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「いや、それはねえだろ。言ってる内容はともかくとして、話を聞く限りだと真剣だと思えるし、第一、奏多をからかったりしてその赤城ってヤツにはなんのメリットもないだろ」
「そうだよな。やっぱそうだよな……」
誘導尋問のような告白だったが、少なくとも慶一は真剣だったと思う。同性同士ではあるが、真剣な告白を茶化すつもりはない。奏多自身も、真剣にどうするべきなのか悩んでいるのだ。
「もしかしたら、おまえのファンだって可能性もあるけどな」
「ねえよ、そんなの」
「あるだろ。元天才ピアニストさん」
「バカ。昔のことを混ぜっ返すな」
そんな風に言われていたのは、もう十年以上前のことだ。中学一年の時まで、奏多は数々のコンクールに出場し、必ず受賞していた。だが、奏多自信が積極的にコンクールに挑んでいたわけではなく、音楽教室からの勧めで出場していただけだった。
そんなあるとき、偶然耳にした言葉をきっかけに奏多はコンクールへの出場を一切止めた。
――あいつが出るなら、俺がコンクールに出る意味はない!
その強い叫びを、奏多は音楽教室で偶然聞いた。奏多は元々賞に興味はなく、自由に楽しくピアノが弾ければそれでよかった。だが、周囲にはコンクールに全てをかけ、挑んでいるものも居る。誰かは分からないその声に、奏多はそれを思い知ったのだ。
奏多がコンクールへの出場を止めたことを音楽教室の先生は悲しんだが、家族は好きにすればいいと言ってくれた。
両親曰く、奏多は突然変異なのだ。
豆腐屋の家系に突然音楽の才を持った奏多が生まれた事が奇跡みたいなものだ。だから、その才能をどうするかも奏多が好きに決めればいい。
ピアノと将来を切り離せず悩んでいた奏多に両親はそう告げた。その言葉は奏多にとってなによりも嬉しい言葉だった。
とはいえ、いくつか賞をとったとしても世界的なコンクールで賞を取ったわけでもなければ、演奏者として活動していたわけでもなく、無名も同然。ファンなど居るはずがない。
「なあ、どうすればいいと思う?」
脱力しきって麦茶を飲めば、濡れたグラスのせいで手までびっしょりと濡れる。その手を服で適当に拭きながら信也の言葉を待つ。
だが、少し考えて信也は「なにもする必要ないだろ」と言った。
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