第1章

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 「寒いの? みずき」  あたしはあずかったコートをかたからひっかけて、両方のぐうをひざにおいていた。そこへなみだがぽつん、と落ちた。  「どうした?」  ひぐっちゃんはびっくりしたみたい。となりにすわった。少し迷って、あたしの手に手をかぶせた。  どきんとしたけど、あたしは動かなかった。  「ひぐっちゃん、病気なの?」  ひぐっちゃんはちょっと黒目を動かした。答えるまでにすこし間があった。  「大したことなかった。薬でよくなるって」  あたしは全身を固くして、目をのぞきこんだ。  「だいじょぶなの? 今は苦しくない?」   ひぐっちゃんは手を離した。ほっぺたをぽりぽりかく。  「全然。もしかして……心配してくれた?」  かたのそでで、あわててなみだをふいた。  「だって、すごくぐあい悪そうだったから、さっき」  ひぐっちゃんはあたしからコートをとった。すわったままきゅうくつに着て、ポケットからサングラスを出してかけた。  「さっき? ああ、ちょい考え事」  「なに? 調査のこと?」  「いやな……」  ひぐっちゃんは思い出しわらいをがまんするみたいに、手のひらで口をおさえた。  「……やっぱ、教えない。だって、みずきすぐ怒るから」  あたしはまゆ毛とまゆ毛の間にしわをよせた。  「すぐおこる、って?」  大きい声が出た。  「さては女のことだ。もう、信じられない、あたしがこんなに……」  ひぐっちゃんはあせってあたりを見回した。  「ばか、こんなところで」  まわりの人たちは知らんぷりしているけど、耳だけはしっかりと向けてる。  なにしろ、みんな長く待たされてたいくつなんだ。中年男と女子小学生のけんかなんて、そりゃけっこうおもしろいかもね。  でもあたしはそんなに、みんなをおもしろがらせたくない。ランドセルを持って立った。  「帰る」  「あー、そうそう、うらなり先生最近どう?」  ひぐっちゃんはわざとらしく声をはりあげて、いっしょに立った。あたしのかたをつかんでいっしょに歩きだす。  だから待合室の人たちは、話の続きを聞けなかった。  「さわんないで」  かたをふって、手をはじいた。  ひぐっちゃんはにやにやわらいながらついてくる。  「だから、おまえの担任はどうよ」  「別に。全然変わんない。いつものアイスマンだよ」  あたしは口をとんがらせながら、うつむいた。
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