(1-1)三年間を思い返してみてください

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 紅白幕がぐるりと壁を覆う中、体育館いっぱいに詰め込まれた人、人、人。そのすべての視線は今、壇上に注がれている。白髪の男性が校長の名に相応しく大げさなほど厳かな仕草で頭を下げると、整然と並ぶ卒業生らの頭が一斉に動いた。古めかしいパイプ椅子があちこちで悲鳴を上げる。叩き込まれたテンポでお辞儀を終え、彼らは着席の号令と共に再び視線を前方へ戻した。電源のついたマイクが空気の音を拾う。一拍遅れてスピーカーが鳴った。 「皆さん、ご卒業おめでとうございます」  つらつらと続く式辞。同じ服を纏う集団に身を潜め、彼女はじっと待っている。姿勢正しく腰掛ける彼女の顔はまるで能面のように微動だにしない。右から左へと聞き流していた声が、ふと彼女の意識に突き刺さる。彼女はぼんやりその言葉に従った。 「三年間を思い返してみてください――」  初めて彼女が一人でこの学校へ足を運んだのは、中学三年生の秋、願書提出日のことだった。提出を終え、堅苦しい空気から解放されて気が抜けた彼女は、勝手に校内を散策することにした。うろうろと歩き回るも、授業中のようで人気はない。彼女はすっかり大胆になって、校舎裏へ向かった。思いの外綺麗に整備されたそこには色とりどりの花が咲いている。秘密の花園にでも忍び込んだような気分でいたところへ、突然、背後から声がした。 「こんにちは。あの、どうかされました?」  つなぎを着た男性だった。年は中年といったところか。謎の人物は不審そうな様子も隠さず眉間に皺を寄せている。彼女は口の中でもごもごと言葉にならない言葉を並べ、足元に目線を固定したままその場を去った。学校関係者だろう、恐らくあの付近は部外者が入ってはいけない区域だったに違いない。彼女はきっと合格して再びあの花壇へ足を運ぼうと決意した。それがすべてのはじまりだった。  入学式の日。体育館の脇に腰掛ける男性を発見して彼女は驚愕した。スーツで身を固めていたけれど、その横顔は確かに、以前遭遇した謎の人物のものだった。とはいえ、彼女が実際その人物と会話を交わすようになるのは、二年以上経ってからだった。後になって知ったことだが、彼はクラスの担任を持っておらず、また彼女が選択していない美術を担当していた。
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