1 ウソは家庭円満のはじまり

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1 ウソは家庭円満のはじまり

 評判がいいのかどうかわからないけれど、もうすぐ1年になる。  先生が執筆を担当している、新聞のお悩み相談コーナー『悩みごとプリーズ』。はっきり言って、真剣に向き合う気があるとは思えないほど、軽いノリのタイトルだ。  新聞は新聞でも、地元密着のローカルなメディアだから、ほんわかした会議の中で、先生が適当に口走ったタイトルが、そのまま採用されたんじゃなかろうか。  ・・と、おいらは思う。  ちなみに、おいらは黒猫だ。1年前、先生んちの家族になった。  とりあえず、連載は土曜日の夕刊だから、息抜きというか、あえて肩の凝らない記事にしているのかもしれない。  そのせいか、悩みとは思えない相談ばかりがくる。  人生経験の浅い先生には、ちょうどいい。  しかも、週一の安定した仕事。ありがたいことだ。なんせ、これしか収入源がない。じり貧のエッセイストなのだ。  食に関することを書いてはきたけれど、最近はすっかりネタ切れで、物書きとしてはガス欠状態。アクセルをめいいっぱい踏み込んでも、前に進みやしない。  企画・アイデアというガソリンを、満タンにしておかなかったツケが回ってきたのだ。  自分自身を、アップデートすることを怠ってきた。  まさに不勉強のたたり。  もちろん、それだけじゃない。  食べ物について書くライバルは、腐るほどいる。ネットのせいで、誰でもライターになれる時代。 「腐ってしまえ!」  と、パソコンに向かって暴言を吐いていたら、いつの間にか先生が腐ってしまった。  文章力も性格も・・。  そろそろ、違うジャンルも視野に入れたらいいのに・・。  せめて、みんなが興味を持つ旅行とか、ファッションとか、美容・健康・ダイエットにまで手を広げたらどうだろう?  と、思ってはみたものの、先生は極度のインドア派だった。用事がなければ、絶対に外へ出ないから、旅のエッセイは難しいな。  もっときびしいのは、ファッションだ。  部屋着もパジャマも共通で、ベッドから起きたそのまんまの格好で1日を過ごす。  夏はTシャツに短パン。冬はジャージ。しかも上下で、色もブランドも違う。ファッションを語ってはいけない人種だった。  もっともっときびしいのは、美容・健康・ダイエットだろう。  世の中には、ちょっと見栄えがいいだけで、「美人アスリート」とか「美しすぎる社長」とか、気を引くために美人の大安売りをするけれど、残念ながら、先生は安売りの対象外。  その代わり、プロフィールには、「人気のエッセイスト」と書いてある。  しかし、これは間違いだ。  正解は、「元人気のエッセイスト」。  そこそこ売れたエッセイが、10年前に1冊だけあった。食い意地の張ったキャラが光る、おもしろおかしいドタバタエッセイだ。  そのタイトルが、『食べて太って、また食べて・・』というから、体型と自堕落な性格がわかりそうなもんだ。  外に出ないから、髪はボサボサ。  化粧もしない。  朝は顔も洗わない。  ついでに屁も臭い。  1日4食、お腹がグ~と鳴る前に間食をする38のアラフォーに、美容・健康・ダイエットは無縁のジャンル。触れることすらおこがましいテーマだ。  そんな先生の元に、こんな相談がきた。b8a6b24f-d189-4453-a3c6-cea475bab6e9『鏡ばかりを見る姉に困惑』 (10代・男性/東京都)  高校生の姉がいます。  半年ぐらい前から、急に鏡を見るようになりました。  姉の部屋には姿見があり、それ以外にも、勉強机には、顔全体が映るスタンドミラーが、正面に置いてあります。  教科書を開かず、ずっと鏡を見ながら、二重まぶたにならないかと、爪で跡をつけてみたり、美顔ローラーでマッサージをしたり・・。  どの角度がよりきれいに見えるのか、顔を左右に動かすという、無益な時間を過ごしています。  この間は、アヒル口を作って、上目遣いでこびる練習もしていました。  両親の顔を見れば、鏡を眺めたところで、ゴリラはゴリラなのに、 「激似じゃない? 浜辺美波に・・」  視力が低下しているのか、旬の女優を出しては、同意を強要するので困っています。9931d39b-1079-4c29-a650-6cfb9e7c0765「好きな男の子ができたのかもしれません」     先生はそうパソコンに入力し始めた。 「あるいは両想いで、彼のためにさらに美しく、女子力を上げようとしているのかもしれません。女性として当然のことです」  その文章が画面に表示されたとき、おいらはニャーと豪快に鳴いた。  パソコンのマウスの横が定位置で、先生の顔と画面を交互に眺めながら、ときどき鳴いている。  話の相槌を打つのもあるけれど、ほとんどは、自分のことを差し置き、嘘ばかりを並べた回答に、 「なんでやねん!」  猫パンチと一緒に、ツッコミを入れている。  女性として当然のことですと言いつつ、当然のことができていない。  それが先生だ。  口の周りのうぶ毛処理すらしない女が、よくもまあしゃあしゃあと、書けたもんだと思う。 「鏡を見て、キレイになりたいと心から願えば、必ずキレイになっていくものです」  気休めだよな。 「友達に紹介しづらいゴリラ姉さんより、『お前の姉ちゃん美人だな。お前をこれから弟と呼んでいいか?』と言われるほうがいいでしょう」  恋愛ドラマの見過ぎだね。 「いくつになっても、美しくありたいと思う女心を、理解してあげてください」  ということは、先生は、女心を持ち合わせていないことになる。  それなのに、 「私も、常に鏡でチェックしていますよ。健康や心の状態までわかります。今日は肌がくすんでいるとか、目の下にクマができているから、しっかり睡眠をとろうとか、表情が暗いから、意識的に口角を上げようとか、眉間に深いシワが2本もあるから、顔をしかめるのはやめようとか、髪の生え際に金髪が出てきたとか・・」  それは白髪だろうが・・。 「鏡を見ているから、気がつくことです」  開いた口がふさがらない。  鏡も体重計も避けている女が言うことなのか。  さらに、 「もちろん、顔だけではなく、全身を見ることも重要です。腹の出具合、胸の垂れ具合、太もものセルライトも確認できます。見た目に気をつけようと、己を(いまし)めるツールでもあるのですから、鏡は・・」  おいらがここに住み始めてから、先生が自分を戒める姿を見たことがない。  でなければ、そば屋の前に置いてあるような、信楽焼(しがらきやき)のタヌキ体型にはならないはずだ。  体を動かすたび、ワークチェアがギーギーと悲鳴をあげる状態だし、最近は、便器が壊れないか心配だ。  自分が見えていないのは、むしろ先生のほうだろう。 「私の知っている70ちかくのおばあちゃんは、居間のテーブルに小さな鏡を置き、テレビを見ながら、ついでに自分の顔も見ています」  それは先生のお母さん。美意識高い系のおばあちゃんだ。  そこのところの遺伝が、1%も娘に伝わらなかった。 「だからといって、シミもシワも取れるわけではありませんが、何もしなければ、男か女かわからないただの老人」  たまにいるよな。男に見えるおばあちゃんが・・。  先生も、その道まっしぐらだな。 「男の人も、ぜひ鏡を見てほしいものです。私の大学時代に、歯磨き粉を口元に付けたまま、授業に来ていた同級生の男子学生がいました。影で、同じゼミの女子学生同士が、クスクスと笑っていたのを、今でも鮮明に覚えています」  絶対、先生が率先して笑っていたほうだな。 「出がけに鏡さえ見ていれば、登場するだけで笑われる芸人のような仕打ちを受けなかったはず。気の毒でしたが、気の小さい私は、指摘してあげることができませんでした」  先生が大学生のときは、気が小さかったと思い込もう。 「それに、人は見かけが90%といいますから・・」  ということは、先生は中身の10%で勝負か。その10%は、一体何なのだろう?  仕事は先細ってカネはない。  性格だってひねくれている。  バラエティー番組に出ていた、茶髪のチャラいIT系の社長に、 「地獄に落ちろ!」  画面に向かって吠えていたし・・。 「野菜だって、姿・形のいいものしか売れません。それが現実です」  確かにそれはあるけれど、最後は味が決め手だぞ。  そう言いたくて、ニャーと2回も鳴いてみたけれど、先生は完全に無視。パソコンに続けて、 「弟としても、近い将来、ゴリラが売れ残っては困るでしょう?」  と、打ち込んでいた。  ゴリラじゃなくて、お姉さんだから・・。  まったく、見事に売れ残っている先生が、吐く言葉とは思えない。  半額のシールを貼っても、誰も手に取らない真っ黒なバナナと同類のくせに・・。 「きれいになるための努力の一環と思って、大目に見てください。そして、不本意でも、浜辺美波と言ってあげてください。エマ・ワトソンでもいいですよ」  そこまでいくと、嫌味にしか聞こえない。 「あなたがお姉さんのサポーターとなって、応援しましょう。ボディビルの大会では、サポーターがいろんなかけ声をかけるようですね。たとえば、『ナイスバルク』というかけ声があります。バルクというのは、筋肉の大きさのことなので、これを参考にして、『ナイスゴリラ』はどうでしょう?」  ゴリラ顔をほめてどうする?  そのあとも調子に乗って、先生はかけ声を考える。 『土台が違うよ、土台が・・』→『土台がゴリラ、土台が・・』 『デカイよ、ほかが見えない』→『ゴリラだよ、ほかには見えない』 『逆ガリガリ』→『逆ゴリラ』 『いい血管出てるよ』→『いいゴリラ出てるよ』  悩みを解決する気があるのか?  浜辺美波どころか、本物のゴリラに似せていったら、どう責任を取るつもりだ? 「かけ声はタダですよ。美容整形をしようものなら、サラリーマン家庭は、家計が逼迫(ひっぱく)します。それがめぐりめぐって、あなたの将来を左右し、大学進学をあきらめざるを得なくなるかもしれません。お姉さんが玉の輿に乗らなければ、ペイしませんよ(笑)」  えっ、笑うとこなのか? 「鏡は、女性を美しく変える魔法のアイテム。そういえば、少女漫画の『ひみつのアッコちゃん』をご存知ですか? アニメ化もされています。主人公のアッコちゃんが、鏡の精から魔法のコンパクトをもらい、呪文を唱えて、いろんな人物に変身するというものです。今、あなたのお姉さんは、ゴリラからヒトへと変身すべく、魔法のコンパクトを眺めているのです」  もっとソフトに言えなかったのか。  お前の姉は、ヒトにも進化していないと、悪態をついているようなもんじゃないか。 「私も、美を追求するアイテムとして、鏡は手放せません」  まさか相談者は、先生をミスユニバースにエントリーするような、とてつもない八頭身美人と、勘違いしないだろうな。  実体を知っているのは、おいらと新聞社の担当者だけだ。
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