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「……すごい」 「今日じゃなきゃダメでしょ?」 「確かに」  それは、小さなコサージュだった。恐る恐る手で触れる。何枚もの布を重ね合わせて出来ているようだ。細やかな飾りが施された、まるで本物みたいな造花。彼女は両手でそれを包み込み、じっと黙り込む。 「先月来てくれたときちょうどこれ作ってたから焦りましたよ。バレてなかったなら、まあ、何よりです」  一人で喋り続ける彼は、いたずらが成功した子供のごとく無邪気に笑っていた。彼女はそっとコサージュを持ち上げ、ブレザーの左胸に針を刺す。つい先ほどまで式のためにと配布された黄色の花がぶら下がっていたのと同じ場所に、違う色の花が咲いた。 「ありがとうございます」 「どういたしまして」  彼は満足げに言うと、すたすた歩き去ってしまった。来年度からの授業に向けて準備しなければならないことが山ほどあるのだという。 「それにしてもどうして式ってあんな窮屈なんだろうね。もう少しくらいポップにしてくれてもいいのに。肩が凝っちゃって仕方ないですよ。ねえ?」  彼女は上の空で相づちを打ちながら、解いたリボンを綺麗に伸ばし、何等分かに畳んだ。それを箱の中に収めもう一度蓋をする。白い小箱を見つめて、彼女は動きを止めた。一度、二度、学生鞄に視線が引き寄せられる。今日の為に用意してきたもの。最後の最後、何てことない言葉を渡せたら、と。そのくらいなら許されるだろうと思ったのが間違いだった。彼女は箱に添えた自分の指先がみっともなく震えていることに気づく。痛いほど噛みしめた唇が、何度も開きそうになり、しかし結局、彼女は全ての言葉を飲み込み、無様な震えが収まるまでずっとそのままの体勢でいた。 「大丈夫? そろそろ、クラス会とかあるんじゃない」  幸い、その言葉を掛けられたとき、彼女は既に「彼女」の顔を取り戻していた。 「そうですね。そろそろ失礼します」  笑って手を振る彼に、深く頭を下げる。視界の隅に薄紅の花が揺れた。小さな箱を鞄にしまい、参加する予定のないクラス会の為、彼女は美術室から立ち去った。
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