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3 身内とチョコは甘いがいい
どういうわけか、奴は来る。
来なくていいのに、1週間に最低2回はやって来る。
不思議だ。
執筆者と新聞社の担当は、電話やメール、ラインのやり取りだけで、十分に事は済むはず。なのに、奴は牛乳配達と同じ頻度でやって来る。
食い物を持って・・。
まぁ、それはよしとしよう。おいらも、おこぼれをもらっている。
ただ、奴はウザいくらいにちょっかいを出してくる。
猫じゃらしを振れば、シッポを立てて食いつくと思っている。段ボールを置けば、中に入ると思っている。
仕方がないから、相手をしてやっているけれど、正直面倒くさいし、気疲れもする。
おいらは若いオス猫とはいえ、体を動かすより、パソコンの横に座って、人間観察をしているほうが好きなのだ。
運動嫌いは、飼い主に似たのかもしれない。
奴はやたらと抱っこをしたがるし、ヒゲの剃り残しがある顔を寄せてきて、スリスリするから、余計に気持ちが悪い。
ツヤツヤの毛並みが、汚れるじゃないか。
先生は今井くんと呼んでいるが、おいらは今井と呼び捨てにしている。
もちろん、奴にはニャーとしか聞こえていないが・・。
「この相談、どう書いたらいい?」
先生がコーヒーを淹れている間、今井はパソコンの画面で相談メールを読む。そして、再び部屋に戻ってきた先生から、マグカップを受け取ると、
「チョコですか・・」
と言った。『バレンタインのチョコを執拗に要求する弟』
(30代・女性/岐阜県)
20代の弟がいます。
姉の私が言うのも何ですが、見た目はパッとしません。突き出たアゴで、笑いがとれるくらいです。
そのせいか、生まれてこのかた、バレンタインのチョコレートを、義理でももらったことがありません。この先も、毎年2月14日が、公開処刑日となるのが目に見えています。
弟は自分でも自覚しているので、せめて、チョコをもらうドキドキワクワク感を体験したいと、目に涙を浮かべておねだりします。
友人に頼もうかと思いましたが、
「告白された!」
弟が身の程知らずな勘違いをすると、きっと友人は迷惑するでしょう。
甘やかすことは、本人のためにもならないと思うのですが、ここは姉の自分が折れて、チョコを渡したほうがいいでしょうか。「弟の年齢が、今井くんとほぼ同じでしょ?」
先生は目をつむると、
「んん~」
至福の声を出して、コーヒーの香りを嗅いだ。
ちなみに、今井は26らしい。
「そうですねぇ~」
と返事をしつつ、悩み相談より、買ってきたチョコレートを紙袋から取り出した。
「デパ地下は、バレンタイン一色ですよ。先生のブランド指定がなかったら、どれにしていいか迷いますね」
「でしょ?」
シンプルな白い箱に、一口チョコが6個入っている。高級ブランドらしく、税込みで1箱3000円を超える。
1個500円の計算だ。
たった一口が・・。
ものの一口が・・。
恐ろしいほどの贅沢品。
吉野家の牛丼なら、おつりがくるじゃないか。マクドナルドの期間限定バーガーだって、500円は超えない。
庶民派エッセイストも、たまには贅沢をしたいんだな。
1個の値段が高いせいか、おいらがそろりとチョコに近づいたら、先生が箱の真ん前で、遮断機のようにすかさず腕をサッと下ろした。こういう行動だけは、いつもながら素早い。
人差し指で、漆器のような光沢を放つチョコを差しながら、
「どれにしよう。迷っちゃう。食べるのがもったいないね」
と言いつつも、狙いを定めたハート型のチョコを、パクッと一口。
500円。
「んん~」
今度は恍惚の表情で、天井を仰ぐ。先生がどんどん天に昇っていく。
コーヒーとチョコの相性は抜群。あんことマーガリンみたいな最強のコンビ。
左右の頬が交互に、チョコの形に膨らんだ。食べ物を口の中にため込むリスのようだ。見た目は、おかめだけれど・・。
その後はしばらく、2人でコーヒーを飲みながら、チョコの感想を言い合う。甘さが上品だの、箱がオシャレだの。
品のよさとは対極にある2人が言うと、コンビニ菓子を食っているように見える。
それより、悩み相談はどうした? 忘れてないか?
ニャーと鳴いてみたら、
「クロには毒だから・・」
先生が箱のフタを閉じた。
義理でももらえない野郎どもの気持ちが、よくわかるというもんだ。
バレンタインデーなんて、男には残酷すぎる。
一日中、チョコという言葉が頭から離れず、
「ちょっと・・」
と呼ばれただけで、
「チョコ」
と勘違いしたりして、何かと心がザワザワする。
サラリーマンなら、義理ぐらいはギリもらえると期待して出社し、結局、手ぶらで帰るむなしさを味わうことになる。
退社時刻に、意中の女性が笑顔でやってきて、
(お、これはもしや・・)
心が躍ったところで、
「じゃあ、お願いね」
チョコレートどころか、残業をもらって、底の見えない崖下へ真っ逆さま。
中高生の男子なら、クラスの女子が、自分の席に近づいてきただけで、急にドキドキ。そのまま横を風のように通り過ぎ、女子同士の友チョコを交換する現場を目撃して撃沈。
放課後、自分のところにチョコが来たと思ったら、
「○○くん、呼んできて」
仲介役で唇を噛む。涙を呑む。
本命をゲットするのは一握り。
ほとんどの男が、
“こんな日はいらない!”
モテない己を、再確認する試練の日なのだ。
奇跡的に、いかにも安い義理チョコをもらえたとしても、ホワイトデーのお返しが重くのしかかる。近所のスーパーで安くあげると、ケチと烙印を押される。
もらっても、もらえなくても、あれこれ気をもむ嫌なイベントだ。
男心をもてあそぶ、菓子業界の責任は大きい。
「今井くんは、もらったことあるの? チョコ・・」
聞かなくても、わかりそうなもんだ。
髪は、毛を刈る前のヒツジのようなボリューム感。真っ黒なカリフラワーといってもいい。先生のお父さんが見たら、絶対、分けてくれと言いそうだ。
体型だって、クオリティーの低いゆるキャラみたいで、何だか締まりがない。スーツがまったく、体にフィットしていないのだ。太る予定で、ワンサイズ大きいものを着ているのだろうか。それとも、痩せてブカブカになったのか。
「へへっ・・」
今井が、もじゃもじゃの頭をかく。その薄笑いが、すべてを物語る。
「大丈夫、みんなと一緒」
無難な返しだ。これなら、心をエグることはない。
「先生は、あげたことあるんですか?」
「ある。本命も義理も友チョコも・・。もちろん、自分用にもね」
「僕が今日代わりに買ってきたのは、完全に自分用ですもんね? 今、本命はいないんですか?」
愚問だろう、そんな質問。と思ったら、
「シッ・・!」
急に先生が、人差し指を口に当てた。音を立てないよう慎重に椅子から立ち上がり、ドアに耳を近づけ気配を探る。
「今井くん、私のチョコはおいしい?」
わざとらしく声を張り、ドアを指さす。そのあと、声を出さずに“お母さん”と口を動かした。ジェスチャーで、人の形を作る。
聞き耳を立てていると察した今井が、
「お、おいしいです。か、彼女からもらうと、何だっておいしいですから・・」
めちゃくちゃぎこちない棒読み。中学生の文化祭レベルだ。
そんなことより、今、彼女と言ったか?
「そうでしょ? 今井くんのために、奮発したんだから・・」
足音が去っていくと、フーと息を吐く。椅子に戻ると、
「信用してないのよね。今井くんが彼氏だってこと」
「まぁ、仕方ないですよ」
え、どういうこと?
奴がここへ頻繁にやって来るのは、出不精な先生に頼まれて、食べ物を買ってくるからじゃないのか? すぐにほしいものは、今井に頼む。ウーバーイマイだ。
会社勤めのサラリーマンを、パシリとして使う図々しさは、先生にしかできない芸当だと、感心していたのに・・。
今井も、コーヒーをごちそうになりながら、自分がおつかいした食べ物を分けてもらえる。仕事をサボる場所としても、うってつけなのだ。わざわざ、喫茶店やファストフードで、カネを払って時間をつぶす必要もない。
ギブアンドテイクな関係じゃないのか?
「とりあえず、結婚前提ってことにしてあるけど、親には、時期をみて別れたって説明しとくから、それまで我慢してよ」
「OKです」
そういうことか。契約彼氏というやつだな。
異性に縁のない者同士が、タッグを組んだのか。
「それで、お見合いは断れたんですか?」
今井が聞くと、先生がゆっくりとうなずく。
思い出した。お母さんが持ってきたお見合いで、激しくケンカをしていたっけ。
「この歳でくるお見合いの相手なんて、ジジイしかいないわよ。あと数年で、介護だから・・。冗談じゃない!」
「はぁ・・」
「あ、残りのチョコあげるわ。協力のお礼」
「いいんですか?」
今井の瞳が、LEDの照明を当てたみたいに、パッと輝いた。これはもう、義理すらもらったことのない男の顔だ。
犬だったら、今、ものすごい勢いでシッポを振っている。
「よし、決まった」
「何がですか?」
「弟がそれで満足するなら、チョコを買ってあげればいい」
ようやく、相談内容に戻ったか。
「スーパーやコンビニなら、500円ぐらいで買えるでしょ? それで、ハエのようにしつこい弟をなだめることができるなら、安い安い」
姉が妥協するということで、回答は落ち着きそうだ。
「先生、こっちの未開封のほう、もらっていいですか?」
赤い包装紙に、緑のリボン。箱の左上には、ハッピーバレンタインと、英語で書かれた金色のシールが貼ってある。
「そっちのほうが、安いでしょ?」
「いいんです」
先生もわかっちゃいない。
開けてないやつがほしいんじゃないか。会社の同僚や友達に、さりげなく自慢するために・・。
「あ、おつりちょうだい?」
先生が思い出したように、手のひらを突き出す。抜かりがなかった。
「いるんですか?」
「当たり前じゃない。レシートもね。経費の証拠書類なんだから・・」
「フリーランスって、大変ですね」
すると先生は横目で、
「いいわよねぇ、会社員って・・。会社が何でもやってくれるから・・。おんぶに抱っこがうらやましい」
嫌味をたっぷりふりかける。
ビターチョコ並みの、ほろ苦い会話だよな。
これぞ、年の差偽装カップル。
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