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私が子供の頃、母親の実家は『五右衛門風呂』だった。
勝手口の脇に窯の口があり、そこから薪をくべて湯を沸かすのだ。
だが、そもそも薪を用意するだけでも簡単ではない。
手頃な木を裏山から伐採し、それを薪の大きさにまでナタで割るのだ。それだけでも大変な重労働である。
母親の祖母は早くに連れ合いを無くしているので、男手の無い時期は本当に苦労したと聞いている。更に、体格は今で言うなら小学生なみでしかなかったそうだ。
薪は、そのままでは使い物にはならない。『生木』は水分が多すぎて燃えないのだ。
そのため、切った薪はそのまま積み上げて半年ほど寝かせて乾燥させるのだ。おかげで、納屋の壁面はいつも大量も薪が積み上げられていたものだ。
水は、納屋の横にある井戸から手押しのポンプで汲み上げる。
この井戸は母親がまだ小さかった時、職人さんに頼んで掘って貰ったものだ。
地面が固く、相当に苦労されたと聞いている。だが、それ以前は水は下の川まで行って桶を使って運び上げる他なかったと言うから、かなり楽にはなったのだろう。
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