1435人が本棚に入れています
本棚に追加
*****
「ねぇ。聞いてる武?」
「え?あぁ、ゴメン」
「篠崎様は、お仕事でお疲れですかね?」
仕事終わりに、武は知美と一緒に式場へ訪れていた。
結婚式をするには決めないといけないことが山ほどある。
しかし、知美が乗り気で決めてくれていた為、武はそれに賛同 するだけでよかった。
目の前で、別れた彼女が自分と知美の結婚式について語っているのが武はとても不思議だった。
何度も自分の名前を呼んでいた唇が”篠崎様”と他人行儀に呼び、自分に触れていた指が知美が着るドレスを指さす。
まるで、他人事の様に全ての言葉は武の頭を通り過ぎ、奈々子の仕草だけが脳裏に焼き付いていく。
知美が、結婚式は奈々子が勤めている式場がいいと言った時、武は理由は言わなかったが反対をした。
でも、友達の紹介だと懇願する知美に折れたのは、武の中に奈々子の姿をもう一度みたいという気持ちがどこかにあったからかもしれない。
子供が出来たことで、武は知美と交際を始めた。
恋愛と言うよりも、結婚準備の為の交際だった。
知美の両親にも、挨拶と謝罪に行った。
ありがたい事に、知美の両親は寛大で結婚前に子供ができた事に、怒ることはなかった。
会社にも、三ヶ月後に知美が寿退社をする事を、上司に二人で伝えに行った。
社内の人は、武が知美と結婚する事に驚いていた。
それもそうだろう。
武は、奈々子という彼女がいる事を隠していなかったから……
ようやく、少しだけ一息つけるようになった頃、流産を告げられたと知美が泣いて武に告げた。
「う、嘘だろ……」
知美が今でも大事に持っている、子供のエコー写真。
結局それを見ても、武には自分の子だという実感が湧かないままだった。
『一度の過ちだから、子供が流産したから別れます』なんて、社会的な事を考えれば武にはとても言えなかった。
言ったところで……
奈々子の元へはもう戻れない
目の前の奈々子を見つめながら、あの時と同じように武は何度も頭で呟いた。
最初のコメントを投稿しよう!