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 店に顔を出すと、顔なじみのお客さんが注文を言うために空気を読みつつ自分の番を待っていた。豆腐だけではなく、多少の練り物も扱う青木豆腐店は、夏よりも冬場の方が忙しい。 「やあ、奏ちゃん久しぶりだねえ」 「斎藤のおじいちゃん、久しぶり。今日もざる豆腐?」  孫でも見るような優しい目で話しかけてくれる常連客に、奏多も気さくな笑顔で応える。常連客はみんな奏多を幼い頃から知る人ばかり。すっかりおじいちゃんな顔をした客から見れば、奏多はいくつ年を重ねようが、青木豆腐店の奏ちゃんだ。 「うんうん。奏ちゃんがこの時間に店に出てくるなんて、珍しいねえ」 「そうかな。はい、ざる豆腐、三百五十円ね」  季節に関わらずざる豆腐は人気の定番商品で、斎藤のおじいちゃんが買うのはいつもざる豆腐と決まっている。袋に入れた豆腐を手渡し、お金を受け取る。 「最近、奏ちゃんはよくピアノを弾いてるね」 「あ、ごめん。うるさかった?」  斎藤のおじいちゃんは、奏多の家のすぐ近所に住んでおり、日中は家で演奏する奏多のピアノがいつも聴こえてしまう。近頃は音楽教室で弾く時間より家で弾く時間の方が長いので、近隣の家にとっては迷惑だったかもしれない。  ごめんね、と頭を下げながらお金を受け取ると、しわくちゃの手で握手をされた。 「いやいや。奏ちゃんのピアノを聴くと元気が出るよ。難しい曲は分からんけどね、たまには水戸さんを弾いてね」  くしゃくしゃな笑顔でじいちゃんは奏多の手を何度も握った。  自分の演奏を喜んでくれる人がいる。握った手のぬくもりに心まで包み込まれる。それでも、小さな刺に刺されるような痛みが走るのは、今の奏多がピアノを楽しいと思って演奏できていないからだ。  機械的に、ただ指を動かすだけの演奏。そんな演奏を聴いて嬉しいと言われると、小さな罪悪感が胸の中に降り積もっていく。 「うん。じゃあ今度は斎藤のおじいちゃんの好きな曲弾くからね。また聴いててね」 「ああ。楽しみにしているよ」  内心の痛みを押し殺して、奏多もくしゃくしゃな笑顔で返す。 「いらっしゃいませ、なんにしますか?」  優しいシワをいっぱい刻んだじいちゃんの手にざる豆腐を渡し、見送った。そしてまた別の客に声をかける。
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