犬と猫と馬

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これが猫だ。まさに猫の常套手段だ。露骨に無視をし、俺の反応を観察しているにちがいない。それが狙いであるかのような、まるで、俺の器の素材や強度の、耐久テストでもしているかのようなこの態度。おそらくは、イニシアチブをとれる関係性を結べるか否かを、見定めているにちがいない。 しかし、この状況は俺にとって、初めてあじわう体験でも、珍しいやりとりでもない。これまでも、『猫派』と出逢ったことは過去には何度かある。そしてどういうわけか世の中には『猫派』は多い。そして、先手をうつかのように、自分が『猫派』であることを、自己紹介の流れでごく自然に宣言をする『猫派』も多い。そういうところが猫なのだ。出落ちなのだ。だから、いわれなくてもすぐにわかる。 しかし『猫派』と一言でいっても、その解釈は二通りにわかれる。それは、自分のことを「猫です」といっている場合と、自分は「猫好きです」といっている場合だ。同じことに聞こえるかもしれないが、その実は違う。そして『猫派』は、この違いに気づいていないようにおもう。 前者の場合は、猫がもつ『放し飼い』とか『自由』というイメージをつかい、『猫派』という言葉に含めたうえで「束縛しないでね」や「ラインもあんまり返さないかも」的な、自分の取説的なニュアンスをこめている可能性がある。 一方、後者の『猫派』の場合は、必ずしもそうとはかぎらない。なぜなら「猫が好き」ということは、猫との関係性を好んでいるのであって、実際には、猫ではない『猫派』の可能性がある。 つまり、猫特有の距離感を、把握するための観察眼をもっていて、その空気をよむ力に長けていることで、猫心を自然と心得ている可能性があるのだ。 この二通りの『猫派』のパターンは、俺の勝手なイメージにすぎないのだけれど、数少ない俺の実体験で得てきた統計として、『猫派』についての、俺のデータベースになっている。
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