある。唇が言葉の形に動く。  そこでいつも、電波が乱れるように音も映像もぶつ切りになる。  「ひぐっちゃんの はなは あかく ないね……」  俺は顔を押さえ、彼女から離れた。そのまま、つんのめって駆け出した。  夜遅くなり、雨は霧に変わった。  体の芯まで濡れそぼり、骨が氷に置き換わったみたいだ。あごや耳や指の先からぽたぽた水が垂れ、玄関のたたきを濡らした。  家の中は暗く、人の気配はなかった。  とっくにわかっている。この日、弟が腹膜炎を起こし緊急に手術になった。母親はあわてて病院にすっ飛んでいったあとだ。
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