3 身内とチョコは甘いがいい

1/1
79人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ

3 身内とチョコは甘いがいい

 どういうわけか、奴は来る。  来なくていいのに、1週間に最低2回はやって来る。  不思議だ。  執筆者と新聞社の担当は、電話やメール、ラインのやり取りだけで、十分に事は済むはず。なのに、奴は牛乳配達と同じ頻度でやって来る。  食い物を持って・・。  まぁ、それはよしとしよう。おいらも、おこぼれをもらっている。  ただ、奴はウザいくらいにちょっかいを出してくる。  猫じゃらしを振れば、シッポを立てて食いつくと思っている。段ボールを置けば、中に入ると思っている。  仕方がないから、相手をしてやっているけれど、正直面倒くさいし、気疲れもする。  おいらは若いオス猫とはいえ、体を動かすより、パソコンの横に座って、人間観察をしているほうが好きなのだ。  運動嫌いは、飼い主に似たのかもしれない。  奴はやたらと抱っこをしたがるし、ヒゲの剃り残しがある顔を寄せてきて、スリスリするから、余計に気持ちが悪い。  ツヤツヤの毛並みが、汚れるじゃないか。  先生は今井くんと呼んでいるが、おいらは今井と呼び捨てにしている。  もちろん、奴にはニャーとしか聞こえていないが・・。 「この相談、どう書いたらいい?」  先生がコーヒーを淹れている間、今井はパソコンの画面で相談メールを読む。そして、再び部屋に戻ってきた先生から、マグカップを受け取ると、 「チョコですか・・」  と言った。b454ba4e-1366-4b4c-8850-f3cd4c1abecb『バレンタインのチョコを執拗に要求する弟』 (30代・女性/岐阜県)  20代の弟がいます。  姉の私が言うのも何ですが、見た目はパッとしません。突き出たアゴで、笑いがとれるくらいです。  そのせいか、生まれてこのかた、バレンタインのチョコレートを、義理でももらったことがありません。この先も、毎年2月14日が、公開処刑日となるのが目に見えています。  弟は自分でも自覚しているので、せめて、チョコをもらうドキドキワクワク感を体験したいと、目に涙を浮かべておねだりします。  友人に頼もうかと思いましたが、 「告白された!」  弟が身の程知らずな勘違いをすると、きっと友人は迷惑するでしょう。  甘やかすことは、本人のためにもならないと思うのですが、ここは姉の自分が折れて、チョコを渡したほうがいいでしょうか。5a8fe720-3c8d-4fb5-b388-f604d08e1871「弟の年齢が、今井くんとほぼ同じでしょ?」  先生は目をつむると、 「んん~」  至福の声を出して、コーヒーの香りを嗅いだ。  ちなみに、今井は26らしい。 「そうですねぇ~」  と返事をしつつ、悩み相談より、買ってきたチョコレートを紙袋から取り出した。 「デパ地下は、バレンタイン一色ですよ。先生のブランド指定がなかったら、どれにしていいか迷いますね」 「でしょ?」  シンプルな白い箱に、一口チョコが6個入っている。高級ブランドらしく、税込みで1箱3000円を超える。  1個500円の計算だ。  たった一口が・・。  ものの一口が・・。  恐ろしいほどの贅沢品。  吉野家の牛丼なら、おつりがくるじゃないか。マクドナルドの期間限定バーガーだって、500円は超えない。  庶民派エッセイストも、たまには贅沢をしたいんだな。  1個の値段が高いせいか、おいらがそろりとチョコに近づいたら、先生が箱の真ん前で、遮断機のようにすかさず腕をサッと下ろした。こういう行動だけは、いつもながら素早い。  人差し指で、漆器のような光沢を放つチョコを差しながら、 「どれにしよう。迷っちゃう。食べるのがもったいないね」  と言いつつも、狙いを定めたハート型のチョコを、パクッと一口。  500円。 「んん~」  今度は恍惚の表情で、天井を仰ぐ。先生がどんどん天に昇っていく。  コーヒーとチョコの相性は抜群。あんことマーガリンみたいな最強のコンビ。  左右の頬が交互に、チョコの形に膨らんだ。食べ物を口の中にため込むリスのようだ。見た目は、おかめだけれど・・。  その後はしばらく、2人でコーヒーを飲みながら、チョコの感想を言い合う。甘さが上品だの、箱がオシャレだの。  品のよさとは対極にある2人が言うと、コンビニ菓子を食っているように見える。  それより、悩み相談はどうした? 忘れてないか?  ニャーと鳴いてみたら、 「クロには毒だから・・」  先生が箱のフタを閉じた。  義理でももらえない野郎どもの気持ちが、よくわかるというもんだ。  バレンタインデーなんて、男には残酷すぎる。  一日中、チョコという言葉が頭から離れず、 「ちょっと・・」  と呼ばれただけで、 「チョコ」  と勘違いしたりして、何かと心がザワザワする。  サラリーマンなら、義理ぐらいはギリもらえると期待して出社し、結局、手ぶらで帰るむなしさを味わうことになる。  退社時刻に、意中の女性が笑顔でやってきて、 (お、これはもしや・・)  心が躍ったところで、 「じゃあ、お願いね」  チョコレートどころか、残業をもらって、底の見えない崖下へ真っ逆さま。  中高生の男子なら、クラスの女子が、自分の席に近づいてきただけで、急にドキドキ。そのまま横を風のように通り過ぎ、女子同士の友チョコを交換する現場を目撃して撃沈。  放課後、自分のところにチョコが来たと思ったら、 「○○くん、呼んできて」  仲介役で唇を噛む。涙を呑む。  本命をゲットするのは一握り。  ほとんどの男が、 “こんな日はいらない!”  モテない己を、再確認する試練の日なのだ。  奇跡的に、いかにも安い義理チョコをもらえたとしても、ホワイトデーのお返しが重くのしかかる。近所のスーパーで安くあげると、ケチと烙印を押される。  もらっても、もらえなくても、あれこれ気をもむ嫌なイベントだ。  男心をもてあそぶ、菓子業界の責任は大きい。 「今井くんは、もらったことあるの? チョコ・・」  聞かなくても、わかりそうなもんだ。  髪は、毛を刈る前のヒツジのようなボリューム感。真っ黒なカリフラワーといってもいい。先生のお父さんが見たら、絶対、分けてくれと言いそうだ。  体型だって、クオリティーの低いゆるキャラみたいで、何だか締まりがない。スーツがまったく、体にフィットしていないのだ。太る予定で、ワンサイズ大きいものを着ているのだろうか。それとも、痩せてブカブカになったのか。 「へへっ・・」  今井が、もじゃもじゃの頭をかく。その薄笑いが、すべてを物語る。 「大丈夫、みんなと一緒」  無難な返しだ。これなら、心をエグることはない。 「先生は、あげたことあるんですか?」 「ある。本命も義理も友チョコも・・。もちろん、自分用にもね」 「僕が今日代わりに買ってきたのは、完全に自分用ですもんね? 今、本命はいないんですか?」  愚問だろう、そんな質問。と思ったら、 「シッ・・!」  急に先生が、人差し指を口に当てた。音を立てないよう慎重に椅子から立ち上がり、ドアに耳を近づけ気配を探る。 「今井くん、私のチョコはおいしい?」  わざとらしく声を張り、ドアを指さす。そのあと、声を出さずに“お母さん”と口を動かした。ジェスチャーで、人の形を作る。  聞き耳を立てていると察した今井が、 「お、おいしいです。か、彼女からもらうと、何だっておいしいですから・・」  めちゃくちゃぎこちない棒読み。中学生の文化祭レベルだ。  そんなことより、今、彼女と言ったか? 「そうでしょ? 今井くんのために、奮発したんだから・・」  足音が去っていくと、フーと息を吐く。椅子に戻ると、 「信用してないのよね。今井くんが彼氏だってこと」 「まぁ、仕方ないですよ」  え、どういうこと?  奴がここへ頻繁にやって来るのは、出不精な先生に頼まれて、食べ物を買ってくるからじゃないのか? すぐにほしいものは、今井に頼む。ウーバーイマイだ。  会社勤めのサラリーマンを、パシリとして使う図々しさは、先生にしかできない芸当だと、感心していたのに・・。  今井も、コーヒーをごちそうになりながら、自分がおつかいした食べ物を分けてもらえる。仕事をサボる場所としても、うってつけなのだ。わざわざ、喫茶店やファストフードで、カネを払って時間をつぶす必要もない。  ギブアンドテイクな関係じゃないのか? 「とりあえず、結婚前提ってことにしてあるけど、親には、時期をみて別れたって説明しとくから、それまで我慢してよ」 「OKです」  そういうことか。契約彼氏というやつだな。  異性に縁のない者同士が、タッグを組んだのか。 「それで、お見合いは断れたんですか?」  今井が聞くと、先生がゆっくりとうなずく。  思い出した。お母さんが持ってきたお見合いで、激しくケンカをしていたっけ。 「この歳でくるお見合いの相手なんて、ジジイしかいないわよ。あと数年で、介護だから・・。冗談じゃない!」 「はぁ・・」 「あ、残りのチョコあげるわ。協力のお礼」 「いいんですか?」  今井の瞳が、LEDの照明を当てたみたいに、パッと輝いた。これはもう、義理すらもらったことのない男の顔だ。  犬だったら、今、ものすごい勢いでシッポを振っている。 「よし、決まった」 「何がですか?」 「弟がそれで満足するなら、チョコを買ってあげればいい」  ようやく、相談内容に戻ったか。 「スーパーやコンビニなら、500円ぐらいで買えるでしょ? それで、ハエのようにしつこい弟をなだめることができるなら、安い安い」  姉が妥協するということで、回答は落ち着きそうだ。 「先生、こっちの未開封のほう、もらっていいですか?」  赤い包装紙に、緑のリボン。箱の左上には、ハッピーバレンタインと、英語で書かれた金色のシールが貼ってある。 「そっちのほうが、安いでしょ?」 「いいんです」  先生もわかっちゃいない。  開けてないやつがほしいんじゃないか。会社の同僚や友達に、さりげなく自慢するために・・。 「あ、おつりちょうだい?」  先生が思い出したように、手のひらを突き出す。抜かりがなかった。 「いるんですか?」 「当たり前じゃない。レシートもね。経費の証拠書類なんだから・・」 「フリーランスって、大変ですね」  すると先生は横目で、 「いいわよねぇ、会社員って・・。会社が何でもやってくれるから・・。おんぶに抱っこがうらやましい」  嫌味をたっぷりふりかける。  ビターチョコ並みの、ほろ苦い会話だよな。  これぞ、年の差偽装カップル。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!