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「振られたから諦めなければならないと誰が決めたのですか? 口説く口説かないは私の意思であり、あなたの意思を聞いているわけではありません。どうしても拒否したいのならあなたが私に口説かれなければいいだけです。違いますか? って言うんだぜ。どうだよこれ! こんなんで、断れるかよ!」  昨日の慶一のセリフが一言一句違えずに思い出せるのは、あまりにも衝撃的すぎたせいだ。  混乱なのか怒りなのか、もう自分の感情の説明すらできない奏多をよそ目に、信也はもう限界だとばかりに体をくの字に曲げて畳の上を転げまわっている。  確かに、この話を奏多が第三者として聞いていたら間違いなくネタだと思って笑い飛ばしただろう。だが、非常に残念で不本意な事に、奏多なこの珍事件の当事者だ。  本気で困っているから相談したと言うのに、お腹痛いとまで言って笑い続ける仕返しに、母が茶菓子として出してくれた信也の分の饅頭にかぶりついた。信也は「あっ!」と非難の声を上げたが、さすがに笑い過ぎを自覚しているのか、声を上げただけで文句は出なかった。 「それにしても、赤城慶一だっけ? 言われてみれば、たまにスーツ姿の調律師は見たことある気がするけど、名前なんていちいち知らねえし、話したこともねえよ」 「だよな。俺も、そういえば見たことあるかも程度だし、あれから考えてみたけど、やっぱ話したこともない気がするんだよな」  信也は同じサクマ音楽教室に通う幼馴染だ。奏多と同じ年だが、ストレートで大学に入学した信也は今年度で卒業だ。家同士もわりと近く、自転車で十分も行けば互いの家に遊びに行ける距離で、すっかり家族ぐるみの付き合いだ。今日は奏多の方から信也を呼び出し、こうして昨日の出来事を打ち明けている。  同じ音楽教室に通っているのだから、信也なら慶一に対してなにか知っているのではないかと思ったが、やはり自分と同じ程度の認識しかない。 「それなのに熱烈な告白をされたと」 「う」 「おまけに、相手はストーカー並に奏多のことを知っていると」 「うう」 「さらには、諦めるどころかこれから口説きにかかると、ばっちり宣言を残してその場を去っていったと」 「……俺、からかわれてたり騙されてたりすると思う?」
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