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13 迷路は迷うに限る
ゴールデンウィークに、なぜここへ来る?
休みなら、ほかへ遊びに行け、今井。
友達ぐらいいるだろ? 家族もいるだろ?
いくらカムフラージュ彼氏でも、律儀に役目をする必要はない。持ってきた柏餅だけ置いていけ。
そのつもりでニャーと鳴いたら、
「クロはかわいいな」
抱き上げて頬ずりする。
わかってるって・・。
毛並みは黒々としてツヤがあるし、目の色は青い宝石、アクアマリンのように輝いている。
今井も、たまにはいいことを言うじゃないか。気づくのか遅いけれど・・。
今なら、頬ずりも許してやろう。なでなでも許してやろう。猫じゃらしで、遊んでやってもいいぞ。なんならもう1回、かわいく鳴いてやろうか?
おいらの頭上で、ふぅ~と大きく息を吐く音が聞こえるから、今井を見上げた。何となく、体がこわばっているような・・。
薄着の季節に突入したから、Tシャツから緊張が伝わってくる。まるで、試合前の選手のようだ。
何でだろう?
もう一度、肩の力を抜くように息を吐く。部屋のドアをチラリと見て、まだ先生がキッチンから戻ってこないとみるや、決心したようにマウスに手を置いた。カチカチとクリックして、悩み相談の画面を開く。
いくら担当とはいえ、先生に承諾もなしに盗み見るとは、ふてぇ野郎だ。
今井の腕を猫パンチしてやったら、がっつり抑え込まれた。
『会うと気まずい彼女の両親』
(20代・男性/神奈川県)
彼女の両親に、振り回されています。
彼女はボクより少し年上ですが、両親は早く孫の顔を見たいのか、目が合うと必ず、
「どうするんだ?」
結婚のことを聞いてきます。
毎回、そんな尋問がプレッシャーになり、会うと冷や汗が止まりません。なのでつい、その場しのぎで、
「結婚します」
と、宣言してしまいました。
次に彼女の家へ行ったとき、両親が式の日取りや新居まで決めていないか、とても不安です。睡眠薬なしには、眠れない毎日です。
弱気なボクは、元の場所へ無事に引き返すことはできますか? 迷路にはまって、抜け出せない気分です。
ちなみに、僕も彼女も、結婚願望はありません。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
今井はわずかに身を乗り出して、先生の回答を読み始める。
「どんなことであろうと、その場しのぎでは、ろくなことが起こりません。うかつでしたね」
そんな始まりだった。
そりゃあそうだよな。普通、その場しのぎで、結婚宣言するか? 地獄行きのフレーズだぞ。うかつにも程がある。
いくら弱気な性格でも、人生を左右する大きな決断。結婚生活という、長い修行が始まるんだ。苦行、荒行かもしれないぞ。
すると今井は、またしても深すぎるため息を吐き、
「だよなぁ・・」
ガクンとうなだれて、ひと言つぶやいた。
まさか、お前の相談なのか? 自分の担当する記事に、己の悩みを書いたのか?
おいらはなぐさめるというより、“本当に東大卒なのか? バカだよなぁ”という意味で、今井の肩をポンポンと叩いた。
先生にバレないよう、いろいろと設定は変えている。
住んでいる場所は神奈川じゃないし、先生は彼女でもない。12歳年上だから、少し年上という言い方も違う。
まぁ、今井にすれば、12歳差は“少し”のレベルなのかもしれないが・・。
先生のお母さんから、
「どうするの?」
やんわり聞かれたことはある。冷や汗を流し、脇汗がべっとりと、シャツに広がったことだろう。
先生から、適当にあしらえと言われてから、不慣れなせいか、適当さ加減がわからず、
「考えておきますって、言ったんだよなぁ。お父さんに・・」
額に手を当て、独り言をつぶやく。そのあと、しくったと言わんばかりに、唇を噛んだ。
はっはぁ、前にお母さんと立ち話をしていたとき、お父さんがやって来て、
「うちはいつでもOKだから・・」
嫁にやる準備はできている、みたいなことを言ったあと、お父さんと2人きりになったとき、ポロリと口から出たのか。
親を安心させるための、優しさだと思おう。
それにしても、“考えておきます”がなぜ、“お嬢さんをください”に変換できるのか。お父さんの頭の中が知りたい。
先生が、一旦仕事部屋に戻ってきて、
「今井くん、チーズケーキ食べる? 妹が持ってきたんだけど・・」
ドアからニュッと、顔だけを出す。
「あ、はい、い、いただきます」
サッとマウスから手を離したけれど、その動きは、実に不自然。悪い点数のテストを、親に隠すみたいな慌てよう。そういう行動は、たいがいバレる。
先生がドアを閉めると、また回答の続きを読み出した。
「元の場所に引き返すということは、結婚はしないが、付き合いはそのままという意味ですか? ゴールが結婚でしかない迷路に入ってしまうと、確かに、結婚したいとは思わない人にとっては、薬なくして眠れない状態になるかもしれません。よくわかります。私も同じ経験がありますから・・」
イヤな予感がする。
「年下の彼氏が、私の意見を聞かず見切り発車で、両親に結婚したいと言ったことがあります。彼のことは大好きですが、私は結婚願望がないので、正直、頭を抱えました」
今井のことを書いてないよな?
「彼がティファニーの小箱を出したときはもう、引き返せないのかと、首をくくり・・、腹をくくりました。なんせ、3カラットのダイヤの指輪」
出た出た、お得意の脚色。
「彼はイケメンのJリーガーです」
設定が、好き勝手すぎる。
「結婚する気もないのに、話がどんどん進んでいくと、地獄迷路の1丁目1番地に、足を踏み入れたような気分になります。堅気の世界へ戻るときは、当然、修羅場が待っています」
お前は、反社会の人間かっ!
ここで、回答が止まっていた。
「どんな修羅場だったんだろ? なぁ、クロ」
そんなものは、ないに決まっている。妄想だから・・。
廊下を歩く、スリッパのパタパタ音が聞こえてきたから、今井は画面を元に戻し、何事もなかったかのように、ソファーに座った。
先生が、コーヒーとチーズケーキを運んでくる。ソファーの前にあるサイドテーブルに置いた。
「見た目はシンプルですね」
今井が丸いケーキを見る。
表面はうっすらと焼き目が入っていて、何の飾りも付いていない。
「近所のケーキ屋さんで、いつも買ってくるやつ。見た目に反して、けっこう濃厚なのよ」
チーズケーキに柏餅。コーヒー1杯じゃ足りないな。
「悩み相談、見たんでしょ?」
先生が今井に聞く。やっぱりお見通しだ。
「えっと、まぁ、どれくらい進んでるか、ちょっとチェックさせてもらいました」
「彼女の両親と、気まずい関係のやつ?」
「そ、そうです」
「書き始めたばっかりなんだけど、どう思う? 今井くん。どう書いたらいい?」
「え・・?」
チーズケーキに突き刺したフォークの手が止まる。
今井の相談に、今井の意見を聞くという妙な状況。
「シチュエーションが、あたしたちと似てるでしょ? こっちは偽装だけど・・」
「お互い角が立たず、元に戻るための言葉があれば・・」
今井の本心だな。
「結婚しますって、宣言までしておいて・・?」
「だから相談者は、困ってるんですよ」
「どうかしてました。すいませんって、素直に謝る?」
「ん~」
今井がうなったあと、
「それしかないですよね?」
救いを求めるような目つき。
「もしかして、お嬢さんをくださいって、言ってないわよね?」
「言ってませんよ。そんな昭和みたいなセリフ」
今井がバイバイするように、胸の前で手を振った。
先生が目を細めると、今井の黒目が下を向く。
はい、バレました。
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