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女は廊下に出、玄関に向けさっと手のひらを開いた。
「じゃあ、お帰りの時間ね。お大事に」
何を言おうと勝てる自信はない。
コートのポケットに両手を入れたまま、スニーカーをつっかけ、かかとを踏み外に出た。
〇
先に気がついたのは、あんなだった。
「あれ? きゃあ!」
うれしそうな顔で立ち止まって、ぶんぶん手を振る。
駅前の、人でごちゃごちゃ混んでいる中に、あたしもきたないコートの男を見つけた。
両手をポケットにつっこんだまんま、ひぐっちゃんはあたしらを見た。
「今、お帰りですか? お嬢様方」
くつをひきずって、だらしない歩き方で近づいてくる。
あたしはちょっと目をしかめた。
「今日は格別にお美しいですな、あんな姫」
「樋口さんもことのほか、カッコいいですわ」
「そりゃどうも。しかし、その件は郵便ポストが赤いがごとく自明です」
あんなは顔を赤くして笑った。
「でも、くつのかかとは、ふまないほうがいいと思います」
ひぐっちゃんは素直にスニーカーをちゃんとはいた。けんけんと、つま先を道に打ちつける。
あんなが聞いた。
「今日は、お仕事ですか?」
ひぐっちゃんは顔を上げた。サングラスがきらっと光る。
「うん……まあね、仕事っちゃあ、仕事だな」
「そうなの、とってもえらいですね」
あんなはランドセルの横にぶら下げたポーチから、いちごみるく味のあめをとりだした。
ひぐっちゃんは両手にどっさりもらって、よろこんだ。
「おお、さんきゅう」
いつもお腹をすかせてるのを、よく知っているのだ。
あたしは子犬みたいに、鼻をくんくん動かした。
「病院のにおいって、けっこう好き」
聞こえたはずなのに、となりのひぐっちゃんはなにもいわなかった。
駅前で会ったときにちらっと思ったんだけど、サングラスをとったらやっぱりそうだ。目の下はぼんやり黒くて、ほっぺはそげて、顔色がヘンに白い。どこから見てもりっぱな病人だ。
「だいじょぶ? ご飯食べてないの?」
あたしはひざの上にランドセルをのせて、待合室のベンチにすわっている。
病院は満員だ。世の中に、病気やケガの人ってたくさんいるんだなあ、って思う。
あんなはすごく残念がってたけど、ピアノの日だったので来られなかった。
あたしだけ、そのままついてきた。
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