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9 くだらないことで時間をつぶせ
桜が散った、はらはらと・・。
窓辺で仰ぐソメイヨシノは、天に向かって枝を伸ばしている。その姿は、一見力強く見えるけれど、花びらだけは風に弱い。
どうしてこうも、わずかな風で、あっさり枝から離れてしまうのだろう?
「絶対、離れないっ、離れるもんかっ!」
わめき散らして、若いイケメン社長の腕にしがみつく、カネ好き女のようにはなれないのか、桜の花びらは・・。
誰か、1ヶ月はずっと咲いたままの品種を、作ってくれないだろうか。
桜の観光地も、旅行会社も助かるぞ。懐に、カネがわんさわんさと入ってくる。
観光客だって、その期間に分散してくるから、人の多さや道路の渋滞、駐車場の混雑にトイレの行列と、花見なのか人見なのかわからない状況に、うんざりすることもない。
人混みがキライな奴でも、出かけようかという気になる。
・・と、さっき、先生とお母さんが居間で話していた。
お母さんは、近場でもいいから行きたそうだったな。でも、1人で行動するタイプじゃない。かといって、お父さんと2人で行くのは論外。
なぜかというと、お父さんは、男にしては珍しく極度の方向音痴。脳みそに、カーナビのような機能はない。
「あれ? おかしいな」
と言いながら、ムダに道をグルグル回って、家族が疲れる。それでたいがい、旅行はみな不機嫌に終わるのだ。
先生はもともと出不精だけれど、年に1回のことだから、花見がしたいんじゃないかな?
でも、心に余裕がない。
仕事が先細っていると、出かけている場合じゃないと、心にブレーキがかかる。少なからず出費はあるし、老後にかかる費用を思うと、気軽に行けない。
生活がある程度順調でないと、余暇は心底楽しめないもんだよな。
常に収入の不安という鎖で、がんじがらめになっているから、花見をしようとか、ライブに行こうとか、デパ地下のお総菜を、片っ端から試食をしようとか、そんな浮かれた気分にはなれない。
映画ですら、先生は見に行こうとしない。その割には、BSの海外ドラマにはまって、時間をつぶしているけれど・・。
これは完全に、現実逃避。
原稿が本にならないきびしさを、忘れることができるもんな。
夢を追い続ける時間がムダとは言わないが、我慢の期間が長すぎると、性格がもっと卑屈になっていきそうだ。
見かねたお母さんが、結婚に望みをつなげるのも無理はない。
せめて、新しい仕事が1つでも増えてくれれば、花見や映画に行く心の余裕が、出てくるのになぁ。
でないと、どんどん体重が増えていく。なんせ、ストレス発散は食べること。
人の悩みだけじゃなくて、自分の悩みも、早く解決するといいんだけれど・・。
あっ、また花びらが散った。
なんだか、先生と桜がダブって見える。
風速20メートルでも、ビクともしないがっしり体型だけれど、心は桜の花びらのように柔なのだ。
おいらが青空に目を細めていると、急にキキーッと、ママチャリのブレーキ音がした。
マイバッグをぶら下げて、トド、いや、先生が戻ってきた。
そろそろ自転車のタイヤに空気を入れないと、ぺしゃんこになるぞ。
先生が仕事部屋のドアを開け、地味なグレーのジャンパーを脱ぐ。ソファーに投げた。
春なんだから、せめて桜色の服でも着たらどうだ? その色だと、ブロック塀と同化する。工場で働く作業着みたいじゃないか。
それじゃあまるで、心の色と一緒。とはいっても、明るい色は、逆にしんどいか・・。
先生はマイバッグを持ってキッチンに行くから、おいらもあとについていった。
同じ1階だから、廊下を出て奥に進めば突き当たる。
テーブルに、デンと袋を置く。中をのぞくと、和菓子のパックが見えた。
やっぱり先生は、花より団子。
予想通り、花見団子だけじゃなくて、桜餅も買っていた。
ストレスが溜まってんだな。
先生は、コーヒーを淹れて仕事部屋に戻り、パソコンの電源ボタンを押す。
てっきり三色花見団子を食べるかと思いきや、まさかのプリン。しかも、BIGプッチンプリンだった。『スプーン曲げに熱中する夫』
(60代・女性/宮崎県)
夫はもともと、超常現象に興味を持っています。
ちょうど、3ヶ月ほど前になるでしょうか。たまたまテレビの昔の映像で、ユリ・ゲラーのスプーン曲げを見ました。
それからというもの、
「あれぐらいならできる!」
と突然言い出し、超能力を開花させるべく、毎日ひたすらスプーンをこすっています。
うなりながら、念力らしきものを送っているようですが、できると大口を叩いた割には、今のところ成功していません。
定年退職をして、暇を持て余した老後の楽しみが、まさかのスプーン曲げかと思うと、ため息が止まりません。
夫の格闘する姿を横目で見つつ、この人でよかったのかと、今さらながら考え込んでしまいます。「気楽でいいよね」
プリンをすくったスプーンを舐めたあと、先生が独りごちる。
安定した会社勤めのあと、たっぷりと退職金をもらい、年金までもらって余生を送る。そんなのんきなおっさんに、ついつい嫌味が出たようだ。
「外では会社に面倒を見てもらって、家では奥さんに面倒を見てもらって、老後はスプーン曲げだって・・。クロ、どう思う?」
マウスの横に座っていたおいらに振ってくる。
とりあえず、ニャーと相槌を打っておいた。同意してくれる人、いや猫がほしいのだ。
だけどおっさんだって、社畜として耐えてきたんだぞ。
どこまで出世したかわからないが、きっと苦労した。
若い頃は上司に怒鳴られ、年を取ったら、今度は若い社員から煙たがられる。もしかしたら、上司が後輩という悲劇に遭ったかもしれない。
社長が突然外国人に代わり、社内の公用語が、英語になったかもしれない。あるいは、大手企業に吸収合併され、見知らぬ社員がやって来て、威張りだしたかもしれない。
女性社員とは、会話が1分と続かなかったに違いない。
取引先に頭を下げる。
電話中にも、
「すいません。すいません」
と、頭を下げたはずだ。
ワンコインでランチをすませ、公園のベンチで昼寝をする。
寄ってくるのはハトかカラス。風に吹かれたビニール袋だけ。
先生はプリンを口に入れたあと、
「ふっ・・」
鼻で笑った。
やってらんないわ。そんな心が、おいらにははっきりと見える。
ところが、
「企業戦士として、一生懸命働いてきたのです。これからは、自分の好きなことを思いっ切りできます。いいではありませんか」
と、打ち込んだ。
本音と建前を、先生ほど使いこなす人を、おいらは見たことがない。
「安上がりですよ、スプーン曲げは・・。しかも、まだ成功していないということですから、使い物にならないスプーンを、大量に出したわけでもありませんよね? 世の中には、もっとお金のかかる趣味を持つ旦那さんもいます」
そうだそうだ。
ヒーローのフィギュアを集めたり、若いお姉ちゃんに目覚めたり、あるいは女装したり・・。
「他人が見たら、やばいおっさんになるでしょう。しかし、家の中でひっそりと、スプーンと格闘しているのであれば、誰にもわかりません。隣近所の奥さんが、窓からこっそり覗いていなければ・・」
たまにいるよな? 刑事のように、やたらと見張るおばさんが・・。
「もしかしたら、そのうち本当に、超能力が備わってくるかもしれません。新たな能力の開発です」
それをどう使う?
日本のユリ・ゲラーとして、テレビで稼ぐか? そういえば、そんな人もいたっけ・・。
「集中力も、相当にパワーアップしたのではないでしょうか」
その力、現役時代にほしかった。
「あなたはきっと、家にあるスプーンをすべて、隠すという手も考えたのではないでしょうか。しかし、これは相当な危険が伴います。旦那さんが、スプーンを大量買いしてくる可能性があります。大事な年金をスプーンごときに使い、テーブルの上がスプーンの山になっていたら、あなたは即、離婚届に判を押したくなるでしょう。そんな不幸があってはなりません」
先生は、プリンを食べていたステンレスのスプーンを、ティッシュで丁寧に拭くと、ネックの部分をこすり出した。
しばらくして、
「えいっ・・!」
気合いの入った声を出す。
「私もトライしてみましたが、か弱い女はダメですね」
え・・? 今、90度に曲がったぞ。
「スプーンが曲がるようになれば、目的を達成したことになるのですから、きっと旦那さんはやめるはず。そこで、奥さんの出番です。早く終わらせるために、あらかじめ用意したスプーンを、何度も力で曲げておき、柔らかくしておきましょう」
細工をするのか。
汚い手を使ってきたな。
「もう少しの辛抱です。曲がったときは大喜びして、『スゴイわ、あなた』とできるだけ持ち上げておきましょう。男性というものは、それで満足します。単純なので、楽勝ですよ」
まるで、男を手玉に取ったことがあるような物言い。
法城寺麗子は、モテるキャラにしたいんだな。
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