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 ピアノの前に座り、すっと息を吸い込む。打鍵と共に響く音が振動となり身体の中心を震えさせる。その瞬間に、奏多の身体は人から楽器へと切り替わる。  目を閉じ、流れる音の放流に乗る。ピアノの音と一つになって自分の身体が音の一部になるようなこの感覚が、奏多はなによりも好きだ。  選曲はモーツァルトの『きらきら星変奏曲』。鬱屈とした気分を晴らすためにも、明るく可愛らしい曲を自然と指が選んだ。  きらきら星と言えば誰もが一度は耳にしたことがあるメジャーな曲だが、原曲となっている変奏曲はモーツァルトらしい軽快さと短調の重さが混じりあった、なかなかの技巧曲だ。だが、その難解な運指さえも楽しみ、軽やかに響く音同士を遊ばせる。  曲の世界に合わせて身体が動き、表情も変わる。目を閉じてピアノのことだけを考えると、もうここには奏多も居ない、曲の世界一色になる。  気まぐれに音が飛び交う第四変奏。不協和音をいたずらに混ぜながらも軽やかに踊る第五変奏。  流れるような音の海を楽しんでいると、違う音が混ざった。ドアの閉まる音だ。  ん? 閉まる音? 「うわぁぁぁ!」  音の正体を確かめるために目を開くと、ドアの前に慶一が立っており奏多は文字通り飛び上がった。 「すいません。邪魔をしてしまいましたね。どうぞ、続けてください」 「つ、続けろって、なんでここに……」 「口説く、と先日申し上げたはずです」  いや、言ったけど。聞いたけど。だからって急に現れるな!  そういえば昨日告白された時も、慶一はこうして突然練習室に現れたのだった。他に聞かれたくない話だということは明白なので、確かに練習室はうってつけだ。だが、だからと言って人が練習している最中に堂々と入りすぎだ。 「だからって、おまえっ」 「勝手に入って申し訳ありません。もしよろしければ、聴いていても構いませんか?」 「え、あ、あ……」  ダメだ。先手を打たれた。  おまけに、聴いてもいいかと言われたら嫌とは言えない性格だ。演奏者として、人に聴いてもらえるのは嬉しいし、楽しんでもらえればなによりだ。おまけに、こうして突然人が入ってくるのは奏多にとってさほど珍しい事でもない。
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