11 嫌われたいなら自慢しろ

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11 嫌われたいなら自慢しろ

 世間はゴールデンウィーク。  しかし、先生は定年退職をした人と同じように、毎日が日曜日。だから、暇で暇でしょうがない。とはいっても、心はまったく休日モードにはならず、気持ちばかりが焦っている。  次はどんな本を書こうか、アイデアが微塵も浮かんでこないのだ。  そんな状況だから、テレビのニュースで、バリ島に行くだの、フランスでショッピングをするだのと、空港でウキウキと舞い上がった女どもや、家族連れのインタビューを見るのが大嫌い。  きっと心の中で、 (パスポートを盗まれろ!)  毒づいているに違いない。  テレビを仇のように睨んだあと、 「ふん」  鼻を鳴らしていた。  昼食後のリビングで、緑茶を飲みながらまったり過ごしていたけれど、富山のチューリップ祭りに、ラブラブすぎるカップルが映ると、一気に茶がまずくなったのか、湯飲みを持って腰を上げた。  キッチンに行って、冷蔵庫から炭酸飲料を取り出していた。胸くそ悪さをゲップと一緒に、吐き出そうとしているのかもしれない。  仕事部屋に戻って、出窓から玄関横の小さな庭をのぞく。  お母さんがプランターで育てた赤いチューリップが、花びらを大きく広げていた。もう見頃は過ぎている。  濃いピンクのツツジだけは、まだ勢いがあった。  先生は珍しくおいらを抱っこし、 「ふ~」  窓際で、ものういため息をつく。  顔と体型と年齢からして、まったく絵にならない。しかも紫色のジャージ。ヤンキー色ではないか。背中に夜露死苦(よろしく)って、書いてあったりして・・。 「よしっ、やるか!」  声に気合いが入った。  おお、仕事をする気になったのか。と思ったら、ソファーにドカッと腰をおろし、テレビのリモコンを操作する。録画しておいた、韓国の胸キュンドラマを見始める。  大好きな俳優が出ているようだ。さすがに、結婚の夢までは見ていないけれど、その俳優が演じるキャラは、先生の好きなタイプ。  ちょっと弱気な性格の男性。しかも、細身で長身だ。  あれ・・? それって、今井?  いや、気のせい気のせい。  顔のつくりが、ウマとカバほど違う。髪が、ライオンとヒツジほど違う。  その前に、比べること自体がおこがましかった。  おいらは、先生の横にちょこんと座った。  ひじ掛けの前に、丸いサイドテーブルがあって、そこに開いたままの新聞が置いてある。  お悩み相談コーナー、『悩みごとプリーズ』が載っている部分が見えた。297ec33f-da99-4241-8d8a-194f78e0ba78『男のロマンが理解されない』 (40代・男性/広島県)  漫画『北斗の拳』のケンシロウに憧れ、筋骨隆々のたくましい肉体を目指して、ジムで体を鍛えています。  かなりいい感じに仕上がってきたので、社員旅行でシックスパックの腹筋と、盛り上がった上腕二頭筋(じょうわんにとうきん)を披露したら、 「おお~」  同性からは、求めていた羨望のまなざし。  ついついうれしくなって、女性陣にも自慢の上半身を見せたら、 「触ってもいい?」  そんな言葉を期待したのに、キャッと言いながら、みな恥ずかしそうに逃げていきました。  残った1人が眉をひそめ、 「セクハラですよ」  思ってもみない強烈なひと言。  特に若い女性は、 「その顔、その歳、その(はげ)で・・」  陰口を言っているようです。  既婚者が、ギラギラした体でモテたいと思われています。ただ、努力の成果を見せたかっただけなのに、かなりショックでした。  もう1つ、妻は食事の準備で、別メニューとして鶏のささみが面倒だから、いい加減にしてほしいと言います。  男のロマンが、まったく理解されません。c599efc4-c353-4bf1-8b8f-05ee36dfcc27 マッチョは男のロマンなのかぁ。  となると、ボン・キュッ・ボンは、女のロマンなのかな?  おいらはセイウチ、いや、先生を見た。  ボン・ボン・ボボーン!  どこにもくびれなし。服の上からでも、脂がのっているとわかる。  マグロだったら高値がつく。牛だったら、霜降りの高級品だ。  人間だと、単なる不摂生なおばさんで、スレンダーをよしとする日本では、女性としての魅力はゼロ。  妄想の世界で、韓流スターが先生を壁ドンしてくれるかもしれないが、現実は、金持ちマダムでもない限り、相手にされない。  いや、今井がいたか。  執筆者と担当という、仕事の枠を超えた偽装カップル。安いエサで釣られた今井は、奇特な奴だ。ボランティアで、ボーイフレンドを引き受けているようなもんだ。  割に合うのか? そんなお役目。  ただ、前に来たとき、先生にかなり接近していたから、まんざらでもないのかな?  先生はセイウチやトド、アザラシの仲間で、ロマンも色気もない見た目なのに・・。  おいらは前足をテーブルに乗せ、新聞をのぞく。  回答はこうあった。 「男のロマン、ステキですね」  いつも通り、心にもない出だしだった。  きっと、この文章を書きながら、 「おっさんが筋肉を自慢げに見せるなんて、ばばあが、膝上20センチのミニスカートをはくようなもんじゃないっ!」  唾を飛ばし、ののしっていただろう。その光景が目に浮かぶ。  確かに、先生がミニスカートをはくと、みんなの目がつぶれる。人によっては、太ももがボンレスハムに見えるだろう。  さらに記事は、 「中年になると、たいして食べてもいないのに、お腹周りがぷっくりしてきます。気をつけていないと、いつの間にか、服のサイズがSからMになってしまいます。だから私も、毎日運動をしていますよ」  出た出た、自分をよく見せるいつものクセが・・。  サイズだって、LからLLだろうが・・。階段の上り下りだけが、唯一の運動。それを運動といっていいのかどうかも疑問だけれど・・。 「腰のくびれや、美脚をお見せできないのが残念です」  どの口が言った?  おいらは先生の腹を、肉球で押してみた。ビーズクッションと同じ感触。たっぷり中身が詰まっている。 「努力の成果を披露したい気持ち、よくわかります。そこをグッとこらえるのが大人。“ひそかにスゴイ”が上品ですよ」  炭酸飲料を飲んだ先生が、豪快にゲップをした。  とてもお上品だ。 「最近は、ちょっとしたことで、セクハラやパワハラと言われます」  そのほかにもいっぱいあるぞ。  マタハラとか、モラハラとか、アカハラとか・・。何が何だか、さっぱりわからない。 「仮にお酒を飲み、酔った勢いでのことだとしても、裸体を見せたのは不注意でした。不快な思いをさせることは、御法度(ごはっと)。ハラスメントなのです。神経を使う時代なのですよ」  世知辛いね。気を使って疲れそうだ。 「もう1つ、女性が嫌悪感を抱くのは、40を超えて、体で勝負しようとするあなたの心持です。オスを前面に押し出している姿勢が嫌なのです。その歳なら、今まで積み上げてきた経験や知識で、魅力を出してほしいものです」  確かに一理ある。 「筋肉フェチの女性以外、それほどマッチョな男性の体を、見たいとは思いません。私もどちらかというと、苦手です」  それはどうだろう?  今、俳優のシャワーシーンを、一時停止のボタンを押してまで見ているじゃないか。早戻しして、鍛えた体をもう1回、ガン見しているじゃないか。 「しかも大概、すばらしい肉体とは反比例するかのように、顔は見事に残念な場合が多いですから・・」  そこは正直に言うんだね。 「どうしても見せたいなら、サングラス、もしくは、頭をすっぽり覆うヘルメットをかぶってほしいものです。ライダーやスキーヤーが格好良く見えるのは、顔が隠れているからです。顔と体にギャップがあると、裏切られた気持ちになります。女性は確実に幻滅し、詐欺に遭ったと思うでしょう」  相談者の傷口に、塩をぬり込んではいないか? 「逆の場合はどうですか? 白い水着姿のグラビア女性が、猿顔のおばさんでいいはずはありません」  よくこれを記事にしたな。  おいらが、テレビ画面に食いついている先生の太ももを、前足でトントンと叩いたら、 「さっき食べたでしょ?」  画面から目を離さずに言う。  そういう先生こそ、さっき昼食にうどんを食べたばかりなのに、ポテチのコンソメを食っているではないか。  そうじゃなくて、妹が来たんだよ。妹が・・。  窓から見えた。  しばらくすると、ノックの音がして、妹が部屋に入ってくる。  姉とは対照的で痩せている。顔も似ていないから、とても姉妹には見えない。  結婚して、やんちゃな子供に振り回されているせいか、顔がやつれている。姉より、肌のハリもツヤもない。目の下にクマがある。悪魔に魂を抜かれたような生気のなさ。  暗がりに、アゴの下から懐中電灯で光を当てると、お化け屋敷のアルバイト幽霊よりも、ポテンシャルが高くて怖いのだ。みなの腰が抜け、悲鳴さえ出ないだろう。  おいらも初めて見たときは、亡霊が出たと思った。 「お姉ちゃんって、いつも口をもぐもぐしながら、テレビ見てるよね?」 「たまたまあんたが、そういうときに来るからでしょ?」  先生は、画面から目を離さずに言った。  乾いた会話。結婚20年目の夫婦みたい。  妹は、テーブルにあった新聞を手に取りながら、 「いいよね」  独り言のような、ひと言を放つ。  おいらにはわかる。 「いいよね」  この短いフレーズに、いろんな思いが詰まっていることを・・。  気楽でいいよね。  家事をしなくていいよね。  好きな時間に、テレビを見ることができていいよね。  食欲があっていいよね。  ストレスがなくていいよね。  血色がよくていいよね。  猫だけ相手にしていればいいよね。  もっといろいろあると思う。  でも、カネがなくていいよね、とは絶対思っちゃいない。  妹は、『悩みごとプリーズ』の記事を読んだあと、 「お姉ちゃんにわかるの? 主婦の大変さが・・」  ひんやりとした、抑揚のない声で、新聞をテーブルに戻した。  というのも、記事の最後は、こう締めくくってあったからだ。 「奥さんのことも、考えてあげてください。主婦は大変なんです。激務なんです。掃除に洗濯、子育て。1日3食のメニューを考え、買い物に行き、食事を作っているのです。あなたのロマンのために、別メニューは負担となります。家庭円満を望むなら、体型を維持する食事だけは、自分でやりましょう」  お前が言える立場なのか!  妹の目が、そう語っていた。
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