14 人にすべてをまかせるな

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14 人にすべてをまかせるな

 外は雨。  洗濯物は乾かず。  味付け海苔は半日で湿気(しけ)り、庭の紫陽花(あじさい)は青みを増していく。  先生は浮かない顔で、窓辺に立っていた。雨が打ちつける窓ガラスの、その先の景色をぼんやりと眺めている。  深窓の令嬢とはほど遠い。外から見れば、水槽の中のアザラシ。  10分ほど微動だにしないから、カピバラでもいいか。いや、太りすぎたナマケモノが、ぴったりくるかな。目を伏せて、ふぅ~と出した鼻息は、カバ並みか?  眉間に小じわが寄り、ぼってりした口元は、ギュッと堅く閉じていた。   それもそうだろう。 「お姉ちゃんって、仕事してないもんね」  妹の何気ないつぶやきから始まったののしり合いに、怒りがおさまらないのだ。終了のゴングが鳴って10分以上も経つのに、血圧が一向に下がらない。  日曜日の朝、雨が降っているにも関わらず、妹は実家に1人でやって来た。  午後から夫と、デパートへ買い物に行く予定だったらしいが、大雨で外出が面倒になった旦那と、行く行かないでケンカになったらしい。  だから妹は、すこぶる機嫌が悪い。腹に爆弾を抱えたような状態で来た。日頃の家事ストレスもあるから、怒りをぶつける気満々だったのだ。  ちょうどお昼どき、前日の残りカレーを食べながら、先生は1人でNHKを見ていた。  過労死のニュースが流れ、 「絶対、あたしにはないわ」  自嘲気味につぶやくと、キッチンに入ってきた妹が、さっきの言葉を発した。  仕事してないもんね・・。  このとき、姉の心にチクンと針が刺さったとは、微塵も思っていないだろう。  ゴールデンウィークのとき、妹はチーズケーキを買ってきたけれど、そのときも、 「お姉ちゃんには、小さすぎるかも・・」  上品なサイズのケーキを見せて言った。ホテルのバイキングに並ぶようなプチケーキと、さして変わらない大きさ。  先生にすれば、お前は大食いだから、象が食うような特大のケーキがお似合いだと、遠回しに言われているような気分になる。  しかし、そのときの妹に、さほど悪気はない。トゲ付き言葉が、無意識に口から出てくるだけ。  毒を吐く似たもの姉妹。  先生もわかっているから、いちいち反応はしないけれど、 「いいよね、お姉ちゃんは3食昼寝付きで・・ 」  今日のイヤミは、すでに喧嘩ごし。一度ドッカーンと、大噴火したいのかもしれないな。  なんせ、子供がいると大変だ。しかも、妹の場合は男の子。大型犬2匹を、放し飼いにしているようなもんだ。だから世話に追われて、体の休まるときがない。  中学1年になった息子はサッカー部に入り、毎日汗まみれ。小学4年の息子も、やんちゃ盛り。遊んでばかりで汗まみれ。  洗濯機を回しては干し、また回しては干す、という毎日。  そして、食う。  学校から帰ってくると、すぐにプレ夕食が始まる。兄はカップラーメン、弟は菓子パンが定番だ。  もう2、3年もすれば、2人そろってキャベツの1玉ぐらいは、ペロリと食うだろう。野太い声になって、肉の奪い合いも始まる。  いや、すでに食卓戦は始まっているかもしれない。  栄養バランスを考え、食事を作るのもひと苦労だ。  せめて子供に、自分の部屋ぐらいは掃除をするようにしつけていなければ、主婦業にほぼ定休日はない。 「自分で選んだ道でしょうが、結婚は・・」  先生の目が細くなった。唇がわずかに開いたから、嫌なら離婚すればと、言いたかったに違いないが、その言葉をグッと呑み込んだとみた。  その代わり、 「あたしは、結婚しないことを選んだの」  正しい選択であるかのように、声を張って主張する。  出た出た。結婚できない女が、悔しまぎれに言うセリフ。できないとしないでは、大きく違うもんな。それこそ、女としてのプライドに関わる。 「まぁまぁ、いいんじゃない? 独り寂しく老後を生きれば・・」  妹が言い返した。  おいら、居間の隅まで後退した。2人の顔が、金剛力士像みたいで怖い。 「家族がいるからって、幸せとは限らないでしょ? 和気あいあいとした家庭なんて、幻想だから・・。そんなものは、NHKの朝ドラだけ。殺人事件だって、犯人はたいがい身内」  話が飛躍しすぎだろ。 「保元(ほうげん)の乱だって、兄の上皇と弟の天皇という、兄弟の争い。武田信玄だって、父親を追放して、家督を継いだ。結局、身内が一番恐ろしいのよ」 「・・」 「相続の話になったら、みにくい骨肉の争い。家庭を持つってことは、将来起こるであろうトラブルを、自ら進んで、抱え込む覚悟をすることだから・・」  妹が、若干引いてるな。顔の筋肉が、すっかり固まっている。  妙なたとえを出してくる姉を相手にすると、逆に、喧嘩をふっかけてきた自分がバカだったと、冷静さを取り戻す。 「あんただって、子供が離れたあとは夫の世話。介護が待ってるかもしれないから・・。あんたの人生、人の世話して終わりだわ」  妹が肩の力を抜くように、はぁ~と息を吐き出し、 「今井くんが気の毒だわ」  ポツリとつぶやく。 「なんで今井くんが出てくるわけ?」 「だって、結婚したいって言ったんでしょ? どこがいいんだか・・。目が腐ってんじゃない? それとも、賞味期限の切れたものが好きなの? 体重と暇だけある女の、どこがいいんだか・・」  確かに、フェロモンの出ない女なんて、世間の男は見向きもしないけれど、今井の場合は、偽装だから・・。 「仕方なしに付き合ってるのか、それとも、頭のネジが1本抜け落ちてるのか。ボランティア精神にあふれてるわよね」 「あんたが、今井くんのことを悪く言う筋合いはないから・・」  久しぶりに、声を荒げる先生を見た。  そのあと、ドンとわざと大きくドアを閉めた。仕事部屋にこもり、窓辺で何度も、腹に溜まった怒りを、ハーっと吐き出す。  そのあと、雨に打たれる青い紫陽花を、ジッと見つめること15分。血圧が正常値に戻ったところで、ワークチェアに腰を下ろすや、パソコンの電源ボタンを押す。  妹とのやり取りを、きれいさっぱり流したいのか、ペットボトルのコーラをがぶ飲みした。 「ゴゴッ・・」  ゲップが豪快だ。ブタの鳴き声だな。  そりゃあ、男は来ないわ。契約彼氏とはいえ、今井はエライ。05a37bf2-7f7d-404d-a62e-9cb9608d278e 『週4日のカレーにげんなり』 (30代・男性/奈良県)  子供に手がかからなくなった妻は、将来の学費や老後のことを考え、パートタイマーとして働き出しました。  フルタイムの仕事なので、手の込んだ夕食は作りたくないのか、週4日のヘビーローテーションで、カレーライスが食卓に出てきます。  それが5年も続き、正直、うんざりしています。好きだったカレーが、嫌いになりそうなくらいです。  最近、子供は、 「おふくろの味は、ハウスのバーモンドカレーだね」  と、言うようになりました。  違う料理も食べたいとほのめかしたつもりなのですが、回りくどい言い方をしたせいか、市販の風邪薬並みに、効き目はありません。  どうしたら、せめて週1に抑えることができるでしょうか。bf046e04-abec-4941-abe8-d27e52c6b7b9「自分で作れや!」  先生は機嫌が悪いから、パソコンに向かって毒を吐く。  今回はそれで解決。と、いきたいところだけれど、さすがに本音は書けない。  これ以上、仕事を失うわけにはいかないのだ。  先生は、ぷっくりした腹を意識して引っ込め、唇を丸くして、長く息を吐き出す。  怒りは6秒こらえれば、収まるそうだ。テレビの情報番組で言っていた。 「家事に子育て、奥さんはとてもがんばっています。家事労働を給料に換算すると、200万円とも300万円とも言われているそうです。サラリーマンの平均年収が420万円ほどですから、家事はそれなりの労働。加えて、フルタイムで働いているとなれば、一日中働きづめで、疲れはたまる一方ではないでしょうか。どのような仕事かわかりませんが、立ちっぱなしかもしれません。しゃべりっぱなしかもしれません。暇すぎて、あくびのしっぱなしということもあります」  そんな仕事が存在するのか?  問うつもりでニャーと鳴いたら、先生もおいらの言いたいことがわかったのか、 「あるのよ、それが・・」  と言う。  スーパーへ行く途中の道で、モデルハウスの場所を示した、矢印の看板を持つ男性を見たそうな。ただそれだけのアルバイト。  確かに、あくびしか出ない。スマホがなければ、死にそうだ。 「私も家事をしていますが、それはそれは大変ですよ。富士山に登るくらいです。ドーバー海峡を、泳いで渡るくらいヘロヘロです」  経験のないことで例えるな。  そもそも、まともに家事をやっていない。 「食事は、手を抜ける唯一の家事ではないかと思います。私は毎朝、パン焼き器で、焼きたての食パンを食べていますが、材料をセットするのが面倒になったときは、迷わず店で買ってきます」  日曜日のブランチみたいな、おしゃれ感を出すな。  それ以前に、パン焼き器を見たことがない。  いつも買ってくるのは、賞味期限が迫った、3割引のシールがついた食パン6枚切り。しかも、定価69円の3割引だぞ。 「それにしても、あなたも子供も、相当我慢強いですね。私も我慢強いとよく言われますが、さすがに大好きなカレーでも、週に4日では飽きてしまいます」  だろうね。  食べることに貪欲な先生からすれば、アンビリーバボー。 「料理をしない者は、文句を言ってはいけない。そう思って、あなたは5年もグッとこらえてきたのでしょう。不思議なのは、なぜ週に1回でも、自分で作ろうとは思わないのでしょうか?」  確かに、受け身だよな。 「キッチンに立つと、食材を散らかし、鍋を丁寧に洗わず、シンクの周りを水浸しにし、結局奥さんから、料理がまずい上に、二度手間なのよと、ののしられた恐怖体験でもあるのでしょうか?」  それは、先生のお父さんだな。 「どうしても、カレー以外が食べたいのであれば、料理男子になる必要はなく、スーパーなどのお総菜や冷凍食品、レトルト食品に頼ればいいと思います」  料理下手が作るより、よっぽどうまい。  それに、手抜きも息抜きも、人生には大事なことだから・・。 「レンジでチン。それだけで、バラエティー豊かな食卓になるでしょう。協力して作るという手もあります。そうなれば、きっと奥さんも喜んでくれるはず。夫婦円満の秘訣ですよ」  わかったことを言うな。  ニャーと鳴いたら、何が悪いと言わんばかりににらまれた。  最後の文字を変換するとき、Enterキーをバチンと中指で叩き、 「ふん、だから結婚なんて、面倒なのよ」  と言ったものだ。
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