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「どうしたの?話って」
「……篠崎さん。あの……こないんです……」
「こないって?」
目を伏せ言いにくそうに言葉を濁す井上をみて、武は嫌な胸騒ぎがしていた。
心の中で何度も”ありえない……一度だけだ”と呟いていた。
井上が言葉を濁した数秒が、武には、何時間にも感じていた。
「生理です……生理がこないんです」
まじかよ……嘘だろ……
男としては最低な言葉がついて出そうになり、武はその言葉をぐっと飲み込んだ。
どうすると、脳みそをフル回転させても一つの案しか思いつかなかった。
井上の事は、愛していない。
関係だって、一度の過ち。
酷い男だと言われても、それに責任をもってるほど武は自分の事をできた男とも思っていなかった。
「分かった。ちゃんと考えて返事するから、少し待ってもらえるかな?」
*****
どんなに考えても奈々子の事が好きだし、井上の事は会社の後輩だ。
そこにブレはなかった。
この事を、奈々子に打ち明けるか武は悩んでいた。
言えば傷つけることは、分かっていた。
そして、奈々子と別れる事も武は選択したくなかった。
しかし……
『子供が出来た』と言われたい以上、このままではいかない事も分かっていた。
数日後、仕事終わりに武は意を決して井上に声を掛けた。
「井上さん……ちょっといいかな」
「はい」
夕方の会議室。
井上は、大きな瞳でジッと武を見上げていた。
少しの沈黙でも、武は息が詰まりそうになった。
奈々子となら、喧嘩をしてもこんなことはないのに。
「あのさ、赤ちゃんのことなんだけど」
「……」
井上は、コクリと小さく頷く。
会議室のブラインドの隙間から、街に少しづつ灯っていく明かりがチラついていた。
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