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10 執念はうっとうしい
『大好きな俳優Xと結婚したい。いえ、します!』
(20代・女性/栃木県)
たまたまテレビで見た時代劇で、主人公の相手役をしていたイケメン俳優Xに、一目惚れをしました。
ルックスが、どストライクです。
くりくりの目に大きな口。ヒゲも薄く伸びています。しかも、声がだみ声です。
クール過ぎて、私にはもう、この人しかいない。Xが運命の人、結婚相手で間違いないと思いました。
誕生日が同じ9月3日。互いにおとめ座で、相性は抜群です。
Xはまだ有名になっていません。
絶対、これからブレイクすると思うのですが、その前に、何とかして出会いたい。宇宙一、俳優Xを想う自分がいることに、気づいてほしい。
ファンクラブに入りましたが、そこからどうアピールしたらいいでしょうか。 ドラえもん?
ドラえもん似の俳優?
それってイケメンなのか?
相談者の視力が極端に悪いのか、それとも、目が曇っているのか。いや、腐っているのかもしれない。
でもまぁ、先生のお母さんだって、今井をイケメンと言うくらいだから、人の好みはそれぞれなんだな。
先生だって、超絶イケメン好き。
テレビに出てくると、頬が緩みっぱなしだもんな。録画したドラマは、イケメンが画面からいなくなると、すかさず早送り。内容より、男を眺めている。うっとりしたまなざしで・・。
「俳優Xねぇ・・」
先生は、ワークチェアの背もたれに体重をかけ、足を組んだ。太ももが太すぎて、足首を交差するので精一杯。
その体勢で、
「私、失敗しないんで・・」
と、いきなり言う。
それは『ドクターX』だろうが。
好きなドラマの決めゼリフを、ここで言うな。主演女優と、足の太さがまるで違うわ。
「何が失敗しないんだ?」
お父さんが、仕事部屋のドアを開ける。
頭は見事にツルンとしていて、ゆで卵のようだ。誰が見ても、毛根が死滅しているとわかる。その輝きは、富士山頂で拝むご来光。
ちょっと言い過ぎか。
以前、ハゲ上司に関する相談があったけれど、お父さんは髪がまったくないから、黒のマジックペンで、カムフラージュのしようがない。
「ノックぐらいしてよぉ~」
先生の眉間にシワが寄った。ぼってりした口元が、やや突き出ている。
「失敗しないって、結婚のことか?」
ああ、それを言っちゃあダメだよ。40目前の女に、その単語は禁句。今すぐ、お父さんの辞書から消してくれ。
おいらが代わりに、ニャーと鳴いたら、
「クロも心配してるんだな」
頭をなでなでしてくれた。
心配じゃなくて、無理だと言いたいんだけれど・・。
「でもこの間、今井くんが挨拶していったみたいだぞ。お嬢さんをくださいって、母さんに・・」
「・・?」
もう耳が遠くなったのか? それとも、本当にそんなことを言ったのだろうか?
前に、結婚のことは適当にあしらえと、先生が今井に頼んでいたけれど、それはウヤムヤにしてお茶を濁す、そういう暗黙の了解だったはず。
賢い東大卒ならば、そこのところは理解したと思ったのに、どういうことなのだろう?
わざわざ、こじらせることを言うか?
本当に、結婚を考えているのか?
契約上の偽装彼氏なのに・・。
先生の頭の中も、?マークになっているのか、しきりに首をひねっていた。
「多分、原稿くださいだと思うけど・・」
先生がここで、ウヤムヤにしてお茶を濁す作戦をとった。原稿を催促されるほど、遅れたことはない。
「そうなのか? いつでもどうぞって、言っておいたけど・・」
娘をやるにしても、その言葉は軽すぎる。猫をあげるときだって、ひと言、大事にしてと言うだろうが・・。
「もう・・」
またしても、眉間にシワが寄った。さっきより深い。爪楊枝が2本は挟めるな。
今度今井が来たら、確認しなければならない案件だ。
「仕事中だから・・」
先生は、郵便物を持ってきたお父さんの体をクルリと回し、背中を廊下まで押し出した。
手元のハガキや封筒を1つ1つ確認し、たまに行く美容院の割引ハガキは、引き出しにしまう。お見合いパーティーのイベント案内は、
「チッ・・」
舌打ちしながら、開封もせずにゴミ箱へ放り込んだ。
そしてドカッと座る。
ギーッ!と、ワークチェアの悲鳴が上がったのは言うまでもない。
「幸せな俳優ですね。あなたのように熱狂的なファンがいて・・。私も昔は、映画『トップガン』を見て、トム・クルーズが伴侶だと思いました」
恐ろしい勘違い。
「時代劇の『剣客商売』を見て、藤田まことかもしれないと、心が揺れた思い出もあります」
好みのタイプが一貫していない。
「あなたのように、俳優やアイドル、ミュージシャンなどに、夢中になる人はいっぱいいます。部屋中にポスターを貼ったり、グッズや写真集を買ったり、ライブに行ったり・・。漫画やアニメのキャラクターである二次元の男性に、恋する人もいます。もちろん、結婚したいと夢見る人もいるようです」
そういう奴は、もうとっくに妄想で結婚している。勝手に、夫とか妻とか言っている。赤ちゃんまで、生まれているかもしれないぞ。
「俳優Xは、まだそれほど売れていないということですが、ライバルは1人や2人ではないでしょう。イケメンならばなおさらです」
いや、絶対違う。ドラえもんだと思う。
「M-1グランプリの1回戦で敗退するような、才能も将来性もない芸人ならば、射止める可能性はあるかもしれませんが・・」
両方に失礼だわ。
「ファンクラブでは、よほど目立つことをしない限り、俳優Xの目に止まることはないと思います。たとえば、ファンレターを毎日のように出したとしたら、きっとあなたを覚えてくれるでしょう。最初はXも小躍りして、仏壇や神棚に、ファンレターをお供えするかもしれません」
それはどうだろう? 受験票じゃないんだから・・。
「しかし、それが10通、20通、いや、1万通と続けば、度を越したあなたに対して、俳優Xは気持ち悪い思いを抱きます」
もはや恐怖。サイコパスファン。
常識のある人間なら、そこまでやらないぞ。
「それでは結婚はおろか、友達にもなれません」
えっ・・?
あきらめろ。
現実を見つめろ。
鏡で、自分の顔を見たことがあるのか。
釣り合うわけがないだろ。
本当は、ドラえもんなんだろ。
・・という、アドバイスじゃないんだ。
「それか、所属事務所を張り込んで、俳優Xが行きそうなパチンコ、競馬場、キャバクラに違法賭博場など、行動範囲を調べ上げ、さりげなく、いかにも偶然をよそおって近づいていくのはどうでしょう」
飲食店とか、スポーツクラブとか、最寄りのコンビニとか、そういう店でいいんじゃないかな?
違法賭博場へ行く奴だったらクズだし、そんな場所で、どうやって出会いを演出するんだ?
「ハンカチを落としてみましょう。それを2、3回繰り返せば、俳優Xも、あなたを運命の人と確信するかもしれません」
古典的すぎる、その手口は・・。
「もちろんそのためには、あなたが魅力的な女性でなくてはなりません」
さすがに、“私のように・・”とは書かなかった。
いくら特技が嘘をつくことでも、パンツのゴムが、腹に食い込む女が言ってはいけない。食後に、爪楊枝をくわえる女が言ってはいけない。
「ほかにも方法があります」
イヤな予感。
「あなたは今、学生なのか社会人なのか、あるいは、何もやることがなく、ただ友達と、ファミレスでだべるだけの毎日なのかわかりませんが・・」
先生、“だべる”はもう死語です。
「Xが所属している事務所に勤め、マネージャーとして、四六時中まとわりつくという手はどうですか?」
予感的中。新しいストーカーの手口だな。
「容姿に自信があるならば、あなた自身が女優、あるいはタレントとして、同じ事務所に所属するのはどうでしょう? 別の事務所でもかまいません。共演さえできればいいのですから・・」
高いハードルだな。
「本当に接近したいと思うなら、それぐらいはできるはず。常に俳優Xの視界に、あなたが映り込むぐらいの執念をみせましょう。努力なくして成功はないといいますが、私はそれ以上に、夢を実現したいという、ヘビのような執念が必要だと思います」
ヘビは余計だわ。
そうなっているのは、先生のほう。ベストセラーへの執念が、グルグルグルグル、とぐろを巻いている。
「結婚しますと断言したのなら、ゴルゴ13のように、ターゲットを狙い撃ちしてください。数年後の吉報をお待ちしています」
この原稿は、ボツになるんじゃないかな?
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