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5 どんどん恥をかけ
嫌いな冬を脱出し、ようやくあったかくなってきた。
庭に水仙の花が咲き、先生のお母さんが大事にしている鉢植えの紅梅が、見事に花を咲かせている。
春だなぁ。いい季節になってきた。
外の景色がカラフルになってくると、気分もパッと明るくなるよな。
大地から、フキノトウやらツクシが芽吹いてくる。これからどんどん暖かくなって、桜が咲き、ツツジが咲き、紫陽花が咲く。
でも、その頃までだな。おいらにとって体感温度がちょうどいいのは・・。
仕事部屋の出窓に寝そべって、太陽の日差しを全身で受ける。
極楽極楽。
おいらは真っ黒だから、熱を吸収してあったかい。夏は自殺行為だけれど、この時期はほどよいお日様加減。気持ちよさといったら、おこたや電気カーペットの比ではない。
出窓の日だまりは、猫を自堕落にする。
なんだか、まぶたが重くなってきた。視界をゆっくり閉じていくと、急に体が宙に浮いた。
やっ、何だ! 今井が来たのか? と思ったら、胸と腹の脂肪布団で、先生だとわかった。
何だよぉ、びっくりするじゃないか。ニャーと鳴いて抗議したけれど、どうせムダな抵抗。今井みたいにしつこくはないから、ほんのしばらくの辛抱だ。
先生は、おいらの背中をなでたあと、毛づくろいを始めた。珍しいこともあるもんだと思ったら、毛の先にある地肌を確認していく。
そしてひと言、
「参考にならないか・・」
謎の言葉を発して、おいらを出窓に戻した。そのあと、椅子の背もたれに寄りかかって、パソコン画面とにらめっこ。
チッ、昼寝の邪魔をしやがって・・。
こうなったら、仕事の邪魔をしてやる。
キーボードの上で腹ばいになった。これなら、文字は打てまい。
すると先生は頬杖をつき、上から目線でおいらを眺めながら、ハァ~とため息をつく。おもむろに、マウスを動かし始めた。『ハゲのカムフラージュが雑すぎる』
(20代・男性/山口県)
新入社員のときから、何かと面倒をみてくれる40代の課長がいます。
薄毛が悩みのようで、いろいろな育毛剤を試したり、頭皮をマッサージしたりと、髪の滅亡を防ぐために、日々、戦っているようです。
その成果もあってか、クシでとかすぐらいの髪は全体的に残っていますが、頭頂部だけは、植林したばかりの山のように、地肌が目立っています。
それがどうしても気になるのか、とうとう課長は、頭皮を黒のマジックペンで塗りつぶすようになりました。
これで薄毛をカムフラージュできたと思ったのでしょうが、本人の思惑とは裏腹に、女性社員の失笑を買っています。
ツルツルへのカウントダウンが始まった危機感からか、冷静さを失っているようです。
いい人なので、これ以上恥をかかないよう、言うべきかどうか悩んでいます。
そのことで、自分の毛も抜けそうです。 恥をかけばいいじゃないか。
恥をかいて、ようやくわかることだってある。
放っておけばいいんだ。
人から指摘されるより、自ら気づいたほうが、心の傷は浅いはず。
やり過ぎたと反省し、少しずつ少しずつ、塗る面積を小さくしていけば、最後は何ごともなかったかのように、フェードアウトできる。カムフラージュは幻覚だったと、みなが思うかもしれない。
先生は、キーボードを占領するおいらの目をジッと見つめる。
かたくなに動かないでいると、椅子を引き、無言で部屋を出て行った。
しばらくして戻ってきたが、その手には、おいら専用の白い食器を持っている。ソファーの足元にそれを置いた。
匂いでわかる。中身はチュール。
あっさりキーボードから体を起こし、エサに飛びついた。夢中で舐めていると、あっ・・! おいらは舌を出したまま顔を上げた。
やられた! チュール誘導作戦に・・。
恐るべし、猫を自在に操る最強のおやつ。
先生の飼い猫になると、見事に食いしん坊がうつってしまう。でも、やめられないとまらない。カルビーのかっぱえびせんと同じで・・。
皿までキレイに舐めると、再び机に飛び乗った。マウスの横で寝そべる。
こんな生活をしていると、デブ猫まっしぐらだな。
気をつけよう。
毎日鏡を見て、己を戒めよう。
先生はもうすでに、文字を打ち込んでいた。
「目に浮かびます。昼休み中、トイレの鏡の前で、女性社員同士が口紅を直したり、歯を磨いたりしながら、『課長の頭見た? キモイよね?』鏡を通して、小バカにする姿を・・。あるいは、給湯室でコーヒーを入れながら、『ウケるんだけど・・』薄笑いを浮かべる姿を・・」
まぁ、ありそうだけれど・・。
「同じ悩みを持つ男性社員は、もはや、人ごとではないでしょう。課長の頭皮を切なそうに眺め、将来おとずれるかもしれない自分の毛の末路に、天を仰いだことでしょう」
まぁ、それもありそうだけれど・・。
「相談者のあなたも、マジックペンが油性なのか水性なのか、あるいは、年賀状を書くときにしか使わない毛筆ペンなのか、どうでもいいことを考えつつ、何度も言おうかどうか、口を開きかけたのではありませんか?」
筆記用具は種類が豊富だから、中には地肌に塗りやすく、髪色に合うカラーがあるかもしれない。色を重ねることもできるか。
「会社には、いろんな人が出入りします。課長は取引先の相手と、ミーティングをすることもあるでしょう。どのような会社かわかりませんが、お客様と直接面談をする立場にあるなら大変です」
客の目が、頭をとらえて離さない。恐らく、話の内容が一切入ってこないだろう。いかに笑いをこらえるか、客のほうこそ気を使うことになる。
「営業で、頻繁に外出するのでしょうか? となると、笑いを周囲に振りまくことになります。自ら、ハゲピエロになることを選んでいるのではないですよね?」
言い方が、ソフトにキツい。
「あなたを同道しているなら、あなたもハゲピエロの仲間です」
かわいそう。一緒に笑われる。
「確実に、得意先で課長は、強烈なインパクトを残しているでしょう。もしかすると、厳しい交渉をするにあたって、場をなごやかにする作戦かもしれません」
おお、さすが企業戦士。
いや、絶対違う。そんな計算があるとは思えない。
「戸別訪問の飛び込み営業なら、相手の警戒心を、瞬時に解くことができるでしょう」
魔法の髪型だな。
「それにしても、私は不思議でなりません」
何がだろう?
「そもそも、なぜ黒のペンを使うのでしょうか? 地肌は肌色であって、真っ黒ではありません。不自然になるのは当たり前で、どうして課長は、そのことに気がつかなかったのでしょうか」
まぁ、確かにそうだよな。カラスでさえ、地肌は真っ黒じゃないのに・・。
「年齢が40代ということですから、白髪もあるはずです。顔が20代ぐらいに見えるならまだしも、年相応なら、余計に違和感を感じるでしょう。グレーを使うか、勇気を出して、白を混ぜてみるか・・」
勇気より度胸がいる。そんな偽装工作は・・。
「もう1つ、べったり塗るより、極細のペン先で、毛穴と見立てた点を描くべきだと思います。もしくは、線を描いて、バーコード風にするという手もあります。少し時間はかかりますが、よりナチュラルな仕上がりになるでしょう」
どうカムフラージュするかの相談ではない。笑われている現実を、教えてあげるかどうかの問題だ。
このまま話がそれていくんじゃなかろうか。
ニャーと鳴いて軌道修正をうながすと、まずい方向に行ったと感じた先生が、話を切り替えた。
「半年前、ある家電量販店に行ったとき、私はこんな店員に会いました」
パソコンを買いに行ったときのことだ。
「ベテランらしきおじさんが対応してくれましたが、その口臭が、腐った生ゴミのような臭い。あまりにも強烈で、思わず体がのけぞったくらいです。口元を見ると、歯は黄色くて、乱ぐい歯。キレイに磨くには、難易度の高い歯並びでした。ほかの店員はわかっているはずなのに、見て見ぬ振りなのでしょう」
上司だから言いにくいのか、嫌われているから言われないのか。あるいは、話しかけると、スカンク並みの汚臭攻撃を受けるからか・・。
「デリケートな問題は、下手に指摘できません」
言い方によっちゃあ、プライドをズタズタにするもんな。おじさんだから余計に・・。
「どんなに知識があっても、接客が丁寧でも、私はその店では買いません。“どこよりも安い”ではなく、“どこよりも臭い”というイメージがついてしまいました」
家電量販店ではありえないイメージ。
お客さんから、クレームって来ないのかな?
もし、おじさん店員の家にペットがいたとしたら、絶対、チューはしたくないだろうな。
瞬殺される。
「口が臭いとは、ストレートに言えません。同じように、ハゲのカムフラージュが雑とも言えません。あなたの上司が、笑われる程度で済んでいるならいいのですが、私が経験したように、相手を不愉快にするようなことがあれば、会社としてはマイナス」
イメージダウンは避けられない。
「となると、伝え方に工夫が必要です。『伝え方が9割』という本まであるくらいですから、仕事には欠かせない重要なスキル。相手を傷つけずにすむ方法を、模索するしかありません。私も日々、伝え方には気を配っていますよ」
今井がこの文章を読んだら、ブッと口からコーヒーを吹き出すぞ。
「こうしたらどうでしょう? 課長が一生懸命仕事をしているところを、背後の斜め上から、例の頭頂部が見えるよう、密かに写真を撮ります。それを社内報に載せてみる。もし本人が、カムフラージュの失敗に気づかなかったとしても、必ず別の部署や支店、あるいは営業所や工場の誰かが、違和感を覚えるはずです。あるいは、社長の目に留まるかもしれません」
仕事ぶりならまだしも、頭皮でトップの目に留まるのは、本人も不本意だろうな。
「あなたの代わりに、ガツンと言ってくれるかもしれません。そういう間接的な伝え方はどうですか?」
社内報で恥をさらす気か? グローバル企業だったらどうするんだ?
気を配るどころか、伝え方が最悪じゃないか。
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