(1-1)三年間を思い返してみてください

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 受験に神経を尖らせる同級生の空気は耐え難いものに感じられた。彼女はますます美術室に入り浸るようになった。友人は相変わらずマイペースに絵を描き続けていた。ある日、ふと二人きりになったタイミングで、珍しく友人のほうから声を掛けてきた。 「そういえば、この間、先生誕生日だったんだって」  黒鉛の粉末が隙間なく貼り付いた手のひらを擦り、友人はため息をついた。 「奥さんの手作りケーキが美味しかったってさ。一人で惚気聞くの結構しんどかった。なんで先週に限って来てくれなかったの」 「委員会だってば」 「ほんと凄かったから。途中からガン無視してんのに勝手に語り続けてた。おかげで全然進まなかったよ」 「それは、うん、お疲れ」 「興味なさ過ぎてしんどかったほんと。やばいよあの人。教師の癖にこっちの作業妨害しにかかってきてた」 「ほんと、先生感ないよね」  その頃には、部員でもない彼女が美術室に居るのも当たり前になっていた。受験シーズンとはいえ、彼女も、友人も、筆記試験なしの推薦枠で既に進学先から合格通知を受け取っていた。卒業までのどっちつかずの時期。必死に自分の絵に向き合い続ける友人を尻目に、彼女はただただ時間を持て余していた。どちらかといえば早く卒業してしまいたいくらいだった。  緩やかに季節は巡り、冬休みが始まった。十二月二十四日。大して予定もなく、かといって高校生活最後のクリスマスイブを家に籠って過ごすのは何となく味気ない気がして、彼女は目的もなく買い物に出かけた。煌びやかに街を彩る電飾が眩しく、どこもかしこも浮かれて見える。彼女はこんな日に外出したことを後悔した。人混みの中、懐かしく思うのはあの独特な匂いが立ちこめる静かな美術室だった。友人は今頃何をしているのだろう。愚問だった。きっと、クリスマスのクの字も気にせず何か壮大な絵に取り組んでいるに違いない。友人の家に行ったことはなかったが、家でも絵にかじりついているであろうことは容易に想像がついた。  彼女は帰りがけに小さなお菓子を一つだけ買った。ごくごく小さな箱の割に、財布にやさしくない金額の品だった。そのささやかなクリスマスプレゼントを、彼女は誰にも内緒にしたまま年の瀬までかけて一人ゆっくり味わった。
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