先生の指先が奏でる私の音

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「い、いやらしいことをされたと言います」 「そんな話を誰が信じると」  「噂になれば、不利なのは先生のほうです」 「一ノ瀬は一時の気の迷いではなく、本当に伴奏者を辞めたいんだね」 強情な私は先生から視線をそらして頷いた。 「僕もさすがに今から一ノ瀬に辞められると困るんだ。だから賭けをしよう」 立ちあがった先生は、なぜか音楽室に鍵をかけた。 「賭けって」 「今からこの曲を止まらずに最後まで弾ききることができたら、一ノ瀬が伴奏者を辞めることを認める。ただし僕がどんな邪魔をしてもだ」  先生が差し出したのは、『Mandarin orange』。今回の合唱祭で一番の難曲だ。 「ミスしても弾ききればいいんですか」 邪魔って、どうせ譜面を取り上げるとか、目隠しをするとかだろう。もう暗譜はしているし、音を外すことはあっても、止まらずに弾くことくらい容易い。 「ああ、弾ききれたら、一ノ瀬のしたいようにすればいい」 「さあ、どうぞ」 私は促されるままピアノを弾き始めた。 こんな簡単な賭けをするなんて、やっぱり先生は私が辞めてもいいと思っているんだ。 本当に辞めてしまってもいいのかな。辞めたらもう二度と伴奏者の役は回ってこないのに。 最初から本当に辞める気がないとわかっていて、先生はこんな賭けを持ちかけたんだろうか。だとしたら、私はすっかり先生の手の上で踊らされているだけだ。 さっさと謝ってしまえばいいと思うのに、先生に私の気持ちを理解して欲しいという思いが邪魔をする。 「それで、僕が一ノ瀬にいたずらするんだったね」  真後ろに立っていた先生の長い指先が、私の首筋を撫でた。鳥の羽で撫でられているみたいに繊細なタッチで。 「え?」
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