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8 信じる道を暴走していけ
10日ぶりに奴が来た。
死んだのかと思ったら、風邪をひいていたそうだ。寒さが和らいで、気が緩んだに違いない。
一生、風邪をひいてろ、今井!
「陰性でよかったですよ。もしコロナだったら、味覚や嗅覚に、後遺症が残るかもしれない」
そっちの心配かよ。まずは、家族や会社に気をつかえや。
「しっかり治ったんでしょうね?」
先生は念を押しつつ、今井から受け取ったビニール袋の中をのぞく。
「はい、大丈夫です。病院に行って、薬をもらいましたから・・」
力強い言葉に安堵はするものの、今井の頬が若干こけているから、弱り切った悪い気がうつりそうだ。
「貧乏人は、病気できないのよね。風邪ぐらいで、病院なんか行けないわ。40℃の高熱が出ても、寝て治す。気合いだから気合い・・」
医療費をケチるくらいなら、食費を削ったらどうだ。
今井をパシリにして、今度はマクドナルドのセットメニューか?
「それに、仕事もできなくなる」
言うほどないだろ、仕事は・・。
ニャーと鳴いたら、今井がおいらを抱っこする。
鬱陶しいから暴れたものの、頑として放さない。きっと、女性を抱きしめる機会がないから、ぬくもりと柔らかさを、猫で我慢しているのだろう。
力負けでおとなしくしたら、
「クロ~、会いたかったぁ」
声のトーンを上げて、顔をスリスリしてくる。
苦労って聞こえるから、語尾を伸ばすのはやめてくれ。
「ねぇ、今日、お母さんに会ってないわよね?」
「先生のお母さんですか? いや・・」
今井の顔が、ようやくおいらから離れた。
「ならよかった」
「何がです?」
「いや、もし・・」
先生がここで、一旦言葉を切った。ちょっと言いにくそうに、
「もし、結婚のことを聞かれたら、適当にあしらっといてくれる? あたしのポテト、あげるから・・」
フライドポテトぐらいで、買収できると思うなよ。ナゲットもあげたらどうだ。けっこう神経を使う大事なことなんだから・・、と思ったら、
「いいですよ」
すんなり返事をする。
やさしいのか、それとも単に、気がいいだけなのか。偽者だから、たいしたことではないと思ったのか。
本当の彼氏だったら、額から汗を流して、言葉に詰まるくらい緊張するぞ。多分・・。
「それはそうと、今度の相談はどれにします?」
今井があっさりと話題を変え、先生の肩越しからパソコンをのぞき込む。
あれっ・・?
そこそこ密着してるよな。先生の肩に、今井のアゴがつきそうだ。両親がいるわけじゃないから、そんなにくっつく必要はないのに・・。
もしここで、先生がクルリと首だけ回したら、奴の顔が目の前だ。ラブコメのドラマだったら、いい雰囲気になって、キスしてもおかしくない距離。
どういうつもりだ? いくら偽装でも、やりすぎだろう。アラフォーを惑わすな。罪だぞ、それは・・。
いくら自分がモテないからといって、見境なく女性に近づくなよ。女性といっても、先生の場合は、トドのメスだけれど・・。
とにかく、キープディスタンス。
すかさずおいらは、今井を猫パンチした。
・・ったく、先生が下手に勘違いしたらどうするんだ?
ニャーと鳴いて説教する。
よろけた今井がソファーに座ったから、おいらはパソコンの横で、奴を監視をすることにした。
「クロと今井くんは、仲がいいねぇ」
先生は、マウスをクリックしながら言う。
違うわ。
まさか、背後霊のように、今井がくっついていたことに、気づいてないのか?
鈍感なのか、疎いのか・・。
あまりにも、恋愛偏差値が低すぎないか?
「えっと、今回はこの悩みにしようかな」
相談メールが、画面に表示された。『テストの解答で暴走するクセ』
(10代・男性/福井県)
理科のテストで、
『凸レンズを通して、光が一点に集まる点を何というか』
この問いに、答えが“焦点”とわかっていながら、“笑点”と記入し、先生から◎をもらいました。
それからというもの、変わった答えを書く快感に目覚め、社会の歴史では、邪馬台国を邪魔大国と書いてみたり、国語の漢字で、「隆盛を極める」の隆盛を、“たかもり”と書いたりしました。
各教科の先生のコメントや反応に手応えを感じ、もっと面白い解答ができないか、学校の問題集を使いながら、日々、珍答テスト対策をしています。
しかし、成績がどんどん落ち、常に30点を割る危険水域に入ってくると、担任の先生が、
「もういいから・・。わかったから・・」
受験を前にして、珍答を貫く姿勢をいさめてきます。
僕的には、やめられません。「面白いの? この答えが・・」
先生は辛辣だった。
「いいじゃないですか。相談者は恐らく中学生。かわいいもんです」
「まぁ、回答には、『とても面白いですね。ユーモアの才能を感じました』って書いとくわ」
そうしておけ。正直に書くと傷つくから・・。
今井が袋からハンバーガーを取り出し、先生に渡す。
「期間限定のチキンタルタです」
「これが食べたかったのよぉ」
先生は大口を開け、まるで3日も、食にありついていないような勢いで、かぶりついた。たとえ病気をしても、食欲だけは落ちないんじゃなかろうか。手はすぐに、ポテトをつかんでいた。
いやいやそれは、今井にあげたやつだろ? 偽装工作を頼んでおきながら、もう忘れたのか?
「バンズがもっちもちですね」
今井がナプキンで、ソースの付いた口元をふく。
「よかったぁ、ギリギリ食べることができて・・」
この2人、目の前に食べ物があると、必ず横道にそれる。
相談内容を、ほったらかしにするな。
「あっ、そういえば、塾の講師をしていた友達がいるんですけど、生徒の中には、とんでもない解答をする子がいたみたいですよ」
「例えば・・?」
「ナイル川が流れているのは、どこの国か聞いてみたら、しばらく考え込んで、北海道って答えたり・・」
「もう、国じゃないでしょ、北海道は・・」
呆れたように先生は言うけれど、そこが問題じゃないだろ。
「busの発音を、ブスと言ったり、第二次世界大戦の終わった年も、日にちもわからない。中学3年になるまで、日本人は白色人種だと思っていた女の子もいたそうで・・。自分は白人だと思ってたって・・。部活で真っ黒に焼けた生徒なんですけどね」
「重症だね」
「一番びっくりしたのは、日本海側に住んでる地方の生徒で、大阪と言ったんですよ、日本の首都を・・。ウケ狙いでも何でもなく、真顔で・・。大阪の人は喜ぶでしょうね」
「とことん勉強してないんだねぇ」
「というか、常識が欠落してますよ。普通、ニュース見たり、新聞読んだりしてれば、わかることじゃないですか?」
「まっ、親がそうしてないんだろうね。スマホいじったり、バラエティー番組で大笑いしたり、酒を飲んでくだを巻いたり・・」
先生もたいして変わらないだろ。
「別に、それが悪いわけじゃないけど、そういう親を見てれば、たいがい、子もそうなる。子は親を映す鏡って言うから・・」
「でも、こういう答えを考えるって、けっこうな頭の体操だと思いませんか? それなりに、いろんなことにアンテナを張ってないと、出てきませんよ。案外、幅広い知識が要求されます」
いっそ、珍解答を競えばいい。
勉強のできる奴は、反対に点が取れないだろうさ。
大阪を、日本の首都と言う奴のほうが、よっぽど面白い答案を書くんじゃないか?
「んん~」
先生は、ポンポンに張った腹をなでながら、
「『実力テストだけ、実力を出しましょう』っていう回答にしとこうか。ダメといえば、やりたくなるのが子供だから・・。正直、テストの点数なんて、どうでもいいことじゃない? そんなもの、社会に出たら関係ないし、成績のよかった生徒が、社会で大成するとは限らない」
「いい学校、いい会社に入るためだけのものですから・・」
「そうだよねぇ。ゆりかごの中の奴隷になるには、必要かもしれないけど・・」
ポリポリと、ポテトを前歯でかじる今井を見ながら言った。
サラリーマンは、ゆりかごの中の奴隷か・・。
こりゃあ、グチが出る前触れだな。
案の定、
「毎月給料もらって、ボーナスまで出て、厚生年金もいくらか負担してもらって、通勤手当や残業手当ももらって、ついでに、社食で安いランチを食って、健康診断まで受けさせてくれる。至れり尽くせりじゃない。何もかも、会社がお膳立て。いいわよねぇ、フリーランスと違って・・」
先生はゆりかごじゃなくて、食料を持たず、小さな木造船に乗っているようなもの。今は、冬の日本海のような荒波の中。しかも、海水が入り始めている。沈没は時間の問題だ。
見上げる空は暗雲ばかり。その先に、光明は見えない。
老後が心配だ。長生きができない。
「いい奴隷になるため、勉強してきましたよ」
先生の嫌味にムッとするでもなく、今井は静かに言った。
「今井くんて、勉強できたの? 新聞社に入るくらいだから、そこそこできないとねぇ」
「はい」
0.2秒で即答。
「そういえば、大学聞いてなかった」
「東大です」
「東大・・?」
「はい」
さすがに先生も、そこは素直に信じることができなかったようで、珍しく、ポテトを食べる口が止まった。
さて、問題です。東大といえば、何大学でしょう?
「東日本大学?」
「そんな大学ありました?」
短くすると、東大にはなるな。
「さぁ・・」
先生もおいらも、首をひねる。
「東西大学? 東急大学? 東横大学?」
電車じゃないんだから・・。
珍解答を出そうとするな。相談者と同じレベルで、笑えない。
今井は、コーヒーと一緒にハンバーガーを呑み込むと、
「東京大学です」
やや胸を張った。唯一、自慢できることなのだろう。
「え、幻聴・・? 最近寝不足だから、変な声が聞こえて困るのよ」
昼寝不足か?
「東京大学。現役で文Ⅱですよ」
はっきりと答える。
先生はほんの一瞬、間を置いて、
「へぇ・・」
とだけ、つぶやいた。
その口調は、“人は見かけによらないんだね”と言っている。
おいらにはわかるんだ。
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